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京都教育センター          2004.12.20
     
教科教育研究会・国語部会通信
         編集・発行 教科教育研究会国語部会準備会       
              第 5 号


今、国語教育実践の課題は
 2003・OECD調査の「結果」を考える
     京都教育センター・教科教育研究会国語部会準備会
                 事務局 浅 尾 紘 也


 12月8日に各新聞(夕刊)は、一斉に「2003年学習到達度の国際調査」の結果を報道した。朝日新聞は、一面の見出しに「日本の読解力低下14位」としている。

 前回の結果でもこの「読解力」の低下は、問題となったが、その点数を24点も下回る、498点(平均点が500点になるように設定されている。)という、たしかに「悲惨な」結果である。順位にして14位で、「トップ・レベル」から滑り落ちたと言える。

 この「結果」については、もっと詳細な分析がいるとは思うが、それは今後のとりくみをしていくこと、しなければならないこととして、この「結果」については、私たちは「予想」していたというのが実際であるから、この「結果」をどうとらえ、どう克服していくのかを提起したいと考える。

1.この「結果」を生み出したもの

 この結果生みだしたものは、現在の教育政策そのものである。もちろんその最大のものは「教育内容」の問題である。しかしそれだけではなく、「教育体制」つまりどのようなかたちで教育実践がされているのか、有り体に言えば、どんな規制や制約があるのかということも影響は少なくない。最近で言えばあの「習熟度・少人数授業」の持つ問題点も大きい。さらに、「教育条件」の問題がある。「先進国」の中で学級定員が30名を越えているという条件は日本だけと言っていいだろうし、20名程度の学級定員なら「わからない子」はほとんど出ないという国際的な研究結果も出ているということから言うと、その「貧しさ」は、大きな問題となる。またさらに、「自由な研究=創造的な実践」への規制、というより攻撃はきわめて激しい。教師が自主的主体的な姿勢をもつことを封じ込めて、豊かな実践と確かな学力をつけていくことなど、できはしない。さらにまた、教育方法についても、例の「総合的な学習の時間」の出現から、国語科の活動主義的な指導方法が「授業改善」という曖昧模糊としたものからの強制で、確かな方法で授業を進めていくことはできなくなってしまっているし、なんと言っても「『聞く・話す』が国語科の『基礎・基本』」という無見識な言語観による、「詳細な読みに偏る文学の指導は問題」「生活を書くことでは書く力は伸びない」という、つまり「読むこと・書くこと」の軽視は、「ことばの力」をつけていくことにとって、大きな問題点となる。

 こんな流れの中で、国語教科書は、大きく様変わりしてきている。だからこそ、この「結果」は「必然」なのである。

2.誰が「責任」をとるのか

 今、教育現場に吹き荒れている「教育改革」は、本質的には教育政策の問題点と、それを進める立場にある教育行政が、自らの「責任」を顧みず、すべての責任を「現場教師」におしつけるものであることが、次第に明らかになってきている。

 だから、この「結果」についても、見識なく揺れ動き、実体のない言葉遊びで問題を先送りにしてきたものの責任であるのにもかかわらず、またもや現場教師に押しつけて事をすまそうということになるのではないか、それが最も懸念されることである。

 わたしたちは、これまでこのような「結果」になることを、いやさまざまな「テスト」でもそうなっていることを指摘し、そのために「教育内容」も「教育体制」も「教育条件」も「教育方法」も「改革」していかねばならないこと、その中核に教師の「教育研究の自由」と」創造的な教育実践」を保障していくことをおかねばならないことを提起し続けてきた。

 今こそ、それを具体化していくことが大切なのである。

3.国語教育をどう進めていくか

 この「調査」で、「読解力」の低下が問題となっている。それは国語教育だけでなく、数学においても文章題などの問題の正答率の低さにも繋がる、つまり、私たちは「科学」や「文化」に「ことば」によってアクセスしていくのだから、すべての教科においての学力の問題点にも繋がることだと認識する必要がある。
 だから、国語教育における「ことばの力」をしっかりとらえて実践を進めていくことから考えていくことが必要であろう。

 まず基本的には、

1.国語教育が「母語」の教育として、人間的成長を「ことばの力を伸ばす」ことで実現していく教育であることをおさえた「言語観」を基本におくこと。

2.国語教育の構造を、「言語教育・説明文教育」「文学教育」「作文教育」としてとらえ、その実践を進めていくための教材を保障する

3.さまざまな実践・研究の成果を、正当に評価し、それらを集約して国語教育実践にとりくむ基礎・基盤を創造する

ことを確認しつつ、具体的には、

4.言語の教育についての、体系的系統的な構造を見直し、基本となる「文字(文字・表記)」「語い」「文法(品詞・構文)」の教材を保障する。

5.言語についての教育をふまえた説明文教育・論説文教育の実践を進め、「論理としてのことばの力」をつけていくことをめざす。

6.文学教育について、豊かで優れた教材で、形象を読むことを中心においた授業を大切にし、「形象としてのことばの力」を培っていくことをめざす。

7.作文教育において、「生活に根ざす」ことを重視し、子どもたちが表現したいことを正しく豊かに表現できる力をつけることで「生活としてのことばの力」をのばしていくことをめざす。

こととなる。

 このなかで、実践的に最も課題となるのは、4と5と7である。

 OECD調査は、「読解力」の低下とともに、「表現力」の低下も示し、さらに理解しよう表現しようという姿勢の崩れも指摘していることは、重要な問題である。

 これは、全体として、「学びの姿勢」の崩れであろうが、国語教育にとっては、「ことばに生活をこめる」ことの弱さとしてとらえる必要があるのではないか。「ことば」を受け取るときも、発するときも、「自分」がしっかりとある、それが重要である。

 
 ここで提起した問題について、たくさんの方々のご意見を集約したいと考えている。そして、私達が進めなければならない国語教育実践を、今の状況にあわせて再創造していかねばならないのではないか、と思う。

 ぜひ、ご意見をお寄せいただきたい。

 
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