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京都教育センター          2010.5.10

     
教科教育研究会・国語部会通信

         編集・発行 教科教育研究会国語部会(会員用:部内資料)       

              第 42 号


2010全国一斉学力テスト・国語(小)問題分析


 今年度の学力テストは、三割実施とされたが、「希望参加」により実質的には七割を越す実施となった。それは、お先棒をかつぐ人気(?)知事などが「結果」「点数」ばかりに目がいくキャンペーンを展開し、あたかもその点数が「学力」の度合いであるかのように宣伝していき、その「点数」があたかも現場教師の怠慢からのものであることを煽った結果としては、当然のことではあるが。

 国語部会は、これまで本質的には、その「国語問題」が国語教育として確かなものであるのかどうかの検討が最も大切であり、それを意図的に抜きにしていく現在の状況は、国語教育を歪め、その内容を変質していくもの=国語教育の空洞化・崩壊を進めていくものであること、そして「改訂学習指導要領・国語科」に示された、言語処理能力の訓練とスキルアップばかりの国語科指導になっていくための下ごしらえであることを指摘し続けてきた。

 今年度に「採択」される小学校新教科書は、その危惧を現実のものとすることが、次第に出始めている。  今回の教科書作成・編成は、ほとんどその姿を見せずに進められ、したがって現場の状況や意見、要求などがほとんど反映されずに進められたこと、言い換えれば「指導要領」という「規制」に忠実に沿ったものとなることを如実に示したものであるといえよう。それがやっと検定終了段階で出始めてきている。新聞報道では、「新聞記事の読み比べ」などが各社に入っているという。「論理的な文章を読む」ことをしっかりと学習することなく、「実用的」に読むことに偏重した教材は、おそらくこれだけにとどまらないだろう。  その視点から見ると、この学力テスト・国語問題は、個々の問題内容の表面的な問題を指摘することだけでなく、それがどのように意図されている国語科の変質と繋がっているのかをしっかり見ていくことが大切である。


今年度の国語問題の内容と問題点

国語A

1 漢字の読み(慣れる・目次・清潔)漢字の書き(久しぶり・技術・変化)
2 説明文の読み(読みとりと二つの語の挿入の組み合わせ/多くなる・多い)
3 物語文の読み(読みとりと三人の名称の挿入/母さん・おじいちゃん・ぼく)
4 児童会だよりの読み(項目の挿入/開会式の集合時こくにおくれず)
5 意見文の順序の並べ替え(@〜Cの内容に合わせて)
6 説明(発表)のいいところ(4択)
7 多義語を国語辞典で調べる(4択/1〜4の中での同義のものを選択)
8 方言と共通語の使われ方の選別(1〜4を二つずつに)
9 複合語の構成 (複合されたもの/走り続ける・構成する語/結ぶ)

 国語A問題は、このようになっている。これまでと比べると、語いなどの内容が入り、基本的と言えるものではあるが、その内容は、技術的で瑣末なものである。


国語B

1 学校新聞についての二つの「意見カード」の内容の読み(問題点/くわしく分りにくい・方法/写真を入れる)
2 物語文の読み
   一、あらすじまとめ (1)「中」のあらすじを40字以上60字以内で書く
               (2)発表の中の、二つの「誰が」を4択(読者/宇宙人)
   二、物語文を読んだ感想を三つの条件に合わせて、60字以上80字以内で書く
                       (感想を書く・その理由を書く・字数制限)  
3 写真@Aと発表原稿を読んで答える
   一、二枚の写真の使う場所を選ぶ(5カ所から)
   二、よかったと評価されたことの説明をする
   三、質問されたことの種類の判別(4択)
4 目覚まし時計を買うためのインターネット情報と決定のための二つの項目から、どの時計を選べば良いかを書く(「情報」と「項目」のどちらにもふれながら/60字以上80字以内で・解答用紙に一行の書き出しあり)

 国語B問題は、このようなものである。


改訂学習指導要領の「言語活動」は

 この学力テスト・国語問題の内容が、改訂学習指導要領・国語科で示された指導事項をどのように具体的なものとしていくかを意識して作られたものであり、それらの「類似問題」を大量に流布し、現場に持ち込ませることによって、それを先行してとりくませるものであることを、私たちは指摘してきた。それは、もう一度何が提示されているかを挙げると、以下のようなものである。

1・2年(低学年)
             説明・報告・感想・尋ねる・応答・話し合い・あいさつ・連絡・紹介・想像・観察・
           記録・メモ・手紙・演じる                など
3・4年(中学年)
           説明・調査・意見・話し合い・詩・物語・調べる・収集・依頼状・案内状・礼状・感
           想・記録・報告・辞典図鑑利用・紹介・情報        など
5・6年(高学年)
           資料提示・説明・報告・助言・提案・討論・推薦・詩・短歌・俳句・物語・随筆・編
           集・伝記・解説・記事                  など
というものであるが、この限られた問題の中で、それらが多く具体化されている。

 私たちが指摘し続けているように、この「国語問題」は、指導要領・国語科に提示されたものをどのような観点で、どこで、どう具体化すればいいのかを示すことをめざすものである。その視点から見ると、国語A問題で、2のように、説明文は、その内容を主体的に読むのではなく、書かれていることに沿って情報(内容)を整理することが基本的な視点となる。また、3での文学作品の読みについても、「だれが」「なにを」といった、書かれている事柄や展開の読みにとどめ、形象を読むという文学の読みの本質に迫ることはないのが基本となる。

 1、7、8、9については、「文字」(漢字)・「語い」(多義語・方言と共通語・複合語)の問題であるが、4、5、6については、言い換え・文章構成整理・説明評価という、内容を抜きにした言語処理の技能のみが問題となっているものである。  これが、私たちが「『言語処理能力』だけを問題にする国語科指導」と指摘するものである。

 それは、国語B問題では、一層顕著となる。 1は、具体的に示されない「学校新聞」について、二つの「意見」を「まとめる」ことだけが問題となっている。 2は、物語文の読みはなく、その視点から「誰が」を考えることと、「感想」が条件に合っているかどうかだけが問われる。 3は、提示された「発表原稿」と「二枚の写真」から、その構成についてと、示された「評価」の根拠、「質問の種類」が問われている。 4は、「インターネットの情報」から、自分で決めた「二つの条件」に合うかどうかだけを観点として、条件に合わせて「理由」を書くこととなっている。

 これらは、問題が多様に見えるが、じつはどれもが「言語処理」だけが求められているものであり、主体的にとらえること・考えることがすべてスポイルされている。ここに本質がある。


何を問題にするべきか

 このように分析してくると、私たちはこの問題について何を問題としなければならないのかが明確になってくるのではないだろうか。それは、以下のようなことである。

@これまで提起し続けてきたように、この国語問題に見られるものは、国語教育を「言語処理能力」の項目にそって、スキル・訓練に終始するものとしていくことを明確に示した。それをどう批判していくか。
Aそのなかで、最も深刻なことは、「主体的に」言語活動をしていくことが、完全にスポイルされてきていることではないか。とりわけ、「理解」「表現」における主体性が問われることをどのように提起していくか。
Bこれが、幼児教育からの「『ことばの力』育成プログラム」(幼・小低/「聞く・話す」、小3〜5/「プレゼンテーション」、小6〜中1/「文章力スキルアップ」、中1〜2/「思考力・文章力スキルアップ、中3〜高1/「英語・日本語表現力向上」)などとして具体的にとりくまれようとしていること、そしてさらに、高校教育での「キャリア教育」へと向かい、「人材教育」の完結をめざすという政策に対して、どのようにとらえ、批判していくか。
Cこれらの「試行」「先行」の実態がどのようなものであるのか、その実態・現状をしっかりととらえ、批判していくこと。
D国語教育の「言語についての学習」「説明文教育」「文学教育」「作文教育」について、何がどう攻撃され、どのようなおしつけや規制が進められているのかの把握と、それに対しての批判とそれを乗りこえる実践を進めていくこと。


確かな国語教育の実践をめざして

 このような状況の中で、今、わたしたちがしなければならないことは何か。  国語部会では、私たちが理論的実践的につみあげてきた、「国語教育・三分野説」についてさらに学び、その理論を検証し、実践をつみあげていくことを提起している。

 それは、国語教育が「ことばの力」をたしかに・ゆたかにつけていくことで、子どもたちの人間的成長をめざす国語教育=人格形成をめざす国語教育にとりくんでいくことである。

 わたしたちが考える「ことばの力」とは、国語教育・三分野説にそくして、言語教育(言語の学習と説明文教育)・での「論理としてのことばの力」、文学教育での「形象としてのことばの力」、そして作文教育での「生活としてのことばの力」である。

 その「言語の学習」「説明文教育」「文学教育」「作文教育」のそれぞれの分野での独自性をどうおさえて、国語教育としての実践を進めていくか、現代の子どもたちにとって、それがどのような意味と役割をもつか、さらに追究していきたい。

 
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