◇質問と討論
本田:澤田さんの方から京都の取り組みも含めて避難されている方と関わりながら、どう考えていったら良いのかという問題提起もありました。これから質問と討論の時間にしたいと思います。
質問@:高校の教員です。全国教研の「環境・公害」の分科会で福島の先生からレポート発表がありました。そこで聞いたのですが、先ほどの澤田さんの話とも関連するのですが、除染とか被曝の問題で保護者が学校に対し、「除染をどうしてくれるのか?」「除染した土地をどうするのか?」という質問をすると、保護者の中で「不安をあおることを言うな」というふうな批判があって、保護者が分断されるっていったことが起こったり、高校のサッカー部でサッカーをグランドでやる時に生徒が「被曝とか大丈夫ですか?」と言うと、顧問が「何いうてんにゃ」って言ったり、ということを聞いたんですが、今現在福島の学校で被曝とか除染をめぐって保護者の間でタブーみたいなのが生じていないのかどうか。
大貫:結局それは結論から言うと、県教委が方針を出せないからなんです。例えば除染にしても、まず最初に始めたのは地方の自治体です。郡山市が父兄のそういう要求で始めたんです。県がやりましょうと言ったわけでもなく、国がやりましょうっていったわけでもなく、郡山市だったか二本松市だったんですけども、県もしぶしぶ重い腰を上げたんです。県教委は小中高すべて、これからどうするっていうプランを示せないでいます。だから、突き上げられて、除染をすると。そういう状態で、例えばサテライトにしたって、小中にしたって「じゃあ来年どうするの?」「再来年どうするの?」、すべてのことに対して全く指針を私たちに示せないでいます。どうしても、学校によって対応が違うわけですから、父兄は不安になるし、決してタブー化してるというわけじゃなくて、むしろ指針を示さないが故によって混乱が起きているということは確かだと思います。
質問A:高校に勤めています。学校の教職員が避難所でどのような活動を実際にされたかということを聞かせてほしいです。学校が地域の避難場として使われることが非常に多かったんじゃないかと思いますが。事前にそこでどういうふうに動けばいいか、どうしたらいいか研修なりがあったわけでもないだろうと思うんですが。そういう中で実際に学校の教職員が自らも被災しながらも、どういうふうに組織的に動きを作っていかれたのか。私たち教員として、そういうことも考えて準備していかなくてはならないのかなって思ったりもしています。そのあたりのご経験とか周りの先生方の様子をなんかお聞かせいただけたらと思うのですが、いかがでしょうか。
大貫:地区によって違うと思いますが、県内で地震と津波と原発による影響のない中通りと会津の方は普通通り学校生活をやってましたので、変わらない生活だったと思います。30q圏内にある学校の教員は自分たちも被災者なので自分たちの生活でいっぱいいっぱい。ほとんど自分の家から避難しましたので、私も一週間ほど避難し、学校が始まったのが5月の上旬でしたので、それまでは行く学校がないわけだから。ほとんどの先生は自分の避難者としての生活でいっぱいだったと思います。私の場合だとすぐ戻ってきましたが、勤務する学校がないし近くの小学校にボランティアで通っていました。
それと相馬市など30q圏外なので、その学校は普通にやってるんだけども子どもたちは被災しているので、そこにいる先生方は自分たちが浜に行って後片付けをして、ボランティア活動を随分されていた先生方もいたという話もうかがっています。でも、学校そのものが4月いっぱい動かなかったので、個々人の判断に任せられたっていう感じです。
質問B:中学校で社会科の教師をしています。以前に大貫先生が女性教研のほうで報告されたプリントを見させてもらって、大変感銘を受け、終業式の日、今年あった事件の中で決して忘れてはいけないことで学級通信に一部掲載させていただいて、子どもたちに実態を見てもらおうと思って活用させてもらいました。よく報道でこんな大きな震災が起こったりしたのに、日本がすごく冷静だとか、落ち着いて行動してるとかいうことを世界中から称賛されるという報道がされたりして、私の親もかなり高齢なんですけどもそんな報道なんか見ると、「なんか日本人はおとなしいね。なんで日本人は怒らないの」そんな言い方をするのですが、心の中で私はそんな場面を報道してないのじゃないかと思ったりしてて、日常生活の中で、実際どうなのでしょうか。
あと治安の問題で、一部では取り放題やとか、家に入られたとかそういう問題が指摘されたりするんですが、治安の乱れっていうのは実際どのぐらいなのでしょうか。
質問C:現場の先生方から聞くと福島の事故とか、津波のことの話がもうなかったかのように、あまり話題にされないという現実が聞こえてきます。お聞きしたいのは被災されている現地福島などでは、大津波のこともそうですが、原発の問題についてどんな学習活動、教育活動がなされているのか、またはされようとしているのかお聞きします。
大貫:怒らない、怒らない。残念ながらそれがあるかもしれません。マスコミに写されないってこともあります。どんなに怒っていても、仮設住宅に「はいどうぞ」って入って、「ああ、いやあ、うれしかったです」。こんなとこに入ってうれしいって人ばかりいないです。だけど、そういうふうに写されれば。これは福島でなくても日本全国同じなんじゃないかなって思いますが。
あと治安ってことで言えば、20km圏内でいえば銀行のATMなどずいぶん荒らされてお金とか無くなったと。それから貴金属店なんか入ってガラス壊して取り放題なので。あと私の学校のある小高町なんかではしょっちゅう一時帰宅してたんですね。警戒がゆるい時は裏道を通って何ぼでも入れたので。幹線道路しか警察はいませんでした。その警察も全部県外の警察なんです。こっちは裏道を何ぼでも知っているので、小高町あたりは入るんですよね。入るたびに物がなくなっているって。一番すぐなくなるのは液晶テレビ。軽いし、高いし。あとは飯館村。今無人なので、夕方になるとパトカーが巡回します。飯館村はそれなりにいい意味で豊かな村だったので、パトカーが巡回しています。物がなくなるそうです。
私が住んでいる原町も今までになかったことがあります。放火です。今まで放火ってなかったんです。ところが一週間おきぐらい四件続けて放火があったんです。それは人間の心の表れなんだろうなって、それだけ心が荒んでいるんだろうなって思います。
あとは教育活動っていうことでは組合としては非常に弱い。数の少ない組合なんだけれども、東電交渉とか、県教委交渉とかやってともかくいろんなことを訴えていますし、あと教研集会などやっていますし、あと全国のいろんな人に「福島は何も変わっていないんだ」ということを訴えています。
ただ学校現場ではなかなか難しくて、どういうふうにするかってことは明確な取り組みはまだないです。あと女性部として取り組んでいるのはこのことを何とか残そうということで、文集を作ろうということをやっています。あとは教育活動ってわけにはいかないのですが、福島をうったえる本もあって。私も『ひろば』に書かせてもらったのをそのまま載せています。
今でもやっぱり読んでざわっとするのは、相馬の漁師さんの話は読んでも身の毛がよだつほど恐ろしいです。後ろから波が迫っているところを逃げていったという話。なんかやっぱり大変だったなって。今でも大変なんですけども、ぜひそういう本を読んでいただきたいと思います。福島の場合は進んでないんです。がれきを撤去してもまだ前が見えないっていうか、原発が何とかならない限り前が見えない、それでもやっていかなくちゃいけないので負けてられないなと思います。
本田:福島では教育活動はこれからだといったところでしたけれど、皆さんはいかがでしょうか。先ほど学級通信に載せて子どもたちと一緒に話したという報告もありましたが、教育活動をこんなふうにしようと思ってるとか、こんなふうにしてるとか、いかがですか。
発言@:取り組みの一つとして紹介させていただきます。地元長岡京市で九条の会もやっておりまして、先日川俣町から来ていただいて現場の状況をみんなで聞こうという集いをしました。現状を知るっていうことが一番大事やなあと言うことで、福島県川俣町がちょうど三分の一が計画的避難地域になったところから招きましてやりました。
もう一つは、見ていてほんとに腹立たしいのですが、自分たちも被害者の顔をして出てるということです。福島県が再生していくためには今のままではどうしようもない部分がたくさんあるわけだけれども、ぼくは国がもっと前面に出なければならないんじゃないか、つまりすべての災害の補償について国の機関でやって必要な経費を全部東電に払わせると。今のままでいくと、東電の職員がやってきて、それもあんな分厚い書類を渡すだけで、なんか申請せえという言い方でやっているんじゃなくて、行政をそういう窓口に立たせるべきじゃないのかなということを強く思います。今のままでいけば、それこそ40年住めない地域が出てくるわけで。それも含めてどういう国づくりをしていくのかということ、東電一社の問題ではないだろうという気がするんですけれども。この点に関してはどういうふうに考えられますか。
大貫:私もほんとその通りだと思います。例えば、私ら除染しなくちゃいけないんですか。私たち何もしてないですって。私たち何も汚してないし、なんで地元住民が除染しなくちゃいけないんですか。東電がきてやってくださいと。
これを言うとほんとにつらいんですが、何万人という人間のこれからの人生と夢と希望を全部ぶち壊したわけです。何ぼ補償金もらっても農民が米作れない。一千万もらったって、そっちがいいですか。牛飼いが牛飼えなくて一千万もらってそれで良しとしますか。全部奪ったわけですよね。それ誰も謝らないです。国と東電とそれに今まで甘い汁を吸ってた連中、それが悪いんです。悪い人間がなんとかしなさいと。それができない日本なんです。日本の政治って今それ出来ないんですよ。だからいろんなのを見ると、子どもだましの除染活動のテレビを見るにしても、ともかく一日も早く原発を再稼働したいんですよね。だからああいうことやってると。私たちには何にもならない。私たちの苦しみはこのままでは忘れ去られてしまう。このまま原発が日本中稼働していって、いろんな脅しがあって、外国に行っちゃうぞとか、日本の経済がだめになっちゃうぞとか、私たち何万人の夢も希望も全部踏みつけにされて忘れ去られてしまえば、これはこんなうまいことは無いわけで。
安全・安心といわれ続けてきた福島がこうだよと。多くの人が、私もそうだけど、まさかというのは本当にあるんだと。今でも、毎日寝られないんです。こたつに入ってずっと24時間テレビを見ています。もう想像できないんです。原発の事故っていうのがどういうものか全く想像できないんです。夜中に道を通る車の音を聞くと「あー、また誰か逃げていく」って思っちゃうんですね。このまま取り残されるんじゃないかという不安。放射線の恐怖っていうのはどういうのかわからないという不安。私もかなり被曝しているんだろうと思うんですが、あと30年40年生きられるかしれないんですよね。だからそれほど怖くないんです。というふうに思っちゃうんです。
だからたくさんの人間の一生を壊した責任は誰にあるのか。本当に子どもを助けたい、子どもを避難させたいと思うのだったら、国が責任を持ってそうすればいいんです。子どもを全部避難させてください。ただし、親も一緒に。経済的に全部保障して。それができないから今いろんなところで苦しんでるわけです。残る人も出た人も苦しんでいます。それを個々人の問題にすり替えてるわけですよ。それをやるのは国ですよね。私たち好きでこんな生活選んだわけじゃないっていうことなので、国が責任を持ってやるべきなんでしょうけれども、それを求めていきたいとは思いますが、たぶん福島県の人は、私も含めて国のいうこと、県のいうこと、東電のいうことを信じていませんっていう人が多いんじゃないでしょうか。
発言A:12月の初めに文化祭をやりました。東北の大震災、福島原発のことが中心の「生きていくっていうことはどういうこと、それを子どもたちにどう伝えていったらいいのか」というのがテーマになりました。居ても立っても居られない気持ちでたくさんの仲間が東北の特に福島の方へ支援に行っていますが、その報告をDVDにしました。それをみんなで観ました。
取り組みとしては、福島の子ども達が外でドングリ拾いとか松ぽっくりを拾えないということで、御所にドングリ拾いに行って送りました。それを送ったことで直接お手紙をいただきました。それから、とにかく寒いので被災者に贈ろうということで、膝掛モチーフと帽子を40何個編み、それを直接届けていろんな話を聞いてくることとかやりました。どうしても地域の子ども達に伝えたいということで、「これを使って授業さしてください」って、行かれた本人が学校の方とお話をして、いくつかの学校でとりくみました。東電に対しても責任をとらせたいと思いますし、今までの原発神話を広げてきた日本の政治のあり方を一人一人がもっと厳しくとらえて、いろいろ活動することが大事だと思います。小さくても取り組みを積み重ねて、地域につなげていく、学校とつながっていく、そういうのをもっと広げよう、そういう決意をして終わりました。
発言B:私は今年度で退職ですが、その年に3.11があって非常にショックキングでした。今まで原発について何も教えてこなかったという責任みたいなものをものすごく感じて、何が何でもしないといけないということで授業を組みました。
たとえば文科省の方は例の副読本を出して、この事件があってからスッと引っ込めましたけども、すぐに次のバージョンを用意して、今度用意したものはほんとにひどい内容で、原発のゲの字もないわけで、水仙の話から始まって安全をさらに言っているというのが腹立たしいです。そういう意味合いで、教師は今年度中に何がなんでもたとえ少しでも授業していかなくてはいけないなと思っています。文科省の方は逆にすみやかに、安全神話を作ろうとしているわけですから、今年手を出さないと持っていかれるような危機感を持っています。
片方で、関電では冬の節電までやっています。新聞社の全面広告、五社出しています。あれ二千万ですから五社で一回、一億使っています。そういうことをしている向こうは、さらに原発を強固なものにしたいと思っているんだろうなと。
教師としてはちょっとずつみんながあちらこちらでやっていくことが重要なのではないかと思っています。この東日本大震災の福島原発の事故から高校生が何を学ぶのかということで何か取り組みをされていたらお聞きしたいです。原発とか放射能の教育で、教材化ということに関してどういうふうな点があるのかお聞きしたいと思います。
ちなみに私は、理科の教師で京都の高校三年生の女子高校生が今年の夏、理科基礎という科目で、それの東京書籍の理科基礎の一番後ろに「原発、イエスかノーかディペイトしましょう」といった課題研究があったんです。その課題を夏休みの間に書いてきなさいと。途中からですが、紹介します。「被爆すると、白内障や皮膚損傷、血液失調、不妊などになることがある。さらに放射能がDNAを傷つけることから発がんのリスクが高まる。さらにその遺伝的影響が生じる可能性も高まる。そんなリスクも背負いながら原発に依存していくことを誰が思うか。これだけではない。福島原発周辺の農家でとれた農作物から基準値を含まれていることから出荷できずとか、汚染されたわらを食べた牛が内部被曝をしていたことがわかり出荷できず、そんなニュースを最近毎日のように見かける。直接的に被曝していなくても放射能の影響は罪のない人々に被害を与えているのだ。原発さえなければ。テレビのニュースでそんなふうに話している人がいた。原発によって人生をむちゃくちゃにされた。そのように考える人はもっとたくさんいるはずだ。原発は人を不幸にするものなのになぜ造られてしまったのか、そしていまだに脱原発に反対する人がいるのは何故か。全く理解できない。私は今まで何も知らなさすぎたのだと思う」と、書いている。「原発にイエスかノーか」22人の講座でしたが三年生に聞いたところ19人がノー、3人がイエス「仕方がない」、そういう結果でした。だから非常に健全だなあと思いましたので、ぜひ福島でもどういうふうに教材化されているのか、実体験にもとづいた教育実践があればまた教えていただきたいなと思います。
発言C:先生はたくさんの高校生と話をされてると思いますが、印象に残っている高校生の生の声があったら教えてほしいです。また記念誌を発行される時に高校生の声もぜひ載せていただきたいとお願いして終わります。
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