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第12回 (最終回)学習会
今なぜ教育基本法「改訂」なのか・・・・(1)

話題提供:大平勲(京都教職員組合委員長)


「教育改革」攻撃の中での教職員の現状と課題
−−私たちの「学校づくり」をめざして−−

 
 みなさんおはようございます。京都教育センターの持続的な取り組みに敬意を表し、また発言の機会をもうけてもらって感謝します。淵田先生から「教師論」を中心に話をしてほしいと言われていますが、今の教育状況や、教育基本法改悪の現状についてもお話したいと思います。

 
教育基本法に定められた教職員像

 
 なぜ、教育基本法改悪なのか。教育現場から見れば、今、行政がやっていることは教育基本法に違反することばかり。そして、行政は、これ以上「改革」を進めるためには教育基本法を改悪せざるをえない状況に陥っています。


第六条(学校教育)
 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。  
2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

 第6条2項に、学校教師論に関わる規定があります。教職員は、戦前は天皇のために仕える、天皇・国家への奉仕者でありました。しかし教育基本法では、教員は「全体の奉仕者」であり、学校は「公の性質がある」とされています。「私」の利益のためにあるものではない。一部の階級や政党・利益団体の要求に応えるものではありません。

 ところが「新自由主義」的教育観での「受益者負担」「親の学校選択制」などは、公教育を否定する立場に立つものです。教育基本法の「全体の奉仕者」という規定は、権力や国家への奉仕者ではないという意味で、第1条の目的の実現のために取り組むことを要請されています。さまざまな階級・階層の一人一人の子どもに配慮した教育実践を集団的に行うもの。科学にもとずく真理・真実を教えるものでです。それには教師の自覚と教育・研究の自由の保障が必要であり、またそれに対して「圧力」があってはなりません。そのためには研修権が保障され、身分が保障されなければならないし、自主的な研修は保障され、奨励されるべきとされています。しかし、今日では組合の自主的な研修などに出ると、処分にもひとしい扱いを受けることも一部には見受けられます。

 
教員の地位に関するユネスコ勧告

 
 「教員の地位に関するユネスコ勧告」は、1966年に日本を含む76カ国で採択しました。これは、@教育の普遍的理念の実践を担う教員の地位の重要性、A教育の専門職としての教員と教育政策の決定に関与する勢力としての教員団体、B教員は市民的権利を行使する自由を享受、C教員に労働基本権が保障されるべき、として教員の地位を保障しています。また、学校教育法28条(1947年)では「教諭は児童の教育をつかさどる」と規定していますが、教育公務員特例法(1949年)では、懲戒・服務などの制限事項などの抑制的な面もある反面、研修などの奨励事項ももられています。しかし、最近その奨励事項にも「しばり」が強く、夏休みでも「家でピアノを研修するなら、学校にもピアノはあるのだから、学校でせよ」と、自宅研修権もなかなかとれなくなってきています。

 
教育基本法に違反した「教育改革」攻撃の実状

 
 戦後における反動的教育攻撃と対峙する教育運動・教育実践を振り返ってみたい。
 1950年代は、戦後マッカーサーの201号、池田=ロバートソン会談での「愛国心」賛美など、アメリカの対日政策の転換があって、教育公務員の政治的中立、任命制教育委員、特設道徳、勤務評定、旭丘中学校への弾圧などが相次ぎました。戦後、高校三原則も実施されましたが、地域に根付かないままに全国的にはつぶされていきました。(京都では高校三原則は1983年まで全国で一番最後までしっかりと守られていました。)しかしそれに対して、生活綴り方などの自主的な実践(山びこ学校など)も広がりました。また、日教組では「教え子を再び戦場に送るな」の理念的支柱を提起しました。

 1960年代に入って、学習指導要領による拘束が強くなってきて、教科書検定・学力テストなどが強行されました。それに対して、地域に根ざす教育が進められ、丹後、群馬県島小(斎藤喜博)、算数の水道方式など、民間研究運動が進められていきました。

 1970年代に入って、高度経済成長下での「落ちこぼれ」が問題になり、クラスの半分ぐらいが授業がわからない、ここから塾がさかんになってきました。また、京都教育センター(細野武男代表)が教育のあり方としての三原則(全面発達・集団主義・科学的認識の教育)を提起し、現場実践を励ましました。

 1980年代に入って、校内暴力・学校荒廃が起こり、このなかで「肉体派」の教師を優先して採用するなど、新たな管理強化が生まれて、前後して、臨教審構想が出されてきました。これに対して、非行克服での一致した学校づくりが教訓化され、子どもまつり、教育懇談会、上映運動など、父母との共同がのびの如く広がりました。

 1990年代は、いじめ・不登校などの「学校不適応」問題が生じて、これに対して行政は「個性重視、新しい学力観」などを打ち出しました。私たちは、父母に開かれた学校づくり、わかる授業・たのしい学校づくりをめざして取り組みを進めました。

 21世紀に入って、競争原理と規制緩和の新自由主義(財界)とアメリカ追従の新保守主義(反動)が教育の基軸になりました。このように政府・文部省の戦後半世紀の施策はことごとく功を奏さず(教育の条理に根ざさず)、今や教育の根本的転換をさけぶまでになってきました。その意味でも、権力側にとって今や、教育基本法が最大の障害になっているのです。

 
なぜ今「教育改革」なのか

 
 子どもたちの現状は、閉塞社会とメディア包囲、変容した父母大人の価値観の中で、発達途上の自分を子ども(自分)らしくさらけ出せない状態があります。また日本のお国事情として、「真面目に税金を払っていたら明日の保障はある」ことへの懐疑さえ生まれており、アメリカ追随で「豊かな」貧困が生まれています。イラクへ軍隊を派兵しているの主な国は、アメリカ・イギリス・オーストリア・日本・・・といったところで、アジア・アフリカやヨーロッパなどとスタンスを異にする「世界からの孤立」が進んでいます。私は、よく四条河原町で街頭宣伝をしますが、そこでの市民の反応で、一番関心があるのは食の安全問題です。日本の穀物自給率は26%で、北朝鮮やアフガンよりも下になっています。財界による教育支配については、効率を導く競争を激化させ、できない子も大事にする「機会均等」は税金の無駄遣いとし、教育の市場化を狙っています。学校・子ども・先生も「商品」とされ「商品価値」が求められる存在にあります。

 そして、シャワーのように降り注ぐ「改革」攻撃があります。「教育改革国民会議」が発足した2000年以降、新自由主義による規制緩和が進められ、学校選択、小中・中高一貫校、総合的な学習、小学校英語、習熟度別授業、社会人校長・先生、二学期制、株式会社学校参入などが進められています。東京では「学校選択」を広げる中で「学力テスト」を導入し、行政区・市町村毎のマスコミ発表までしています。学校毎の平均点が親に伝わるのは時間の問題といわれています。「学校選択制」の中で、ある中学校では3年生はたくさんいるのに、1年生はゼロに近いぐらいに少ないという学校も生まれています。校長は夜な夜な小学校6年生の家庭を回って「勧誘セールス」をしているという笑えない話も伝わってきています。習熟度別授業は7割を越える学校で行われ、社会人枠での先生採用、2学期制導入、なども進められています。株式会社の学校については、岡山県御津(みつ)町に特区申請して許可された学校があり、英語5時間以上、実技時間は極端に少ないという「自由な」教育課程を編成しています。そして「希望校への進学がだめだったらお金を返す」というのを「売り」にしています。こうなってくるともう公教育という看板は降りてしまっています。

 また、新保守主義による管理・統制も強まっています。国旗・国歌の強制、学校・教職員評価、週案強要、研修強制、心のノート、学力テスト、教育内容への露骨な介入などが行われています。東京都教育委員である将棋の米長邦雄氏は、11月2日天皇主催の園遊会の場で、「日本国中の学校に、日の丸掲揚・君が代斉唱させるのが私の仕事です。」といって、天皇さえ「強制できませんよね」とたしなめられています。しかし現場では「日の丸・君が代」も定着させられてきています。「学力テスト」は心配です。学校評価・教職員評価・学校選択に直結する数値として一人歩きします。府教委は小4・6、中2のデータを持っています。いつでも出せる状況にあります。爆弾を持っているようなものです。

 「3割削減」を目玉とした現行学習指導要領は2002年4月からの「学校五日制」のもとで、早くも破綻をきたしています。しかし、今や官僚の中でも地位低下した文部科学省の「迷走」はあきれるばかりです。2004年8月には河村文相が6・3制の見直し、入学年令の弾力化、「落第」の復活などの方針を打ち出しましたが、発想する内容が、教育の専門家と言えないような場当たり的なものです。その極めつけは2004年11月の中山文相の「甦れ、日本!」発言で、教育危機を競争で打開しようとし、全国学力テストの復活を狙っています。

 
教職員をめぐる現状と課題

 
 学校現場では、教職員の過酷な勤務実態があります。一つは、異常な長時間過密労働で、京都市教組調査(2003年10月の一ヶ月分)でも、超過勤務は、平均、月69時間1分で、学校での超勤は42時間39分、持ち帰り仕事は26時間22分となっています。超過勤務時間の分布は、0時間〜45時間が18.4%、45時間〜80時間が51%、80時間〜100時間が16.3%、100時間以上が14.3%です。80時間以上が「過労死レッドライン」(厚労省規準)と言われています。京都市教組では現在超勤訴訟に取り組んでいます。相次ぐ現職死亡もあり、荻野先生過労死公務災害認定逆転勝訴(2004年9月、大阪高裁)では、持ち帰り仕事と勤務を認定し、回復可能な休息がなかった、前の疾病が主因ではないと断定しました。また新規採用者の研修残酷物語もたくさん報告されており、定年を待たない若年退職者も急増しています。教職員は心身共に疲弊している状況が広がっています。

 教職員評価導入の動向について、民間でも破綻つつある成果主義賃金を公務にも導入を意図しています。先行する東京都では4年目に入り、香川、大阪、神奈川、広島など、2006年には全国的に実施されようとしており、京都府でも2004年、35校での試行を受け、2005年には全校で試行、2006年には完全実施をしようとしています。また、京都市も全国に先駆ける「学校評価システム」と連動して行おうとしています。評価方法は、管理職による目標管理評価の中に自己評価も入れ、3段階、処遇に反映させるとしています。やがては賃金に差がつくようにされるのではないかと危惧しています。そして「優秀教職員表彰制度」「指導力不足教職員問題」と連動させている。学校評価制度も、(今年度試行)も、父母アンケートをとるなどして、また数値目標をあげて取り組ませて、先行する都県では「パソコン授業できる教師100%」とか、「図書室で借りる本、一人15冊以上」「花を○○本植える」等の「数値」が目標とされています。

 
「全体の奉仕者」としての教師像「教師論」をめぐって

 
 方明(上海の哲学者)は、教育労働者の三つの任務、@労働者、A専門性のある知識人、B地域の組織者、を提起(1958年)しました。また、1972年、京教組は大会で、「革新自治体下での民主教育と教職員組合運動の新たな前進のために」(学力方針)を提起し、労働条件の高さだけで「革新」のモノサシとはしないことも主張しました。また、1974年に、民主的「教師・教育論」を提起し、聖職性と労働者性を明らかにし、機械的労働者論の克服に取り組みました。

 
今こそ、教育基本法の理念に根ざした「学校づくり」を

 
 今なぜ「学校づくり」運動なのか。別紙の「10月9日の京教組全分会代表者会議のあいさつ」を参照してほしい。学校とは何か、矛盾する二つの本質があり、一つは、体制維持のための「道具」(機関)であり、もう一つは、すべての子どもの人格形成と豊かな発達が保障される場であるという本質です。「学校づくり運動」とは、前者を排し、後者を促進する意識的な取り組みである。そのために子ども参加、父母教職員共同の土俵を広げていく運動でもあります。今、教職員の声が学校運営に反映されない中で、学校づくりへの「無力感」がありますが、声を集めていくことが学校づくりの第一歩であることが確認されました。「学校づくり」こそが、子ども・父母の本質的な発達要求にこたえる唯一最大の私たちの実践エリアであり、反動勢力には手が出せないエリアです。

 「学校づくり」運動において留意すべきことについては、一つは、70〜80年代の学校づくりとの共通点と相違点、つまり学校の位置づけの社会的変容を見ておく必要があります。そして、政策化にあたっては、子どもと職場・地域の実態分析が不可欠であり、職場での合意形成にあたっては、組合の立場での主張を吟味し、特定の実践観を性急に持ち込まない配慮が必要です。とりわけ、学校長との対話を重視し、合意形成をめざす。職場内での合意形成が困難であっても、父母・住民との対話や共同のとりくみを妨げるものではありません。子どもや父母・住民の声に謙虚に耳を傾けることが必要で、文句や愚痴を受けとめ、「啓蒙する」という発想を捨てることが大切です。「学校づくり」の切り口は一様ではありません。「学校にかかわるどのひとりの人からでもどんな小さなことでも、そこに教育の困難に切り込む新しい創造性の発揮と、それを通した信頼の回復があれば、それは今日において私たちの学校づくりの重要な第一歩である」(久冨善之氏)。「学校づくり」の到達目標は、広義には、子どもの意見が取り入れられ、父母・教職員が叡智を集め共同して子ども主人公の学校をつくること、狭義には、すべての子どもの豊かな学力形成を軸とした自前の教育課程づくりにあると私は考えています。10月9日の全分会長会議は、台風の中バスも仕立て、久しぶりに大勢で集中した議論の場になりました。300余人の参加と40本の報告レポートがありました。キーワードは、@子どもの意見に耳を傾けること、A父母との共同の垣根をもっと低くすること、B青年教職員との交流対話、です。

 「学校づくり」の実践例として、長野の高校での「三者協議会」や、北海道の宗谷の「教育合意運動」、高知の「子どもを真ん中にした教育改革」、などがあります。私の、京田辺市立培良中学校での「10円塾」での学力づくりや父母主人公のPTA活動などの実践(1984〜1993年、資料参照)も参考にしてほしい。

 
最後に

 
 「三位一体」改革の中で、教育予算が削られ、教育の機会均等が奪われています。英才教育を受けなければ入れない学校である東大の父母が、全国一経済力が高い。みなさんと共に運動を起こしてがんばっていきたい。当面1・29教育基本法の改悪を許さないシルクホールの集会にご参加いただくことをお願いし、拙ない提起とさせていただきます。

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