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全国一斉学力テスト(小・国)の 「結果」を分析する |
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〜何が「問題」になるのか〜 なかなか発表されなかった、「全国一斉学力テスト」の結果がようやく提示された。 この「発表の遅れ」自体が、このテストの持つ内容の問題点、そしてそれを数値化することについての問題点を顕現化するものであると思われるが、それに対しては「事実経過」のが詳細がさらに今後もっとあきらかになってくると思われるので、その時点での検討を深めることとして、まず、「結果」そのものについて分析したい。 これが「公表」された後の10月25日の新聞・朝刊各紙、テレビなどのマスメディアは、それを一斉に報じた。その論調は、さまざまなものがあるものの、 ・この程度の結果なら、実施しなくても前から解かっていたのではないか。 ・77億という巨費を投じて実施したものの、それをどう次の取り組みに活かしていくのかは不透明。 などが多いようであり、 ・東北躍進、近畿は低下 ・秋田が第一位、沖縄が最下位 など、 まるで選挙結果かスポーツの報道かと間違うような、軽薄なものも少なくない。 それは、やはり「点数」・「結果」だけが、独り歩きし始めていることを示す状況にあると思われる。その状況は、おそらくこの「全国学力テスト」を強行して実施した勢力が意図した通りのものではないだろうか。私たちがしなければならないのは、この「結果」を分析することで、空洞化し、「崩壊」の道を辿っている教育・国語教育を、人間的な成長をめざし、子どもたちの「ことばの力」を伸ばす教育に建て直す「提起」をしていくことではないだろうか。その視点からの検討を進めたい。 まず、「結果」そのものを見てみよう。
以上が「結果」である。 しかし、このような点数表だけでは、何が問題で、どんな課題があるのかが明確にならない。必要なのは、国語教育の構造を正しくとらえて、それを分析することである。 国語教育の構造と学習すべき内容は、「言語教育(言語の教育と説明文教育)」「文学教育」「作文教育」である。国語教育を三分野でとらえることが基本となる。 それをもとに、このテストの各項目が、基本的にどの分野の学習が基礎となっているのかを考えながら見ると、次のようになる。
このようにまとめると、「問題点」はかなり明確になるのではないか。 しかしながら、これを表面的な部分、例えば、「点数」のみに目を奪われてしまうことでは、その本質がつかめないのではないだろうか。 点数だけの「結果一覧表」では見えなかったものが、「分野別一覧表」では見えてくる。まず、ざっと挙げるだけでも、次の点についての分析が必要だとは言えないだろうか。 大きな視点から見ると、 @この分野別のアンバランスな構成で、国語の力が正確に測ることができるのか A 正答率だけでなく、無答率も問題になるのではないか。それは、問題作成の妥当性を問われるものがあるので はないか Bまた、各分野の問題の妥当性、適性、あるいは問題として設定されていないものがあることへの疑問も検討しなければならないのではないか などがあるだろうし、具体的なこととして、 C 言語の学習について問う問題の構成はこれでいいのか D 他と比して大きく落ちこんでいる、Aの5問題の低正答率をどうみるか E 説明文教育が基本となると思われる問題のAとBの問題の正答率が違うことをどうとらえるか F 文学教育についての問題がAB通して1問しかないことをどう考えるか G 「書く」(作文教育)といいつつ、その技術を問う問題で、書く力は測れるのか H 「話す・聞く」領域とする問題の妥当性を検討する必要があるのではないか など、多様に挙げられる。 これらを分析し、検討することで、私たちは、国語教育としての構造と内容をどうとらえ、どのような実践を進めていくことが必要なのかを考えていきたい。 次号から、具体的な検討を進めていきたい。 |
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