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京都教育センター 年報25号(2012年度)
 -- 第43回京都教育センター記念講演 --


「子ども理解を軸にした学校改革―大津のいじめ事件から考える」

              福井雅英 (北海道教育大教職大学院教授)
 
*教育センター事務局の責任で編集し、見出しは編集者がつけました。
 
  【紙面の都合で講演の冒頭部分だけを紹介します。】

 ご紹介頂いた福井です。昨日北海道から帰ってきましたが今年は初雪が遅くて、降ったと思ったらそのまま根雪になり除雪が追いつかなくて、歩道から車道が見えない異常な状態です。京都教育センターは懐かしいところで、研究集会にもお邪魔しましたが、それより前には京教組にも大変お世話になっていました。滋賀で小学校と中学校の教師をしていましたが、その間に大変荒れた中学校に30歳から52歳まで在籍しました。その中の4年間、全教を立ち上げた後全教滋賀教組の専従書記長として、京教組や大教組にすがりながら歩き出したことがありました。ですから京都の組合のみなさんには大変お世話になったので、言われたことは何でも聞かないといけないという事情があります。滋賀の八幡中学校が荒れていると言えば、京都の培良中学校も荒れているよと大平さんが言われていたのを懐かしく思い出しています。

  今日は「子ども理解を軸にした学校改革」ということで話します。いまいじめの問題と自殺の問題が非常に大きな社会的関心事になっていますが、議論の方向が教師個人のセンスを磨くところへ収斂する傾向があります。教育委員会は研修をやりますと言うしかない。私は、直面する学校改革の課題としてどのように考えるのか、どうしたら多少ともそれを克服できるのか、いじめ問題などをきっかっけとして教育実践の質を変えるようなとりくみがどうしたら出来るのかいう角度からお話しをしたいと思います。

 私は中学校の教師でしたから、こういう報道や事件があると、ある特定のこどものことが何人も浮かぶのです。あいつの場合はこうやったなあとか…。本当は今の現職の先生もそうだと思うのですが、それを率直に同僚と話し合うような時間や場がないのじゃないかと心配しています。大津の事件が7月からズーッと全国的に報道されるようになってしばらくは、「滋賀の中学校教師をしていました」とはちょっと名乗りにくい、「何してたんや」という声がとんで来そうな雰囲気でした。それはあのような悲惨な事件はくり返したくないという社会的な思いがあったと思いますし、そういうものがマスコミの報道などで非常に増幅されたということもあると思います。私は、執筆を依頼された雑誌『教育』9月号に他のことを書くつもりでいましたが、これは他のことではいけないのではないかと思って、大急ぎで書いた大津の事件に関わる文章(今日も資料で配られていますが)を書きました。

 それに対して当該の中学校の関係者から痛烈な批判を受けました。「あなたの文章は報道記事をつなぎ合わせただけであって真実じゃないことをいっぱい書いている」と言う批判でした。「内部の事情もよくわかっているが、子どもに聞いても先生ともよく話しているがいじめなんか絶対になかった。あったとは絶対言ってない。報道は全部デマだ」というような立場からの批判でした。それではなぜマスコミの報道と学級に関わる内部の状況を知る人が全く違うように感じるのか。そのこと自体が不思議で検討しなければと思いました。

 7月頃の仲良し集団が9月に入って急激にいじめが進行したこととか、数人のグループが学級の中で孤立していって、外からは見えなくなっていたのではないのかとも考えました。報道も変化して、最初は教育長と学校長の対応のまずさや隠蔽してるんじゃないかということが報道され関心を呼んだと思います。

 途中からずっと見ていきますと、アンケートや子どもの様子から見ていじめがなかったとは言えないと思いました。いじめが自殺の問題にかなり影響していたんじゃないかと感じたのですが、本当に教師が誰も気付かなかったのかというとそうじゃないのではないかというのが中学教師の経験からの感覚です。しばらくして、気付いていた教師がいたとかの報道もあり、あるいは少なくとも2回は子どもからの声もあって気付くチャンスがあった、また養護教諭はもっと早くから不穏な感じを掴んでいて担任に知らせていたことなども報道が出てきました。そしてそういうことがどうして共有されなかったのかという、新たな問題が浮上したと思いました。私はそこも充分議論しないとこうしたことを防ぐことが難しいし、教師が個別な気づきで感性をとぎすましても、それが生きないような学校の力学があるんじゃないかということを強く感じました。

 7月に警察が捜査に入った次の日の7月12日、ほとんどの新聞が取り上げて関心は更に広がりました。滋賀の中学校で教師をやってきて、大学の授業で生徒指導を担当しているとなるとこれはもう逃げられない。この件に関連することは何でも引き受けるという腹を決めました。自分はいじめ問題を専門的に研究したわけでもないのですが、出来ることをやる腹を決めるといっぱい講演などの依頼が入ってきていろいろ批判にも晒されているところです。

 9月に札幌に帰ったら、5日に札幌で中1生が自殺する事件が起こりました。衝撃でした。札幌では3年続いて中学生の自殺が起きていて昨年も市教委から調査を頼まれて、教職大学院にいるので断れず引き受けました。昨年は、教育委員会の部長が調査委員長になって、精神科医と弁護士と私が参加して調査しました。その調査はこの人に聞きたいとかこういう事をやりたいと言うことがほとんど出来ませんでした。今年の事件について、再度同じメンバーで昨年のことをふまえてやって欲しいとお願いされました。委員長は外部の人が良いと教育委員会が言ったので、私は弁護士がよいと言ったのですが、こちらに委員長が回ってきました。

 3ヶ月の間に9回の調査委員会をやりました。札幌の場合は、子どもが飛び降りたときに身につけていたメモがあって、「自分にはもう無理だ、死んだらどうなるのか知りたい。いじめられていて死にたい」とあり、その後に家族への感謝などが書かれていました。そこが調査の出発点だったわけです。何が無理だったのか、「いじめられていて死にたい」とあったので当然いじめがあったんだということを前提に調べました。文科省の定義は「一定の人間関係にある者」の間で起こると書いていて、誰かいじめの行為者がいていじめが起こるのだという想定です。誰がどんないじめをしたのかということは遺族が一番気にしますし、それを出発点にして調査をしました。アンケートを読んだり学校に出向いて授業観察をしたり、担任や教科担当の先生の話を聞きましたが、直接これがいじめだと思い当たる情報は一切ありませんでした。

 委員会は夜の6時頃から9時半頃までやるのですが、毎回終わるとマスコミが待機していて「ぶら下がり」と言われる取材をするわけです。毎回、同じようなことを説明していると新聞記者は大体理解してくれますが、難しいのはテレビです。節目の時だけやってきてカメラをまわしながら「いじめは確認できたのですか、出来ないのですか」「直接生徒に聞いてないのはどういうことですか」など同じ事を聞いてきます。

 私は調査委員長として必要であればリスクを冒しても直接生徒に聞くことはためらわないと思いましたが、アンケートや聞き取りを総合してまだ子どもたちが何かを隠しているとか他に何かあるとは判断できないので聞く必要はないと思いました。というのは子どもの動揺が激しくて、保健室が溢れて泣き叫ぶような子が出てきている中で、84人の子どもに先生が手分けして聞いたり更には警察が入りましたので警察が聞き取りをやり、その動揺が大きかった。警察に聞かれることは先生に本当のことを言ったのに僕らを信用してないのだとか、先生が警察から信用されてないんだとか、記者に喋ってしまったことを悔いるとか、べらべらと取材に応じている友達にも批判の目を向けることがありました。そうした生徒をケアするためにスクールカウンセラーなども大変だったことも分かっていました。もし我々が聞くとなると数人の抽出ではなく、もう一回84人全員に聞かないといけないわけで、そうした事情を細かく説明できないので、マスコミなどからは批判が出てくるわけです。

 誰がいじめたのかと言うことからスタートしたが、そういう事実がないとしたら、A君が「いじめられていて死にたい」と書いたのは何を意味しているのか。私は調査の対象と範囲を少し広く考えて「誰が」ではなく「何が」と考えられないかと思い、彼の小学校時代から書き残した物を見たり、当時の担任からの話を聞いて、どういうように彼の苦悩の内容を掴むかということを検討していきました。一般的にいうと、部活と勉強の両立とか、入ってすぐのテストの成績へのとまどいとか、生活委員として「ベル席点検」の仕事を意欲的に真面目にやるとかがあるわけです。5年生頃までは前に出て何かをするというタイプではないのだけれど、6年生に大きく変わって担任の援助を得て、委員会活動や学習発表会の大役にとり組んで、大きな達成感を得ていました。「やればできるのだということがわかりました」と書いています。(中略)彼は、前向きに頑張って責任ある仕事を自ら求めて引き受けるところに自分の存在感を見つけていたんじゃないのか。それで自分を肯定していくことに少し「前のめり」になったのではないかと言う感じを抱きました。「誰が」というより「何が」、あるいは複合した状況があったのではと思って残された資料を読みました。現場教師は特定の「何か」が分かっていればそれに手を打つわけですが、わからないのにどう防ぐのかとなってくると相当大きい状況認識とか、子どもの一般的な負担感などを深く掴んでおく必要があるのです。

 全体的に圧迫感の強い時代状況の中でちょっとしたことで相当な打撃になることがあり得るんじゃないか。それを掴む教師の認識は心理主義的な子どもの理解ではとうてい無理だろう。心理的な圧迫感や負担感の背後にある社会的な根拠をどれぐらい掴めるのかということも問われるのではないか。しかし、同時にそれは相当に難しいことではないかとも思いました。遺族の家にも何度も伺って、その子の遺影に向き合って「たまらないなあ」という気持ちになりました。あどけないすてきな笑顔の遺影があり、母親や祖父母から泣きながら胸の内を聞き、私が感じたのは報告書を出すにあたっては「誰に」出すのかといえば、この子に出すのだろうと強く感じました。この子に読まれたとして恥ずかしくない報告書にしなければと思いました。マスコミに報告するためではなく、その子に報告し「残された大人たちが自分の事を分かろうといろいろと努力してくれたのだ」と思ってもらえるような、そして遺族にも納得してもらえるような報告書にしようと教委の課長さんや校長とも話しました。

〈紙面の都合で以下略〉

【全文は「教育センター年報25号(2012年版」に掲載しています。希望される方はセンターまで】 
 「京都教育センター年報(25号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(25号)」冊子をごらんください。

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