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国語教育の学力を考える(5) 「学力テスト」「改訂学習指導要領・国語科」の国語教育の基礎・基本の崩壊を具体的に考える 〜 論議を深めましょう!「国語の学力」問題 〜 京都教育センター・教科研究会国語部会 浅 尾 紘 也 |
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国語部会通信31号で、「改訂学習指導要領・国語科」と連動する「学力テスト」が、国語教育の基礎・基本をどう崩壊させようとしているのかを提起した。 それは、もっと深く論議されねばならない問題である。 その具体的なことをいくつか示したが、ここでは、もっとも象徴的に現れているものを具体的に分析し、それがさらに深く論議されることをめざしたい。 08「学力テスト」のA問題・6では、このような問題が出されている。 前田さんの学級では、「小学生の運動」について調べて分かったことをもとに、意見を発表することになりました。そこで、前田さんは、発表しやすくするために、次のように下書きを発表原稿に書きかえました。下書きと比べてくふうしたところを一つ取り上げて説明しましょう。 【下書きの一部】 全国の小学校六年生のうち、約百四十万人が、この調査を受けました。その中で、授業以外で運動やスポーツをしている人は、約百六万人います。そのうち、約六割の人が、一日一時間以上、運動やスポーツをしています。 ↓ 【発表原稿の一部】 全国の小学校六年生のうち、約百四十万人が、この調査を受けました。その中で、授業以外で運動やスポーツをしている人は、約百六万人います。 そのうち、約六割の人が、一日一時間以上、運動やスポーツをしています。 そして、テストの「結果と課題」として、次のように書かれている。 「正答の条件」 ・数字を正しく伝えるために、行の一番上に数字がくるように文のとちゅうで行を変えている。 ・文の区切りを明確にして話すために、三つの形式段落にしている。 として、採点に際しては、次の条件などを満たして書いている。 @工夫している事実を書いていること ・文の途中で改行していること ・三つの形式段落にしていること A工夫した理由を書いていること ・数値を正確に伝えることができること ・文の区切りを明確にして話すことができること が示されている。 そして、「解答の類型」「反応率(%)」「正答」は、次のようになる。 1 条件@、Aのいずれも満たして解答しているもの 1.1 ◎ 2 条件@は満たしているが、条件Aは満たさないで解答しているもの 73.1 ○ 3 条件@は満たしていないが、条件Aは満たして解答しているもの 15.3 9 上記以外の解答 0.1 0 無解答 10.4 このような「基本の問題」とされるA問題の内容、そしてその「結果」は、どんなことを意味し、何を示しているのだろうか。 出題は、「工夫していることを一つ取り上げて説明」とされているのだが、解答としては、「工夫している事実」と「工夫した理由」を述べることを正答条件としている。しかし、「下書き」と「発表原稿」との対比は、本当に「基礎・基本」の内容だろうか。それは、「段落切り」ということを提示していると言いたいらしいが、正確な段落にはなっていない。それならば、 【段落構成の整理】 全国の小学校六年生のうち、約百四十万人が、この調査を受けました。その中で、授業以外で運動やスポーツをしている人は、約百六万人います。そのうち、約六割の人が、一日一時間以上、運動やスポーツをしています。 となる。 このような「段落」を意識していく学習は、言語学習の「表記」の内容である。 しかし、もともとこれは「発表しやすくする」ためでも、「伝えやすくする」ためでもない。「段落」を意識することは、文章の構成を通して、論理的に考え、理解したり表現したりする力をつけていくことをめざすものである。さらに、残念なことに、このような「表記」学習が教科書教材として正確に配列されていることはほとんど無い。けれども、説明文教育を通して「段落」について学ぶことを進めることはかなり努力されているが。けれども、そんな学習も「活動」ばかりがもてはやされる現状では、なかなか難しい。 さらに、「数字が行の先頭にくるように改行する」ことは、何の原則にものっとっていない。ただの一方法ということに過ぎない。一般的には、数字や強調する部分を意識して発表するとしたら、傍線・下線を引くとか、蛍光ペンでなぞるとかすることが多いだろう。そんな出題に対して解答を出すにためは、子どもたちは、この問題に対して、ずいぶん戸惑ったことだろう。それは、言語の基礎・基本=「原則」を無視して、無原則的に「改行」されていることを、類推しなければならないからである。まさにクイズ的に、である。 示されたものが、「段落」としては正確でなく、「改行」は恣意的で、意図を測りかねるものであることは、大きな問題である。さらに、「採点についての観点」で、それが、「数値を正確に伝える」とされていることは、改行して数字を先頭に置くことが、「正確」であることとは無関係である。そして、「文の区切りを明確にして話すことができる」ことともほとんど関係がない。つまり、この正答とする内容そのものに根拠がない。そして、もっとも重大な問題は、それを「学力」として考えるということである。 このように、「基礎・基本」をおさえずに、根拠のないクイズ程度の内容をさも権威のあるもののように出題していることの責任は、「学力」についての見識を問うという視点から、しっかり追求すべきだと思われる。 先に、言語学習が論理的な力をつけることをめざす学習であると述べたが、その本質を無視して、数字が先頭にくるように改行することが「声に出して、発表するために工夫したところを説明するものである。工夫している事実として、文の途中で改行していることや三つの形式段落にしていることについて説明する必要がある。」(文科省・国立教育政策研究所)とすることは、言語操作の技能・技術だけを問題にし、それを「学力」としていることである。 これまでのいきさつから大胆に「予想」すれば、どこかのなんとかいう会議か審議会で、どこかの社長か役員かが、「近頃の若い奴はプレゼンもきちんと出来ない」とか、「報告ひとつ正確にできない」なんていうことを、いかにも正しく現状分析しているかのようにしゃべったことを、担当の役人が、いかにもごもっともと、具体化しようと考えたのではなかろうかと思ってしまう。 それは「正答率」で、「事実」と「理由」がほとんど一致せず、「公表」された「正答率」は、「74.1%」となっているのだが、本来なら「1.1%」というほとんどの子どもたちに答えられないものであったことは、それが本質的に国語教育としては問題外と言えるものであることを意味している。 このような問題の「点数」をあげることを考えるとすると、内容も論理も何もなく、ただクイズ的に問題を処理することばかりを訓練する他はない。それは決して子どもたちの力にはなっていかないことは明白だろうし、このように技術・技能ばかりを訓練することが、本当に子どもたちに学力をつけることではなく、それを意識的にさせないことを考えているようにすら思える。 しかし、そのような「技能訓練」や「クイズ的学習」、「ことばのもてあそび」が国語科指導の流れとなるのではないだろうかという危惧を現実のものにさせていく方向性を示したのが、「改訂学習指導要領・国語科」であることは、この設問を象徴的なものとしてとらえ、国語教育の本質を広く提起していくことを私たちの課題としていくことの重要性を自覚していかねばならないのではないだろうか。 それにどのようにとりくんでいくかを論議し、進めていくことこそが、今、必要である。 |
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