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京都教育センター          2008.12.15

     
教科教育研究会・国語部会通信

         編集・発行 教科教育研究会国語部会(会員用:部内資料)       

              第 31 号


国語教育の学力を考える(3)
国語の「基礎・基本」とは何か
  

       京都教育センター・教科研究会国語部会 浅 尾 紘 也


今回の改訂学習指導要領のもつ特徴のひとつが、「基礎・基本の学習」と「活用の学習」さらに、「態度」が、「学力」の三つの要素としてとらえられ、分離されたものとして学習を進めていくことが意図されていると言われる。

 その指摘は、一面ではその通りであると納得できるが、とりわけ「国語」にとっては、そのとらえ方でいいのかという思いもある。と言うのは、「国語の基礎本とは何か」について、これまで何が示されていたのかは、極めて曖昧、というよりまるで示されることなくきているというのが事実である。

 この改訂学習指導要領が国語教育にとって、いや教育にとって大きな転換点になるものであると考えると、それはもっと深く論議しなければならないものではないだろうか。


 国語教育語語教育の「基礎・基本」はどう考えられてきたのか   

 この改訂学習指導要領の起点ともいうべき90年代の学習指導要領は、あまり意識はされなかったが、国語教育にとってもかなり大きな問題点をもつものであった。それは国語教育にとっても、領域構成そのものが変えられるというものであった。

 それは、「理解」「表現」「言語事項」の二領域一事項が、「話す・聞く」「読む」「書く」「言語事項」の三領域一事項となった。しかし、あまり問題とならなかったのは、この三領域一事項は、二領域一事項になるまでの構成であり、表面上は元にもどったということであったからであり、さらに、その二領域である「理解」は、もとの「聞く」「読む」を合わせたもの、「表現」は「話す」「書く」を合わせたものにすぎず、内容的な変化はなく看板のかけ替えに過ぎないものであると考えられたからである。事実、項目を詳細に見ると、それは項目の記述そのものを併せるなどして、そのように組み替えたものであった。

 しかし、この学習指導要領の「伝達講習」では、「文学的な文章の詳細な読みに偏りがちであった指導のあり方を改める」ことと、「生活を書くことでは書く力は伸びない」という、文学教育攻撃と生活綴方・作文教育攻撃は、徹底したものであった。もちろん、説明文教育についても、「詳細に読む」ことは否定され、そしてそれが「授業改善」という名目の元で、次に出てくる活動主義・技能的指導の布石となっていった。

 書かない・読まないということを前面に打ち出してきたことは、書くことや読むことのための基本を基礎・基本として考えず、ましてや「ことばについての学習」などは全くかえりみられないものとなっていった。つまり、言語教材はあっても、ほとんどが文字・漢字の教材になり、語意・文法などの教材は、ほとんどといっていいほど姿を消すこととなり、説明文教材・文学教材は、活動のための教材となっていく。

 その後、現場におしつけられるかたちで姿を現した「基礎・基本」論は、国語にとっての基礎・基本の学習は、「聞く・話す」の学習であるという、なんともとらえどころのないものであった。そして、この「話す・聞く」とは、国語科の領域としてのそれを指すというより、「活動」の形態を意味するというふうに使われていたようであった。 今回の改訂学習指導要領・国語科は、その流れに立ち、それを徹底したものである。 その「基礎・基本」といわれるものの内容はどのようなものであるのかを、私たちはもっと分析し、追求していくことが必要なのではないだろうか。


 改訂学習指導要領・国語科の提示する「基礎・基本」とは   

 改訂学習指導要領・国語科の「内容」が、あの「全国一斉学力テスト」国語問題に明確に示されているということについては この「国語部会通信」でも、何度も指摘しているが、それが「PISA型学力」なるものに全面的に傾斜していることは、この「基礎・基本」についてどう考えるかということにおいても、大きな意味を持つ。

 その「学力テスト」が、「知識」と「活用」という枠組みをとっていたのは、実施された○七年度からだが、その「趣旨」には、次のように記されている。 ・国語A 基礎的な言語活動や言語事項に関する知識・技能が身に付いているかどうかをみる問題・国語B 基礎的な言語活動や言語事項に関する知識・技能を活用することができるかどうかを見る問題  またA問題の説明に、「身に付けておかなければ後の学年等の学習内容に影響を及ぼす内容や、実生活において不可欠であり常に活用できることが望ましい知識・技能」とあることから考えて、それは国語教育としての「基礎・基本」と考えることができる。

 そして○七問題では、七割以上が言語事項の問題で、それは「漢字」「文法」の問題であった。

 しかし、○八問題では、その内容が一変し、言語事項からの問題は「漢字」のみで、基本的な読み書き問題は、それぞれ三問だけとなる。語いの問題もあるにはあるのだが、クイズ的である。

 だから、もともと言語教育として、「表記(文字・表記法)」「語意(語種・語構成・語意)」「文法(品詞・文法)」等の内容があるのだが、それが決定的に不足し、偏っている。

 そして、そのかわりに「言語活動」の名の下に、これまでB問題で出題されていた問題がA問題でも出されるということになる。言い換えれば、この○八問題は、ほとんどすべてが「活用」という、言語活動場面に引き下ろした問題となったのである。

 ここに、大きな問題がある。

 さらに、問題を個々に見ていくと、それが基本的な「知識」なのかと思うものも多くあるといえる。

 例えば、6の問題で、発表原稿としての文章表記の問題があるが、その正答が「改行・段落分け」と「数値を行の始めに持ってきている」の二つとなっている。これは基本的な文章表記としてはきわめて不正確であり、正答を出すためには、表記法の原則を無視して考えねばならず、その正答率は完全正解が1.1%と驚くべきものとなっている。原則的な表記法としての「改行・段落分け」の一つのみを答えた正答率がなんとか73.1%となるのだが、表記法としての原則ではない、この場の工夫に過ぎないものを類推しなければならない、まったくの不適切な問題では、ほとんどが正答に至らないということとなる。

 これは、体系的系統的な言語の学習をおろそかにして、言語操作の技能・技術ばかりに偏重することの象徴的なものと言える。

 このようなことは、何を意味するのだろうか。それは、国語教育としての「基礎・基本」の崩壊が意図されていると言える。

 いうまでもなく「言語」は、「火」を使うことや「道具」を作り使うこと等とともに、人間の成長と発達、人間社会の発展にとってきわめて大きな意味と力をもつ。つまり「言語」によって人間が人間として成長・発達し、人間社会が発展してきたと言える。したがって、子どもたちは言語を自然に身につけ、使うことだけでなく、体系的系統的に学ぶことによって、「ことばの力」を伸ばし、それが人間的な成長につながっていくと言える。それが、「ことばの力」をのばすことをめざす国語教育の基礎・基本である。しかしながらそうした「基礎・基本」を崩壊させることは、言葉操作の技術・技能だけに目を向け、「ことばの力」の本質をとらえていない言語観によると言える。

 だからこそ、国語教育の「基礎・基本」の崩壊は、国語教育の崩壊につながっていくと言えるほど、大きな問題だと思える。


 国語教育の基礎・基本の構築を 

 私たちは、国語教育の基礎・基本とは、「言語についての教育=言語学習」と、文学教育・説明文教育、そして作文教育の基本的な部分の学習である。

 言語学習とは、「表記(文字・表記法)」「語い」「文法(品詞・構文)」を体系的系統的にとりくむ学習であり、三分野の基本的な部分学習しは、言語学習に直接つながる部分の学習であると考えている。

 それについても、さらに具体的に考えていくことが必要ではあるが、それをさらに明らかにしていくとともに、現在「学力テスト」や指導要領・国語科が提示しているものとの本質的な違いを明確にしていくことが、国語教育の基礎・基本の構築のためには必要ではないか。

  より実践的に論議を進めたい。



言語教育のたしかな実践をめざして
 〜 自主的言語教育教材づくりのとりくみは 〜 



 これまでも、数々の言語教育の実践をめざす、自主的教材づくりや自主編成の副読本などが創造され、その実践がとりくまれてきた。

 しかし、教科書教材から言語教材が次々と姿を消し、時間配当ができなくなる状況が進むと、その実践はなかなか取り組まれなくなっていった。

 しかし、現在もたしかな言語教育を進めていくための努力は、さまざまに続けられている。

   児童言語研究会(児言研)の文法副読本
     「たのしい日本語の文法」(小学校)
     「楽しくわかる日本文法」 (中学・高校)
   教育科学研究会(教科研)国語部会の言語副読本
     「もじのほん」シリーズ   1. もじのほん     2. もじ・ぶんぽう・はつおん
                      3  もじ・ぶんぽう   4  文法
                     5  発音とローマ字  6 語い
                     7  漢字

などは、今でも書店で購入することができる。

 また、京都でも、京都の国語教育三分野説をもととして自主的に作成された京都国語教育実践研究所の言語教育実践プリント集

                     「言語学習プリント 文法/品詞編」
                     「言語学習プリント 文法/構文編」
                     「言語学習プリント 語い編」

が出されている。

  このプリント集について、検討してみたい、実践してみたいという方は、
           京都国語教育実践研究所の代表委員/浅尾紘也
           連絡先  Email koyaasao@hera.eonet.ne.jp まで。

 教科書の言語教材としては、漢字教材ばかりで、文法・語いの教材は、ほとんど見られないという状況は、今後も改善されていくことは到底望めない。

 しかし反面、あまりにも「ことば」そのものの学習がないがしろにされていることに不安もあるのだろうか、研究授業や公開授業の終わりの数分を使って、その学習にかかわりのある言語学習を付け足すことなどが指定されている地域や、内容を指定しない「チャレンジ」等と称する訓練時間を儲けてそこでの言語訓練をするなどのことがされている地域も  かなり見られてきた。

 しかし、言うまでもなく、このようなごまかしの「補填」では、到底体系的系統的な学習はのそめない。  このような状況を打破するためにも、上記のような実践資料を活用して、とりくみを始めることが試みられていくことが大切ではないだろうか。

 
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