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京都教育センター            2004.6.1
    
教科教育研究会・国語部会通信
                第2号


教育センター夏季研究会/案内

 毎年夏休みに開催されている、教育センター夏季研究会は、今年も豊富な内容で蠣のうに開催されます。  私達の教科教育研究会国語部会(準備会)でも、とりくみを進め、特別分科会として、「子どものことばの力と国語教育分科会」を設置して、論議を深めたいと考えています。  たくさんの方々の参加をお待ちしています。

 日時 2004年8月28日(土)・29日(日)

 会場 京都教育文化センター

 全体テーマ       教育改革と教育の公共性を問う

 日程 第一日目(8/28)

    全体会  講演 藤岡 惇 さん(立命館大)

    分散会   1 「習熟度別学習」を考える

           2 「特別支援教育」を考える

           3 「教職員評価」を考える 第二日目(8/29)

     分科会  第1分科会〜第8分科会

*詳細は、京都教育センターよりの案内要項を参照してください



特別分科会「子どものことばの力と国語教育」 へのおさそい

 私達の教科教育研究会国語部会(準備会)では、この夏季研において、上記の特別分科会を担当して、討議を深めることをめざしています。

 報告・提起として、
    1. 長崎事件などに見る子どもの「ことばの力」を考える
    2. 京都の国語教育の現状と「三分野説」の意義 の二本を予定しています。

 長崎の同級生殺害事件は、私達にも大きな衝撃を与えるものでありましたが、そこでの背景の一つとなった、インターネットによるチャットやホーム・ページ、メールなどの伝達方法の多様化とそこでの「表現」、そして「バトル・ロワイアル」などの影響を強く受けた「小説」や「詩」、「日記」など、子どもたちの「ことば」や「ことばの力」の問題は、論議しなければならないことを多く持っています。

 私達の「ことばの力を伸ばすことで人間的成長をめざす国語教育」にとって、何をどう考え、実践しなければならないのかを深めたいと思います。

 また、京都の国語教育の現状は、まさに危機的状況であると言えます。「言語操作」「言語技術」だけが大きく取り上げられ、子どもたちの「ことばの力」を伸ばすことをめざさない国語科指導の現状をしっかりととらえることと、それを乗り越える実践を進めていくためにも、「京都の国語教育・三分野説」のもつ現代的な意義を共通認識していくことが、今、求められています。

 こうした「課題」に迫る分科会にしていくことをめざして、準備会事務局ではとりくみを進めています。付加各地から、たくさんの方々の参加をお待ちしています。



民教総会・国語分科会報告

 6月12日(土)に、2004年度第一回京教組民主教育推進委員会がもたれました。

  午前中の全体会での、あいさつ・課題提起・リレートークでは、私達の「学校づくり」の 視点をもったとりくみをどう進めていけばいいのかを中心に論議が深まり、内容の豊かなものでした。  午後には、四つの分科会にわかれての討議がありました。

 その日程の間に、短時間ではありましたが、各分科会での民主教育推進委員・共同研究者の会議がもたれ、国語分科会では四名の参加で今後の方針や展望について論議しました。

  その中で、夏の研究会と秋の教研集会で深めなければならない「課題」として、夏には「子どもたちのことばの力の実態と現実」を把握していくこと、そして秋には来年度より使われる「国語教科書の分析」を確認し合いました。先のセンター夏季研・特別分科会での提起と討論の予定は、これによるものです。

 さらに、府下各地のサークルや自主的民主的国語教育研究団体のとりくみも見ながら、ひとつの集約展としての民主教育推進委員会・国語分科会のとりくみを進めていくことも確認しました。

 秋の教研集会は、 ・ 2004年11月6日(土)・7日(日) ・ 府下南部 での開催が予定されています。

 また、会議後、国語分科会として、会場であった京都アスニーで行われている、来年度使用の国語教科書の閲覧をし、現行のものとどう違うのかなどを実際に見てきました。

 例の「発展」部分として、多くの教科書が文学教材や言語教材を「付録」として巻末に付けるという教科書でしたが、それが現場でどのように使われるのか、さらに、説明文教材の差し替えなどの目立つ教科書もあり、さらに分析が必要だと感じられます。



少人数授業・習熟度別編成と国語教育

 国語教育は「少人数授業」や「習熟度別編成」と馴染むのか、あるいは問題を持つのか、現場では、さまざまに議論があります。それらを進めようとする行政にも、早くから疑問を持ったり、馴染まないことを意識するところも見られ、論議を呼んでいますが、京都府下においては、この形式でするように進めたり、これ以外のことを認めないという強く強制している所も目立ちます。

 それは、先述の民教総会でもひとつの分科会で論議されたように、「ことばの力」を伸ばすという観点から、「ことば」にどのように「生活」を込めていくか、つまり現実に根ざし、自分の考えをはっきりとさせた「ことば」を育てることこそが、「ことばの力」をつけていく基盤になることからも、単に「少人数」になることの方法論的な便宜だけを問うのではなく、生活集団と学習集団を統一することによって、「自分」を表現し、他を理解していくことこそが基本的に大切であるからです。

 また、「ことばの力」は、「習熟」という繰り返しの訓練を基本とすることで伸びるのではなく、「理解」と「表現」を統一して学習していくことで伸び広がり、深まるものですから、表面上の差や測定できるものだけでグループが編成されるという機械的な方法論はさけねばならないものです。

 私達は、自分の生活や感動、体験を表現していくことで書く力を伸ばしていく作文教育・作品を読むことで「自分」を見つけ、見つめ、世界を広げていく文学教育・言語についての体系的法則的な理解を深め、論理を学び、「自分」を論理的につかみ表現していく力を伸ばす言語教育を、国語教育として構想していくとき、少人数学級を実現して「学力」を保障していくことを基本的な方向性として確認したいと考えます。

 これらの論議も、国語部会の論議の課題のひとつと言えます。

 研究会で、例会で、論議を深めていきましょう。

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