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国語教育はどう変えようとされているだろうか、 現場の状況を的確に見る視点を 〜「改訂指導要領」「学力テスト」に続くものは〜 |
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通信25,26,27号で、「改訂学習指導要領・国語科」の問題点、そして「全国一斉学力テスト」(国語)の内容を通して、国語教育が大きく変えられようとしていることについて提起をしてきたが、それは、全国的にはさまざまなかたちで現実のものとなってきている。 今、私達にとって大切なことは、それがどのようなものとして現れているのかを的確につかみ、それに対して、どのように実践的に対していくのかを、しっかりと提示していくことではないだろうか。 @「愛国心注入教科」としての内容がどのように具体化され、どう進められてくるのか。 A「PISA型国語力」が絶対化されて国語の学力として設定されてきた流れが、どう具体化されていくか。 の二点である。 これは、改訂学習指導要領では、全体での「改正教育基本法」を受けてのものだと強調されているが、それがどのように具体化されるのかは、まだまだ抽象的なものとしてしか、その姿を見せていない。そして、それが「国語科」でもかなり具体化されるであろうと考えられるのだが、なにが、どのようにということを把握できるほどのものではない。 しかし、じつはそれはもうすでに動き始め、具体化が進められようとしている。それは、全国各地で、その地域の状況に合わせて進められようとしている。そのいくつかを提示しながら、現場にどのような変化がもたらされ、国語教育がどのように変質されようとしているのかを考えていきたい。 改訂学習指導要領・国語科を読めば、「愛国心注入教科」としての具体化は、「音読」「暗唱」を使った内容の押しつけといった時代錯誤とも思われるような「手法」がまたぞろ出てきていることが見える。 それは、あまりにも「戦前」「戦中」のそれに酷似していて、滑稽でさえある。そんなことが本当に有効だと考えているのかとその感覚に時代錯誤すら感じるが、ただ笑い飛ばすことだけでいいのかは、もっと深い分析がいるのではないか。 東京・世田谷区の音読・暗唱副読本 その具体的なものとして、東京・世田谷では、小学校で音読・暗唱副読本を全員に配付し、その時間を確保し、授業としてとりくみを進めている。 その副読本(低中高の三分冊)の転学年編には、それぞれの学年向けに「論語」が載っている。
なぜ低学年に「論語」なのか、それが最も大きな疑問ではあるが、それは、現行の指導要領・国語科から貫かれている、「読まない説明文教育」「読まない文学教育」そして「書かない作文教育」の行き着くところは、発達段階や教育的意義などは全く無視された「内容」が持ち込まれることを許し、それが「書かれていることを受身的に読んでいくこと」、そして「無批判に受け入れていくこと」に帰結させようとするものであること、また「自分を表現する」ことを殺し、書く技能だけを身に付けていくことで甘んじてしまうことを、この具体的な事例は示しているということが意識的にとらえられていかねばならないことを示しているのではないだろうか。 このような副読本配付などということは、まだ一部の地域・行政でしかとられていないものだろうが、それぞれの地域での動きは、このようなものに呼応したものがあるのではないか、その点検・検討も必要である。 京都・御所南小の「読解科」 改訂学習指導要領・国語科は、「PISA型学力」を絶対化し、それを国語科指導の中心に置くことを意図している。 それも、もうすでに、単に形態を似せたものでの指導だけでなく、指導の過程もそれに合わせたものにしていくこと、「話しあう」「書く」などという方法論の取り込みなど、さまざまに具体化が進められている。 京都市の「特区」である御所南小の「読解科」などはその先端を行くものである。 御所南小の教諭が「朝日教育セミナー」で発表した「学力世界一のフィンランドに学ぼう」の資料には、このようなことが載せられている。
このようにPISAの「問題形式」を強く意識した授業が進められていることが解るが、それはさらに、説明文や文学の授業過程そのものを、「情報の取り出し」「解釈」「熟考・評価」の、PISAの設問そのものに合わせたものにしようとする動きも強く感じる。 改訂学習指導要領・国語科とそれに対応した「全国一斉学力テスト」国語、そして全国各地の動きと現状から、国語教育が大きく変質させられていくことが、現実の流れとなってきていることを感じざるを得ない。それにどう対していくのか、今、私達の大きな視野をもった主体的なとりくみが求められているのではないだろうか。 (京都教育センター・国語部会事務局) |
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