事務局 | 2011年度年報もくじ |
![]() |
京都教育センター 第42回研究集会 第3分科会 「学力の基礎と教育課程を考える」 小野 英喜(学力・教育課程研究会) (*この報告は、京都教育センター事務局の責任で編集し、見出しは編集者がつけました。 |
|
1.はじめに 2009年以来、学習指導要領の改訂に伴う教育課程づくりの研究のテーマとして、各教科・科目の「基礎的な学力とは何か」を設定して、研究活動を進めると共に本分科会でその研究と各学校で取り組まれている実践を結合することを続けてきた。 今年度は、「基礎的な学力とはなにか」を検討するため、キューバや南アメリカの「識字学級」に象徴される基礎学力を育てる国家的事業とその意義を、キューバを訪問して視察された大塚冨章先生(元京都市立小学校)に報告していただいた。さらに、3.11で甚大な被害を被った東日本大震災とそれに連動した福島第一原発事故とそれに伴う学校教育の緊急の課題として教育課程上の問題点を検討するために、市川章人先生(府立高等学校)と辻健司先生(京都市中学校)の二人に提案と実践を報告していただいた。 本年度は、14名の参加で充実した研究を行うことができた。 2.基調報告 今日の教育問題としての基礎学力とは何か 小野 英喜(京都教育センター) 改訂学習指導要領に基づく学校教育が始まり、懸念していた通り、いくつかの課題が明らかになった。それは、@学習内容の増加による「ていねいな学習」ができなくなったこと、A特別活動が態度主義になり、教師の「指導性」がより強められ自主活動としての子どもの学習する権利が子どもの権利条約を軽視することとも合わせてないがしろにされること、B教育基本法の改悪が反映して、教材が科学的な考古学から神話に置き換わり、教材の道徳教育化と新保守主義化が義務教育と高校の全教科で強要されていること、C教育評価や新自由主義の教職員管理で教員の教育権が著しく制限されていること、D2009年日本原子力学会の学習指導要領と教科書に対する徹底的な攻撃(提言)と、10月に文部科学省が出した「放射線副読本」は、日本の国民が直面する生存の危機でもある福島原発事故をどのように理解し対応するかという大きな課題に対して、資本の論理で学校教育を使って押さえ込もうとしていることである。E福島原発事故と学校教育との関係では、原発と原発事故を理解するという点で、この30年間の学校教育で子どもだけでなく成人の多くにも、自然科学と社会科学の基礎学力が身についていないという課題が明らかになった。 一方では経済と政治の状況を反映して、子どもたちの生活と学習の権利を守ることすらできない状態におかれている。今年の6月時点での「パートタイム労働者総合実態調査」の結果、パート労働者が従業員に占める割合は、27%になり、非正規労働者の割合が5年で3.5%増加して34.4%になったことを発表した。これは、1990年以降では最大で、親の労働条件が急速に低下し、子どもたちの家庭環境と学習環境の悪化が進んでいることを示している。学習指導要領の改訂で、学習内容が増え、授業時間数がそれに見合って増加していない状況では「家庭学習」や「塾・予備校」などでの補完を前提とした義務教育が行われている。このような中で、国民としての必要な知識や理解、さらに将来の労働を保障するための「基礎となる知識・理解・技術」の獲得は、すべての子どもに平等に保障されていない実態が歴然とあることを見据える必要がある。高校を中退する生徒をつぶさに検討すると、@低学力と学習意欲の欠如、A基本的な生活習慣が形成されていない、B人間関係を築くことができず、孤立している、Cもの(携帯・mail)・小動物(イヌ・ネコ)・性行動・薬物への依存D親からのDV・Neglect)E貧困層の固定化政策下)などを列挙できる。 学力を身につける意味は、@人間としての発達を保障すること、Aだまされない、科学的な物の考えを身につけること、B社会の中で人間関係を結び、労働能力の基礎をはぐくみ、集団・仲間と生きていけるようにできることである。今、学習指導要領の改訂ともかかわり学力をめぐる課題が大きな関心事になりながら、学校内や教師間で学力の内実や学力観をどのように捉えるか、その評価をどのようにするか、また学力保障の方法論においても一致して取り組むことができる方向性を見出せないでいる。 その一つが、学習指導要領の改訂とその学力観、学習観の変転があり、第二には、教育実践の課題として多様な学力観が子どもたちの学習を保障しきれていない点である。それは、@学力をどのような学習内容にするか、Aその学力内容は、子どもの要求(親の願い、社会の要請)に合っているか、Bそれが学習過程(指導過程)を経て保障できたかどうかの評価をどうするか、C学力保障の要になる学習・授業をどのようにするか、D競争的教師管理に対してどのような展望を持つか、などである。私たちは、現在の教育課題を克服するために、各教科・科目と特別活動で「何を」(基本的な指導事項)、「どこまで」(到達目標)、「どのように」(教材、授業過程)を集団的・自主的な検討によって具体化することで、これらの指摘に答えることができる。 報告1 「南アメリカの識字学級とキューバの教育事情」 大塚 冨章(元京都市立小学校) (1) キューバは、1991年から、当時のソ連の援助がなくなり、独自の国つくりを進めていった。その方向は、建国の父といわれているホセ・マルティの「長い植民地時代を経て自らの力でかちとった独立を守り、他者には縛られない国を作るためには、すべての国民に平等な教育機会を与え、自分でものを考えることができる国民を育てなければならない。」という言葉が示すように、教育を重視した。その結果、「ストリートチルドレンがいない国」、「子どもは社会全体の宝であり財産だから、育児は母親一人に託すものではなくみんなで行うものだ。」という考えが政策の中心になり、それが実行されている。そのため、若者の目は輝き、子どもは豊かに成長しており非常に親切である。 (2) 教育政策の一つが「識字率向上運動」で、1960年に国連でカストロ大統領が演説した「読み書きができないものは、人類の遺産を奪われている。1年で文盲を根絶する」を実現する取組みであった。それは、「識字力向上委員会」を組織し、親の了解の元に10万人の中・高校生を2週間の訓練をして、2冊の本とランタンと毛布を持って農山村に送り、「知っているならば教えよう。知らなければ学ぼう。」を合言葉にして1961年には、非識字率を38.3%から5.2%にした。当時カストロは、「450年にわたる無知を破壊した」と述べていた。当時高校生としてこの運動に参加した人は、「人生で最も重要な唯一つの経験を問われたら、それは識字力向上運動への参加で、この世に存在するとは思わなかった貧困という現実に触れた。」といっていた。 キューバでは、15歳以上で読み書きができない非識字率は1%程度である。しかも、教育と医療はすべて無料で、教育は国民の権利として位置づけられており、地域が子どもを育てることは徹底していて、家へ帰ると「学習の家」があり、指導者がいて学校で習った内容を復習している。決して子どもをけなしたりはしない。その他には、保育園が完備していて、女性の社会進出が多く、親が育児困難な場合は、乳幼児の寄宿舎もあり、障害を持つ子どもにもそれに合わせた保育園がある。就学前の1年間は、学校が預かっている。小学校は20人クラス、中学校は15人クラスで、社会に役立つための教育として「ピオネーロ学習」がある。障害児教育も完備している。 (3) キューバの識字力向上教育は、ラテンアメリカ、カリブ海(非識字率12%)やサハラ以南の熱帯アフリカ(非識字率40%)、南アジア(非識字率45%)の28カ国に広がっている。その識字教育プログラムは、「ジョ・シ・プエド(わたしだってやれるさ)」をタイトルにした20ページのテキストを使ったもので、@誰にでも身近な数値と言葉を組み合わせた読み書き、A文字はアルファベット順ではなく、母音と使用頻度に応じて。はじめに学ぶ言葉は、家、家族、キス、太陽、月である。B生徒の人生経験を基にして教材を作成し、身近なことから世界的な意味へ、C学習時間は、1日に30分を二回、週に5日間、3ヶ月でマスター、D各地域のアイデンティティ、習慣、宗教、方言、文化、クラス人々の個性を尊重する。 15日間キューバに滞在して、「ヘミングウェイの愛せし理由がわかる気がする。貧しいけれども伸びやかなキューバである。」「ふるさとアフリカの大地に思いを寄せるのかルンバを踊る輪が激しくゆれ、マラカスの乾いた音とコンガの音がいつも流れる村」「ケセラセラと口遊みながらハバナの街を歩く」という感想をもった。 報告2 「原発事故と学校教育−文部科学省の副読本をめぐって」 市川 章人(府立高等学校) (1) 電力会社や経済産業省・文部科学省は、これまで国民だけでなく学校教育に対して原発の「安全神話」を子どもに押し付ける企てを行ってきた。それは、教科書の記述やさまざまなパンフレットや教材などである。ところが、3月11日の福島原発事故後の2011年10月に、文部科学省は小学校から高校まで学校種別の「放射線副読本」を作成してこれまでよりも徹底して「安全神話」を学校教育として徹底することをねらっている。しかねも校種別に「解説編教師用」まで作って細かくその内容を指示している。 日本の原発推進勢力は、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故が起きた後にも、日本の原発が安全だと国民に「安全神話」を振りまいてきた。日本原子力文化振興財団は、「世論対策マニュアル」をつくり、「事故時を広報の好機ととらえ利用すべきだ」「事故時の広報は、当該事故についてだけではなく、その周辺に関する情報も流す。必要性や安全性の情報を流す。」というものである。原発政策に従う国民をつくる上で特に重視されるのは子どもを標的にした教育への介入である。 (2) その@に、日本原子力学会による「新学習指導要領への提言」がある。それには、「小学校理科の教科書では、原子力が発電時に炭酸ガスを排出しないことを、又社会科の教科書ではエネルギー資源や環境問題の解決索の一つとして原子力発電がすでに国内外で広く利用されていることを分かりやすくていねいに教える」とか、「放射線に対するアレルギーとなる記述は改めるべき」「原子力施設の安全性は高く、実際にはガンや自動車の事故などよりもリスクが十分小さいことを・・・教えるべき」とまで述べている。そのAとして、来年度から使用される中学校の教科書には、自由社の公民教科書では、「原子力発電では安定性の高い技術を確立した」と記述している。育鵬社の教科書では、もっとも危険な高速増殖炉を「二酸化炭素をほとんど出さず、原料のウランを繰り返し使える利点がある」とまで美化している。他社の教科書でも、「原発は二酸化炭素を出さないので環境によい」と記述している。 文部科学省が2009年に作成した副読本を4万部配布し、2010年には、日本原子力文化財団が30校でこの副読本輪 使った無料の出前授業を行った。福島原発事故後の2011年10月に文部科学省がつくった副読本「放射線」には、福島原発を全く無視しており、原発の仕組み、放射性廃棄物の処分、大事故の実態、その原因、地震と津波の影響は全く記述されていない。放射性物質についても全く触れず、内部被曝も無視して、100ミリシーベルト以下の被曝については「明確な証拠がない」から被曝リスクがないとしている。副読本に書かれていないこことこそ、子どもたちにとって必要な知識である。 (3) 2011年の副読本には、「解説編教師用」があり、そこには、放射線が「怖くないもの」として教えることを強調している。例えば、「自然界では常に放射線を受けていること」、「放射線が社会の中で利用されていること」、「ガンなどの病気にはいろいろな原因がある。放射線が原因と考えられるガン死亡が増えるという明確な証拠はない」、「放射性物質を扱っている施設では、常時、放射線を関し・管理していることを理解させる」、「事故後しばらくたつと、・・・それまでの対策をとらなくてもよい」、これらは、これまでの政府や電力会社の主張を、文言を変えただけであり、新たな「安全神話」で原発の安全性を教えたり、放射性物質を吸い込む危険性を無視してウソをついたりして子どもたちを危険にさらす「犯罪的な文言」が書かれている。 そのほかにも、間違いや問題点が多数あり、この副読本が学校で使われることは極めて危険である。教員が学習活動を通して正しい知識を持ち、子どもたちに教えていくことが必要であり、そのためにも書く学校や地域での学習会を開催し、原発事故の全体を教材にした自主編成が望まれている。 報告3 「原発問題の授業をどのようにすすめるか」 辻 健司(京都市立双ヶ丘中学校) 福島第一原発の事故後、日本に初めて原発がつくられた東海村の村上村長は、「村民の命を守るのが村長の努め」として「脱原発」を鮮明にした。再稼動や原発輸出をねらう政府に腹を立てつつ、今まで原発に対して「放射能を出すけど二酸化炭素は出さない」程度のことしかやってこなかった。今回の大惨事をきっかけに「ちゃんとした授業をしよう」と思って、事前アンケート(診断的評価)をして、B4版8ページのワークシートを作成して2年生の139名を対象に社会科の時間に実践した。 原発授業の一週間前に実施した事前アンケートでは、69%が原発の仕組みを知らない、71%が日本に原発が50基もあるとは思っていない、92%が漫然と怖いというイメージを持っている、学習前に87%が原発を安全と思っていない、57%が原発で発電しないと電力不足になると思っている、などであった。 (2) 地理の教科書では、資源とエネルギーの節で、原子力発電や新エネルギーについての記述はあるが、そこには、「原子力発電は、石油や石炭を使った発電のように二酸化炭素を大量に排出することはありません。」(日本文教出版)とか「(原発は)二酸化炭素を排出することなく効率的に発電できますが、安全性の向上や放射性廃棄物の最終処分所をどこに作るかの課題がある。」(帝国書院)などの記述がある。 (3) 原発問題の授業づくり 社会科では世論が大きく分かれる問題を扱うことがあるが、問題点を整理し、基本的な知識を教えた上で、「君たちは同考える?」と投げかける。しかし、原発に関しては、最初から脱原発で組み立て、社会科の授業が原発復活の道具になってはならないと考える。 授業づくりの基本的観点は、@基礎的な知識を教える。Aなぜ原発が増えてきたのか、その背景を教える。B再生可能エネルギー社会をつくっていくためにはどのように仕組みを変えていくかを考えるための知識を教える。Cメデイア・リテラシーの観点から「電力不足」キャンペーンにだまされない力と、自分の意見を持てるようにする。 授業づくりの方法として、・原発はどんな仕掛けで発電するか、・日本と世界に原発がどれだけあるか、・なぜ原発は、海岸部や過疎地につくるか、・福島第一原発でなにが起こったか、・放射能はどんな被害をもたらすか、・夢の原子炉とは何か、・プルサーマル計画とはなにか、・原発が二酸化炭素を出さないのは本当か、・原発は発電コストが安いのは本当か、・原発がないと電気が不足するのは本当か、・電力政策の問題、・自然エネルギーに切り替えるためにはなにが必要か、を項目としてあげている。 授業過程は、1時間目「NHKスペシャル・チェルノブイリの映像、原発とは、〜夢の原子炉」、2時間目「NHKドキュメンタリー・飯舘村、原発のゴミ〜CO?を出さないか」、3時間目「NHKドキュメンタリー・飯舘村、コストは安いか〜自然エネルギー」、4時間目「復習と問題提起、感想文の作成」 授業後のアンケートでは、「かなり怖い」が66%に増え、「福島第一原発は誰がつくったか」の正解も事前アンケートの46%から85%に増えた。「原発を減らす」は、89%になり、今回の授業について、「とても良かった」が70%、「よかった」が27%に達していた。生徒は、原発問題を知りたがっている、学びたがっていることが分かった。さらに、「なぜ原発をつくってきたか」は、戦後史の学習が不可欠になり、原発を増やす仕組みや交付金の問題など政治とからませるためには、地理の学習よりも公民で扱ったほうが核心に迫ることができる。「脱原発」に向けて、中学校社会科として限られた時間でどのような知識・批判力・思考力をつけるのか、プランの作成が必要である。地理ではエネルギー問題の基礎的な知識や原発の危険性、自然エネルギーの学習、歴史では、被爆国として誰が何のために原発を作ったかの戦後史学習、公民では電力政策・税金の使い方・自然エネルギーへの展望を組み合わせたい。 この実践を「なぜここまで原発が増えてきたか」、「どうしたら再生可能エネルギーに転換していけるか」を考えられる授業に発展させたいというのが私(辻)のねらいです。 分科会討論から ・ 中学校の荒れが再び目立つようになった。対教師暴力が頻発する、いじめが起こるなど深刻である。これは、基礎学力がつけられていないことや模高校入学ができないなど生きる展望を持てない生徒が増えていることの反映である。基本的なことは教え込まないといけないのではないのではないか。 ・ 原発の学習には、科学の基礎的な知識が必要で、そのためには原子、分子、核、電子などの物質の基本を教えることが必要である。基礎的な語彙を身につけていないと、理解は進まない。 ・ 関西電力は独占企業で宣伝が必要ないのにマスコミに年間2700億円も使って宣伝している。これは、電力会社がマスコミをコントロールするための対策費用であり、その金を受け取っている新聞やテレビは本当のことをかけなくなっている。このようなマスコミからしか情報を得ることができない。 ・ 原発のことを知らなかったり、基礎学力の中に原発を理解することをいれなかったりするのは、文部科学省の学習指導要領によるが、教員養成の課題でもある。教員の学習会を組織することが今大切。原発やTPPなど子どもが知りたいという要求は大きい。子どもたちにきちっと教える必要がある。 ・ 辻実践は、感性的認識から理性的認識へとさらに、さらに、父母にも訴え、行動するまで発展させている。分かりやすいパンフレットを作るなど、意図的計画的に原発についての多様な意見を聞いたりする場をつくる必要があるのではないか。教える教師は、全体像を捉えなければならない。 ・ 基調報告は、今日の学力問題を的確に整理されて分かりやすくてよかった。基礎学力を全ての子どもに保障していくことの意味と課題の考え方は、まさに原則的なものである。「キューバ報告」は、教育問題を超えて人間の生き方、社会のあり方まで考えさせられた。原発の中学での実践は、教科書問題を乗り越え、教育実践の自由とは何かという基本を提起するものであり、感動した。 ・ この二日間「脱原発」を考える機会になり今年を締め括るのに相応しい集会となった。 |
||
|
事務局 | 2011年度年報もくじ |