事務局   2012年度年報もくじ


京都教育センター 年報25号(2012年度)
第43回京都教育センター 研究集会 分科会報告

第1分科会
大阪『教育改革』の批判的検討と私たちの課題

                    葉狩 宅也 (地方教育行政研究会)

 

はじめに

 昨年度のこの分科会は、「貧困・孤立・競争をのりこえ、子どもを育てる学校づくりを考える」とし、社会の「貧困問題」とリンクしつつ、独自の実態とその解決のあり方について実践・研究・運動が応えていかなければならないという問題意識のもと、報告論議をすすめました。

 今年度は、分科会テーマを「大阪『教育改革』の批判的検討と私たちの課題」とし、午前丹羽 徹(大阪経済法科大学)に「教育を受ける権利を侵害する大阪の『教育改革』」という演題で講演をしていただき、その後質疑応答と若干の討論を行いました。

 午後は、河口隆洋氏(京教組委員長)、葉狩宅也(研究会事務局)の2本の報告を受け、討論を行いました。


1.講演 「教育を受ける権利を侵害する大阪の『教育改革』」  丹羽 徹(大阪経済法科大学)

 大阪府・市でこの間進められてきた「教育改革」は、教育を受ける権利の視点からどのようにみえるだろうか。この動きは、今後どのように展開していくのだろうか。全国化する危険性は否めない。

 まず、12月16日に行われた総選挙の結果をどのように見たらよいか。果たして自民党は本当に勝ったのか。自民党の政策は支持されたのか。

 確かに議席数では約3分の2を占めた。しかし、これは小選挙区制効果であって、有権者の選択として自民党が支持されたことを意味しない。実際に、比例区での得票率は横ばいで、得票数にいたっては200万票以上を減らしている。すなわち前回の総選挙で大敗したときよりも後退しているのである。小選挙区では4割強の得票率であったが、議席占有率は約8割であり、小選挙区の比率が高いために結果として自民党の「圧勝」に終わった。比例区で民主党が2000万票減らした。民主党への期待が裏切られたとの国民の声の反映である。そのうち1000万票は危険に回ったものの、残りの1000万票の多くが日本維新の会に回った。政策はさておき、何かの変化をもたらしてくれるであろうとの期待感からであろう。しかし、維新の得票(比例区では自民についで第2位、民主党を上回った)は、大阪で起きていることが全国化する危険を表すのに十分な数字のようにみえる。

 さて、大阪では総選挙に先立つ1年前に、大阪府知事・大阪市長のW選挙が行われた。

 その結果、府市ともに維新の会の候補者が首長になった。二人の首長は、大阪都の実現にむけて躍起になっている。そのような中で、政党レベルでの維新への擦り寄りといっそうの保守・反動化が全体を包んでいる。教育委員会も首長への擦り寄りが顕著である。とくに大阪府教育委員会は、その直前に提案されていた「教育基本条例案」に対して、可決されれば全員辞任するとまで言っていたのが、結局は、技術的な修正を加えただけの「教育行政基本条例」「府立学校条例」という形で、委員会から提案するということになった。

 修正されたものは、地方教育行政法違反の疑いが示された教育委員の罷免自由の限定と教育目標の作成について教育委員会が関与するものとしたこと、教員評価を相対評価から絶対評価に変えるというものであった。とくに、教育目標の設定については、教育基本計画の作成を通して、首長と議会という政治部門で決定できる仕組みを維持し、教育委員会、学校、教師はそれに従うことを、評価を通して強制されるものとなっている。また、懲戒処分については、すでに提案されていたままの職務命令違反5回(同一のものでは3回)で免職を標準の処分とするとされている。あわせて、政治の活動禁止を強化し、労働基本権を制約する条例を制定した。どれも最高裁判所が違法との評価を下したものである。それをあえて条例化した。批判されれば、憲法が「法律の範囲内で」しか条例の制定を認めていないことが問題だという。

 大阪の「教育改革」は、競争と淘汰、自己決定と自己責任に集約される新自由主義的改革の急先鋒とでも言える。2006年の教育基本法の急進的な「実現」といってよい。だからこそ全国化が危惧される。大阪での「改革」は第一に、公私の区別のない学校間競争である。私学への授業料無償化もその先行実施であった。学区の廃止、学力テストによる生徒間競争の激化、教育目標の達成により管理・監視される教師間競争へ駆り立てることがすでに始まっている。

 このような競争主義の中で子どもたちの成長発達が保障される教育を実現することは困難である。そもそも、近年の教育改革は、財界などの要求する都合のいい「人材」の育成を強調している。そこには人間の発達の観点はない。また、教育を個人の利益に還元することで、安上がりの公教育、一部エリート育成への資源の重点配分を行う。その結果経済的に不利な状況におかれた子どもたちは、発達の機会を奪われることになる。学校選択制は学校の統廃合の手段であり、一貫校は選抜の低年齢化である。愛国心を強制することで思想・良心の自由を侵害し、自由な発想の道を閉ざす。その結果、グローバル人材とよばれるエリートとは区別された従順な国民の育成が目指される。これが大阪の「改革」であるが、これは2006年教基法の目指していたところでもある。

 安倍首相は06年教基法のときの首相でもあるが、彼は、同法が不十分でありもっと徹底した新自由主義・国家主義を徹底させたかった。全体として右傾化した国会の中で生まれた第二次安倍内閣が目指すものと大阪のそれは矛盾したものではない。子どもの成長発達保障を基本にすえた真の教育改革が求められる。


2.【報告@】 「組合活動の自由、権利について考える」  河口 隆洋(京都教職員組合)

1.はじめに・・・平和や人間の尊厳にかかわって、多少のジグザグはあるが、世論と運動の力で歴史は前に進んでいるのではないか?

2.遅れている日本の労働者・労働組合の自由・権利が教職員にも大きな影響を! ⇒歴代自民党政権・民主党政権の責任

(1)ILO(国際労働機関)の勤務時間・休憩・休日に関する条約は何一つ批准していない。→日本の労働者の長時間労働の蔓延、サービス残業横行、教職員の無定量な時間外勤務の横行に

(2)日本の労働者・公務労働者の市民的自由が保障されていない現実の異常 ⇒国際的に見て日本の基本的人権の現状の後進性、国民の人間の尊厳の尊重の欠如につながる
@ 日本国憲法が社会や企業、学校現場の隅々に生かされていない現実
A 教職員・公務員の基本的人権は制限されて当たり前なのか?
●ILO151号条約(労働関係〔公務〕1978年)未批准・・・「他の労働者と同様に、結社の自由の正常な行使に不可欠な市民的及び政治的権利を有する」(9条)
●消防職員の団結権認めず・・・世界で日本だけ(1994年まではスーダン・ガボンも、今は認める)

3.公務員・教職員の市民的自由制限の国際的な異常

(1)日本の公務員に対する政治活動規制の「原型」(1948年国家公務員法改悪、政令「201号」:これこそ占領軍のおしつけ!)=アメリカ合衆国の「ハッチ法」(刑罰規制なし、)の改正(1993年)→諜報機関職員を除き一般職員は、勤務中または勤務中の外観を呈しているときを除き政治活動!は制約を受けない。

4.運動とたたかいの蓄積がいつか必ず変化をつくり出す!・・・前進面を確信に!

(1)国際人権規約A規約13条2項b・c(中等教育・高等教育の漸進的無償)留保問題→2012年やっと撤回←3000万署名・教育全国署名を20年以上積み上げてきた力(署名は4億筆を超える)
(2)国家公務員弾圧事件(世田谷事件・堀越事件)・・・果たして負けてばかりか?
○猿払事件の最高裁判決の部分的な見直し・・・不当弾圧と不当な判決に対する国民の声の反映
○堀越事件・・・勤務時間外・勤務地外での政党機関紙等の配布行為を無罪
(3)八木中K先生分限免職処分裁判から京都市教組高橋裁判へ
 @ 八木中K先生分限免職処分(1986年)・・・虚偽、事実の歪曲、捏造
  ・今日では当たり前の教育的指導や援助なし、本人への事実確認や弁明の機会の保障もなしで、いきなり分限処分の不当性→初任者研修制度を前に新採者への萎縮効果
  ※教育公務員特例法改定(1988年)→1989年全国的に初任者研修の制度化
 A 京都市教組高橋裁判勝利
  ●京都市洛央小の高橋智和先生に不当な分限免職処分(2005年3月)→提訴→裁判の中で処分事由のずさんさが露呈
  ○京都地裁に続き大阪高裁で勝利判決(2009年6月4日)→最高裁でも勝利確定→職場復帰
  ※「教員として将来成長していくだけの資質・能力を有するか否かという観点から判断すべき」「(高橋先生に対する)管理職等の指導・支援体制は必ずしも十分でなかった」と断定
(4)教育のつどい(教育研究全国集会)等の会場問題→裁判なしで使用可が定着
・妨害活動を理由とした会場使用拒否を違法とする判例法理の確定
※「およそ表現の自由ないしその一つである集会の自由は、日本国憲法のとる民主主義の根幹をなし、民主主義社会を支える基礎をなすものであって、公権力はもとより、他の個々人又はその集団から憎まれ、排撃される言論ないし集会を保障することこそ表現の自由を保障する意義がある」(1990年2月20日 京都地裁判決)
・「取り消し理由」の「公の秩序を乱すおそれ」は、使用者側の事情に限る。

5.総選挙で明らかになったこと・・・公務員・教職員攻撃の正体見えたり!

(1)公務員攻撃に血道を上げる政治勢力=憲法改悪をねらう政治勢力(自民・維新・「みんな」など)⇒今後の公務員攻撃・教職員攻撃について、憲法とのかかわりでその本質を見えやすくする
(2)公務員攻撃の本質は、国民・労働者と公務員を分断し、公務サービスの低下、ひいては国民の社会権・生存権・教育権を破壊する攻撃→ この本質が見えやすくなる!
(3)自民党はどのように教育攻撃をすすめようといているのか?
●政治の教育への介入強化のねらい・・・議会でなく、する。
・首長の任命という形をとって教育長を任命、教育長を教育委員会の責任者とする。
・地方公務員・教職員も国家公務員と同様に政治活動に対して刑罰を科す法改定を企む?
 ・教科書検定基準を抜本的改定・・・「近隣諸国条項」の見直し
 ・「6・3・3・4制」の「見直し」→競争・選別の教育のより低年齢化
☆平和を願う広範な国民やアジア諸国民の世論と激しい矛盾を引き起こすことは必至

6.今後、公務員の自律的労使関係はどうなるのか?

(1)現行法の制約・・・職員団体・役員の人事委登録(団結権侵害)、労働協約締結権・争議権なし
(2)改憲手続法と教職員の権利
・公務員の国民投票運動の自由、地位利用規制も大幅に限定(3か条の附則と18項目の附帯決議)
※一般職の公務員・教育公務員はもとより、裁判官・検察官・警察官・自衛官なども含み自由
※教職員の場合、「職務と関連する行為や職権を濫用した行為が問題で、教育者の社会的信頼を利用して運動してもまったく問題はない」「教員が教員と名乗ってまちで改憲反対の投票を訴えても問題ない」
(3)国家公務員も地方公務員も自律的労使関係法案は、いったん廃案になったが、2008年に成立した国家公務員制度改革基本法では、協約締結権回復含めて5年以内の法整備を求めている。

7.今後の運動の方向性として

(1)国際的な視点で捉えることの重要性
@ 「教員の地位に関する勧告」を生かすことの意味
A CEART勧告が発揮した力→「新たな人事評価制度」(査定評価制度)の京都府での運用にも影響?⇒教員団体との誠実な協議と合意のもとに行うよう、すぐに措置を講じるべき。
 B 国際的なステージに持ち込むことの意味・・・全国産別組織としての全教の存在とEI加盟申請
(2)憲法改悪を許さないたたかいを当面の運動の基軸に据えて国民的な共同を広げる。
@ 憲法改悪を許さない国民的な共同に、公務員攻撃を許さないたたかいをしっかりとつなぐ。
A 職場・地域での「9条の会」等のとりくみを通じて次世代の平和憲法を守る運動の担い手づくりをすすめる。


3.【報告A】 「学校現場から見た教育委員会」  葉狩 宅也(研究会事務局)

 この間の大阪をはじめとした首長の教育・学校への管理・支配体制の強化は、独善的であり強引であることは、学校現場の管理職を含めた教職員はもとより、教育行政に携わる人たちも批判的に受け止めています。しかし、「学力問題」や「いじめ問題」をめぐって、教育委員会は「何かをしなければいけない・・・」との強迫的な反応が続いています。

 私が勤務する学校を所管する、八幡市教育委員会のここ10年あまりの動きは、ひと言で言うと「子どもたちの実態や親・地域の状況をていねいに分析することなく、国の教育改革の流れに乗り遅れないように『派手で目立つ取り組みをすべての学校に押し付けてくる』」ものです。

 この間、八幡ではすべての小中学校に「前・後期制」を導入し、「パソコンを使った通知票(評価)」、「総合基礎」という名の「モジュール学習」+「シティズンシップ教育」、すべての学年で「英語の授業」の導入などを、各学校での論議を十分保障しないまますすめさせています。さらに、「学力向上」という目標は、様々な「学力テスト」で「安定的に平均点を上まわる結果」を求めるための取り組みを奨励してきました。

 また、「問題行動への対策」としての「CPI研修」に強制的に参加させたり、「不登校対策」として全小中学校に「睡眠ログ」に取り組むことを強制したり、昨年度から4年間の計画ですすめようとしている「小中一貫教育(施設分離型)」という名での研究・交流〜「教育課程づくり」と、市教委が進める取り組みと教職員を管理することがセットで進む中、かつての自主的な「重点研究」を軸にした教育課程・授業づくりができないような状況になってしまいました。

 八幡市教委は、学習指導要領が言う@基礎的・基本的な知識・技能の習得を具体化するために、「モジュール学習」と「テスト対策」に力を注ぐように締め付ける一方、A知識・技能を活用して課題解決するために必要な思考力・判断力・表現力を「シティズンシップ教育」に求めようとした思惑が見られます。それらは、多くの弊害とも言えるものを生んでいるのにです。

 「生きる力」を「人間力(にんげんりき)」と呼び、それを身につけ、「ともにやさしく住みよい社会を担っていく『よき市民』に育っていくことを願い、子どもたちや保護者が積極的に声を出すこと、そしてそれをきちんと受け止め、応える教育行政や学校のしくみが必要です。」と言うのですが、新自由主義的な学校評価・教職員評価を使った管理や、「オール八幡」という教職員のやる気をそぐへんな枠組み、さらには、「同和教育」の延長線上にあるような様々な構想。それらにどう向き合うのかが大きくのしかかっています。


4.質疑応答、討論から

【丹羽講演をめぐって】
Q.「『リーダーシップ』を発揮する」とは何か? 橋下のような行動を言うのだろうか?
  そこに操作されているような気がするが?
A.橋下の人気ははっきり言うところへの共感のようなもの。わかった気になって「わかった」。じっくりいうのは「うざい!」という表現で切り捨てる。最後は責任とることだと思うが、責任とらないのが橋下流のやり方。

Q.法令違反の内容なのに・・・食い止める方法はないのか?
A.予防訴訟できないから   違法行為があったことに対して、監査請求等のやり方でのぞむことはできる。

Q.大阪のアンケート拒否の保護者
A.授業評価でやめさせる   東京では実際にある「やめさせたい人をやめさせる」

Q.なかなか運動化できないことに対して
A.矛盾がどんな形で出てくるのか・・・?    アンケートの分析が必要

【河口報告をめぐって】
Q.9条の問題が若者たちに入っていくのか?何かとセットで考える方がよいのでは?
A.若者たちの感覚や意識の希薄さ?ズレ?が気になる
  工夫することや考えることが必要だが

Q.今の時代の集め方は…  エデュカフェはいま?
A.京都市内地域の広がり…   乙訓の青年の取り組み
  原発0を求める運動

Q.もう一度市民によくわかるように伝えることができているか
Q.先生は忙しい忙しいといってたいへんなのはわかるが・・・どうすればいい?と言う保護者の声をどう受け止めるのか
A.目線がうちにうちに向いている

丹.200年前のヨーロッパのような状況が・・・
  選挙は「白紙委任」だという橋下の発想   票をとるために何を言えばいい?
  国民の投票を合意調達のための道具だと考えている
 
 「京都教育センター年報(25号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(25号)」冊子をごらんください。

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              2013年3月
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