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京都教育センター            2007.3.1
    
教科教育研究会・国語部会通信
                第14号


「第3期教育課程部会の審議の状況について」を読む
   〜新指導要領の改訂は、どう検討されているか〜

 05年2月の文科相からの「学習指導要領改訂の検討」を受けて、4月から第3期教育課程部会の審議が始まり、各部会での審議をまとめての06年2月の「審議経過の報告」の公表を経て、07年の1月に、第4期教育課程部会への「引継ぎ文書」としての「第3期教育課程部会の審議の状況について」が出された。

 これは、今後次期部会に引き継がれて、07年または07年度中に改定案の発表・改訂告示と一気に走る可能性が高いと考えられる。

 そのなかで、「国語科」では何がどのように論議され、具体化されようとしているのか、またさらに、それによって「危機的状況」にある国語教育がどのようになるのか、私たちにとっては見過ごすことができない問題である。

 以下、この文書を検討していきたい。

改正「教育基本法」と「学習指導要領」は

 審議の概略的経過報告の後、まず最初に、「教育基本法改正を踏まえた検討」の章で、指導要領改訂が、それを中心的視点として進められていることが示されている。 検討については「教育の目標」(第2条)「義務教育の目的」(第5条第2項)が規定されたことを踏まえ、これらの規定と教育課程部会で議論してきた学習指導要領の改訂の基本的な考え方との関係を整理する必要がある とし、 「生きる力」をより具体化し発展させるという観点から、「人間力」という考え方を用いて検討を行っている。 という、これまでの姿勢をさらに その構成要素の例として、
  ・主体性・自律性(自尊・自律・健康増進など/以下略)
  ・自己と他者との関係 (協調性・責任感など/以下略)
  ・個人と社会との関係 (責任・権利・言語など/以下略)
 として、 学習指導要領の見直しの検討に当たっては、社会的な自立(主体性・自律性)や社会参画(自己と他者、個人と社会の関係)を重視している。 としている。そうすることで、 このような方向性は、教育の目標・目的として、「社会において自立的に生きる基礎を培」(第5条第2項)うことや「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第2条第3号)などが新たに規定された教育基本法と軌を一にしている。 というのである。

 教育基本法改悪は、「新自由主義」と「国家主義」を背景として進められたことが指摘されている。この項目で、「自己責任」に帰するという新自由主義がこの基調が学習指導要領にも貫かれることが明示されていると言えるのではないか。

 そして、「具体的な教育内容の改善」として、 「国語力」の育成 が提示されている。


教育内容の「改善」とは

 次の「教育内容の改善」の章では、国語教育に関しては次のように書かれている。

 まず、「各学校段階の教育内容の改善」の項で、 言葉は「確かな学力」を形成するための基盤であり、生活にも不可欠である。言葉は他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段であり、家族、友だち、学校、社会と子どもをつなぐ役割を担っている。言葉は、思考力や感受性を支え、知的活動、感性・情緒、コミュニケーション能力の基盤となる。 としたうえで、 国語力は、すべての教育活動を通じて重視することが求められる。 とする。

 ここで問題になるのは、その言語観であろう。これまで指導要領・国語科のそれは、外言としての伝達機能に偏り、内言としての働きを切り捨ててきたが、それはそのまま問題として残っている。

 それだからこそ、小学校での「教育内容」として、次のように書かれている。 中学年までは体験的な理解や具体物を活用した思考や理解、反復学習などの繰り返し学習といった工夫による読み・書き・計算能力の育成を重視し、中学年から高学年にかけて以降は、体験と理論の往復による概念や方法の獲得や討論・実験・観察による思考や理解を重視するといった発達の段階に応じた教育課程編成や指導の工夫が必要である。 さらに、 このような工夫の中で、小学校段階では、低・中学年においては、朗読、漢字の読み書き、古典の暗唱などにとりくみ、高学年からは読解力の育成などを重視してはどうかとの意見があった。 と続く。

 また、中学校段階では、
 増加する教育内容に適切に対応するためにはすべての教科等にわたって学習スキル(方法)をしっかりと身に付けさせることが重要である。公の場での説明や討論に必要なコミュニケーション能力は、国語を基礎としながらも国語以外の教科等で取り組むことが有効といった意見があった。 と記されている。

 ここには、「ことばの教育」としての国語教育の独自性はなく、その技能・操作の習得・習熟だけが問題にされている。

 さらに専門部会で検討の上、部会で審議したという、「各教科等の教育内容の改善」の項では、 基礎的・基本的な知識・技能の育成(いわゆる習得型の教育)と自ら学び自ら考える力の育成(いわゆる探求型の教育)とは、 対立的・二者択一的にとらえるのではなく、 いわば「活用型の教育」ともいうべき学習を両者の間に位置付ける方向での検討を進めている。 とし、 @基礎的・基本的な知識・技能を確実に定着させることを基本とする。Aこうした理解・定着を基礎として、知識・技能を実際に活用する力の育成を重視する。Bこの活用する力を基礎として、実際に課題を探求する活動を行うことで、自ら学び考える力を高めることが必要である。このような過程を各教科に即して具体的に検討している。 という。

 そして、その具体的な「内容」として、国語の「習得型の教育」では 国語の美しい表現やリズムを身に付けるといった観点から小学校における易しい古文や漢文の音読や暗唱を重視、漢字指導の充実(国語) 「探求型の教育」に発展させる観点として、 日常生活に必要とされる技能としての対話、記録、要約、説明、感想などの言語活動を発達の段階に応じ体系的・継続的に指導、読書活動を充実(国語等) を提示している。 「国語力」を提起した文化審議会の中で、それが「情緒力」という言葉で「・・・家族愛、郷土愛、日本の文化・伝統・自然を愛する祖国愛、・・・・・情緒を自らのものとして受け止め、理解できる力・・・」ということをその大きな柱としたことと考え合わせると、ここで一気に「国家と主義」的内容に走るという感じである。

 さらにおどろくことに、 前述のとおり教育基本法改正等を踏まえた検討が必要である。 として、四項目で、@の道徳、Bの社会とともに、 A国際社会で活躍する日本人の育成を図る上で必要な我が国の伝統、文化を受け止めそれを継承・発展させるための教育の充実(国語、社会、音楽、美術等) C情報教育(国語、技術・家庭、情報等)の推進 が例として挙げられている。

 さらに気になるのは、 言語力の育成や体験活動の充実のための具体的な方途や道筋についても教科等を横断した検討を集中的に行い、各教科等の具体的な改善方策を導くことが必要 という文言が、この項でも出されていることである。これは、「読解力向上プログラム」でも提示されている、全教科の中で読解力向上をという、きわめて技能的に読解力をとらえていることと繋がる問題である。 「教育課程の枠組みの改善」とは この章では、「指導方法の改善」の項で、 学校教育においては、基礎的・基本的な知識・技能を確実に定着させる上で、教えて考えさせる指導の徹底が重要であることを改めて強調したい。 「授業時数の在り方と学校、家庭及び地域の役割分担と連携」の項で、 国語力や理数教育については充実が必要 とし、 授業時数の在り方についても具体的に検討する必要がある としたうえで、 国語や算数・数学、理科について内容を充実する方向で具体的な検討を行っている。 としているが、その内容については、
・基礎的・基本的な知識・技能を確実に定着させるとともに知識・技能を活用して考えさせる授業を展開する必要がある。
・国語においては対話、記録、要約、説明、感想などの言語活動を発達の段階に応じ体系的・継続的に指導 程度のことにとどまっている。
 しかも、その内容は依然として技術的技能的なものでしかない。つまり、「改善」と呼ばれるものは、「量的」改善であり、「質的」改善は何もない。この「審議の状況」から何が生み出されてくるのか、私たちは厳しくその方向性と内容を点検し、批判していくとともに、確かで豊かな国語教育の構造と実践構想を提示していかなければならないのではないだろうか。


私たちのめざすものは

 このような状況の中で、私たちの課題は、新指導要領について批判していくことだけではない。それをしっかりと検討し、批判しつつ、国語教育の構造と内容、そしてめざすものを提起し、広く示していくことではないか。

 逆説的に言うと、これだけ国語教育が危機的な状況を迎える中で、さまざまな矛盾が「現場」にもその「結果」にも出てきている。これは、それを「量的」な対応や応急処置で克服できるものではなく、「質的」な検討と「改革」が必要であることを示している。だからこそ、国語教育の本質的な構造と内容について、しっかりと提示し提起することで、国民的な動きを創ることができるのではないだろうか。

 今、その時であると思う。京都教育センター国語部会は、それをめざしつつ、とりくみを進めていきたいと考えている。

 
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