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国語教育を子どもたちの「ことばの力」をのばす教育としていくために −−「全国学力テスト」問題をどうとらえていくのか−− |
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1.今、「全国学力テスト」をめぐる論議は 2007年4月24日、文科省によって強行された「全国学力・学習状況調査」に対しての国民的な批判の動きは大きく、これまでにいくつもの論議やとりくみが進められてきました。 例えば、8月16日から19日まで、ヒロシマで開催された、教育研究全国集会2007(みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい)の国語分科会(17日・18日に開催)では、「能力別評価で国語教育を崩壊させる全国学力テストに反対する」という決議を参加者の全員一致で確認し、発表しました。 それは、次のような内容です。 @ このテストは、A,Bを通して、国語教育の構造を正しくおさえたものとは到底言えず、正しく「国語の学力」を測り、把握するものではない。したがって、その「結果」がどうであれ、本質的な問題がある。 A Aの問題から、文科省が何を学習すべき「知識」としているかがわかるが、技術的技能的なことに偏り、国語独自のものとは考えられない。また、「民族の伝統と文化」を意識した問題が目につき、言語を規範として管理する姿勢が強い。さらに、これらの内容が、指導要領に具体化されることに強い危惧を持つ。 B Bは明らかにPISA型読解力を意識したものであるが、類似問題で点数の挽回をねらうものであり、「活用」と称して活動場面を模しただけものとなっている。これでは、本当の意味でのリテラシーの力を育てることにはならない。 そして、さらにこの「全国学力テスト」の「結果」の公表に反対するとしています。 また、全国教研最終日に、開催された「教育フォーラム」の「第1フォーラム/『全国一斉学力テスト』ってなんだったの?」でも、さまざまな立場からの意見が出され、多くの問題 点が指摘されています。 また、京都段階でも、京都はぐるま研究会の春季研・夏季研で、国語の問題の分析やそれがもつ問題点と、現在進められている指導要領国語科の再編成とのかかわりやそれへの動きついてなど、検討・論議が進められています。 今後、テスト「結果」が公表され、そこでも、さまざまな論議があるとは思いますが、それが独り歩きし、本質を歪めたかたちで論議がされ、誤った政策がさらに進められていくことには、私たちは、強い危惧をもっています。 私たちは、それを阻止し、国語教育の空洞化・崩壊の状況を打ち破っていくために、さらに本質的な論議が必要だと考えています。 2.私たちが論議しなければならないことは その中でも、私たちがすべき最も本質的な問題は、 あの学力テスト・国語の問題は、本当に「国語の学力」を測定・把握できるものであったのか という点ではないでしょうか。 この点を十分検討することなく、現在、 ・ 多様な問題の構成で、リテラシーへの配慮がみられる。 ・ 文科省のいう、「国語力」の内容が明らかになってきている。 ・ 文科省の国語科についての姿勢は、リテラシーへ舵をきるものとなった。 などの積極的に評価する意見も出始めています。 ほんとうにそうなのでしょうか。 この点については、「国語部通信」15,16,17号で、詳細にわたって、私たちの分析を掲載しています。そこで、上記のような意見について、私たちは現時点では疑義を持たざるを得ません。また、今後の動きについて、大きな危惧を持たざるを得ません。 それでは、今、私たちのしなければならないことはどのようなことなのでしょうか。 第1に、あの「全国学力テスト」国語の問題が、国語教育の本質を歪め、その構造をおさえることについて大きな問題点をもつことをしっかりと指摘していくことです。 国語教育は「ことばの力」を伸ばすことをめざす教育活動ですが、それはことばを操作し、その技能を身につけていくことを目標とするのではなく、「ことばの力」として言語が認識・思考につながることをおさえていくこと、言い換えれば、主体的にことばを得、使うことがめざされることこそ大切であると考えてきたのです。そこで、「言語について教育」「説明文教育」「文学教育」「作文教育」として、言語に「論理」「形象」「生活」のそれぞれの面での力をおさえつつ、それを国語教育の三つの分野で重点的に伸ばすことをめざす国語教育の実践をつみあげてきたのです。 それに対して、指導要領国語科の「国語指導」がいかに薄っぺらなものであるかを、今回のテストは明らかにしました。 第2に、したがって、今回のテストは、言葉についてのあるいは言語活動についての一部分の技能的なものを測ることにしかならず、その「結果」は決して「国語の力」や、現在大きな問題となり、本来ならそれがこのテスト実施の起因となった「読解力」を示すものにはならないことをしっかりと指摘していくことです。 もともと、これまでの、そして現行の指導要領・国語科は、「話す・聞く」「読む」「書く」という、言語場面での操作・技能・技術を中心に置くことで、本質的に「読解力」などの力を伸ばすものとはならないことは、これまでずっと指摘され続けてきたのですが、それにしても、「知識」「活用」とされる、A,Bともに、何と貧しい問題かと驚かされます。 さらに、第3に、Bの「活用」の問題群が、「リテラシー」を具体化したものといわれていますが、これも本質的な問題をもっています。 国際調査での「読解リテラシー」の落ち込みが問題となり、その後、さまざまな対応が出てきたのですが、本来「読解リテラシー」とは、「言語で主体的に理解し、表現する」こととしておさえることが必要です。 国際調査での問題点は、自分の意見の構築、あるいはそれを表現することの弱さを基本としています。つまり、ある文章・テキストを、受身的に理解することはできても、それについて自分との関わりでの理解や表現ができないことは、決して方法として不慣れであるという問題ではないのです。 しかし、この「全国学力テスト」の問題は、明らかに、問題設定を具体的場面に引き下げただけのもの、そして問題様式を模しただけのものです。いつまでたっても、現象的・表面的な対応で、その本質を見ないという文科省的対応は、かえって問題を混乱させるというべきでしょう。 このことも、しっかりと指摘したいものです。 3.さらに問題は このような中で、さらに深刻なのは、現在進められている「指導要領・国語科」の改訂作業が、この「全国学力テスト」の問題内容を大きく取り込んだものになっていくのではないか、と考えられることです。 ある研究会で、その「指導要領・国語科」の「領域構成」が、現在の言語活動の場面割り(聞く・話す・書く・読む)から、不確かな情報ながら、「言語技術」「言語活動」「言語文化」になることか検討されているのではと聞きましたが、このように、構成し直すことで、「技術」と「活動」にさらに偏り、「文化」と称して「日本の伝統と文化の尊重=愛国心」ということとなるのではないかと思われ、国語教育の空洞化と崩壊の状況はますます進のではないか、と思われるのです。 このような状況の中であるからこそ、私たちは、逆に「国語教育とはどんな教育活動なのか」を、広く提起していくチャンスでもあると考えています。 今後、「結果」が公表されることで、論議は再び広がることでしょう。その時、この「全国学力テスト」のもつ国語教育としての本質的な問題を提起し、それを打ち破っていくためには、正しく国語教育の目標と構造を考えていくことこそが大切であることを提起したいと考えます。 今後、センター国語部会として、そのとりくみを強めていきたいと考えています。京都府下各地の状況、問題をぜひ事務局に寄せ、ともに考えていくことをお願いしたいと思います。 |
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