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●●この記録は、京都教育センター事務局の責任でまとめたものです。●●
教育基本法・連続(月例)学習会
2004へのおさそい

○第三条・・・・人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって教育上差別されない。・・・・・高校三原則がくずされて久しい。中高一貫とか、「特色ある学校」とかいって差別・選別が強化されつつある現実。また今日、就学のためには多額の教育費が必要とする現実あんど、問題山積みではないだろうか・・・・!

○「図書館で仕事をしています。学習会というものに久しぶりに参加して、よい勉強になりました。最近、若い人達を集めたテレビ番組で、有名なタレントなどが「今の憲法は押しつけだから、変えた方がいいよネ」なんて勝手なコマーシャル的発言をすると、あっさり『あ・・、そうだネ』となる。恐ろしさを感じた。こんな学習会に若い人達が参加してくれるといいのにと思います。」

○「私は学生です。「子ども勉強会」の活動をしています。今の発言を聴いて、『ほんとにそうだ!』と感動しました。」

○新学期です。知人・友人に呼びかけて、どうぞ気楽にご参加下さい。
第三条(教育の機会均等)
 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。
教育基本法連続(月例)第四回学習会記録

日時・2004年4月10日(土)午前10時〜12時
場所・京都教育センター室             
司会:宮嶋邦明(京都府立大学)          
記録:浅井定雄(京都教育センター)        
話題提供:荒木穂積さん(立命館大学)       
話題提供

荒木:立命館大学の荒木です。心理学が専門。依頼されたときに「教育上差別されない」条項がどういう経過で生まれてきたのか、これからどういう方向に行くのか。国際的な視野ももとに考えたい。発達保障論を大学で教えている。この点は後半でふれたい。
 レジメは5ページ、報告の中心は2つです。
 一つ目は、教育を権利ととらえるか義務ととらえるか。義務から権利への転換はいつ、どのように起こったのか。今日の教育改革は、国際的な子どもの人権の動向から見てどのように位置づけなのかという点です。
 二つ目は、教育の内実をつくって行く上で「発達保障」ということの必要性を指摘したいと思っている。最近「安全保障」の言葉が、人権の分野でも使われるようになってきている。「安全保障」という言葉は、今までは国家間の概念とされていたが、近年「人間の安全保障」というように人権概念としてつかわれるようになってきている。安全保障の「内からの見直し」があり、国家間の問題を越えたところで、国際連帯の課題として「人間の安全保障」を考えていくように方向転換していこうとしている。これには日本政府も熱心で、アフガニスタン復興会議、ODA、人道支援等を前面にだして国連でもイニシアティブを発揮している。「人間の安全保障」委員会の共同議長はアマルティア・セン氏(ノーベル経済学賞受賞者、開発経済学の分野で活躍)と緒方貞子氏(前国連難民高等弁務官)で、「人間の安全保障」は日本政府の世界に対するメッセージになっている面がある。これと表裏一体の関係ですすめられてきたのが、憲法改正および教育基本法改正の議論である。わたしは、この議論を人権の発展という視点から、「人間の安全保障」から「人間の発達保障」へという道筋で問題提起できないだろうかと考えている。教育基本法の改定の議論にあたっても。私は子どもたちの「安全保障」徹底させるだけでは不十分で、「発達保障」へと教育の質と内容を高めなければならないのではないかと考えている。
 「教育基本法見直しに関する中教審答申」をレジメ(参考1)にしていたので参考にしてほしい。教育基本法第三条第一項では、「?すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」とされている。教育は、歴史的に戦前は親・家族の「義務規定」が強調されたが、戦後は子どもの「権利規定」に強調点が変化してきた。中央教育審議会の議論の中では「教育は権利だ」と明記すべきだと主張した委員もあったときく。第三条第一項の後半では、「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」とされている。中央教育審議会の中間報告では『「教育を受ける機会」を「教育を受ける権利」に改めること、「生涯にわたり学習する権利」「障害者など教育上特別の支援が必要な者についての規定」を新たに規定することについては引き続き検討』とされていたが、この点は最終答申では消えてしまっている。「うやむや」になってしまっている。
教育基本法四条については、次回5月の学習会で取り上げられると思うが、現在は「授業料のみ国の負担」と考える考え方となっている。教育基本法ができた当初は「交通費や文房具などもすべて無料にすべき」という意見もあったが、当時の財政的理由から「当面、授業料無料、就学の奨励」となった経緯がある。授業料無償の原則は、「当たり前」ということで、中央教育審議会の最終答申が出されているが、第三条二項の「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」との規定との関係では、「国及び地方公共団体」が負担すべき義務教育費を授業料以外の「交通費や文房具など」に広げる必要があるのではないだろうか。障害児教育や僻地教育など少数ではあっても義務教育の完全実施という視点からもう少し突っ込んだ議論がなされるべきではなかったろうか。

 第一の視点と関わって強調したいことは、第2次世界大戦を契機に、子どもの権利をめぐって「保護の対象」から「権利の主体」へのパラダイム転換があったことである。「教育基本法の時代背景」としてこのことをしっかりと見ておく必要がある。
このバラダイム転換は、「子どもの権利宣言」の歴史的発展の中に象徴的に現れている。
第2次世界大戦前の1924年、「子どもの権利に関する宣言」(国際連盟、第5回総会において採択、1924年)前文では、次のように述べられている。「広くジュネーヴ宣言として知られているこの児童の権利宣言によって各国の男女は、人類にたいして最善の努力を尽くさねばならぬ義務のあることを認め、人種、国籍、信条の如何を一切問わず、つぎのことを、その責任なりと宣言し承認する。」(国民教育研究所、1979、293ページ)。ここでは、「各国の男女」が尽くさねばならない「義務」が強調されている。また、この宣言では、差別禁止項目として「人種、国籍、信条」の3つが規定されている。
第2次世界大戦後の1959年の「子どもの権利宣言」では、主語が「各国の男女」から「子ども」になり、「義務のある」から「権利と自由を享受する」となった。
このパラダイム転換はなぜ起こったのか、その歴史的背景について少し述べておきたい。国連が発足とするに国連は国連憲章を採択し、国連のめざすべき方向性を指し示した。国連憲章はどういう背景でだされたか。国連が最初に取り組んだことの一つに、第1次世界大戦後国際連盟という国際組織があったにも関わらず、なぜ第2次世界大戦を引き起こしてしまったのか、その深い反省の上に国連がつくられたという経緯がある。その一つとして、「人権」を国連の中心に据えるべきであるということが議論された。ナチスおよびイタリア、日本のファシズム勢力の台頭を世界各国はなぜ抑止できなかったのか。どうしたら抑止できるのか、そのための国際秩序をどのようにつくりあげればよいのか、国連はその中でどのような役割を果たすのか。このような議論の中で、国連が到達した結論の一つは、国が国を支配するという植民地支配がファシズムの台頭の温床となったこと、国が国を支配するという関係のなかでは人権は保障されないということであった。国が国を支配するという構造を残す限り、人びとの間に支配や差別の構造を残すことになる。国が国を支配する構造は、人間が人間を支配する構造に繋がる。だから国が国を支配するというのをやめさせなければならない。これが、第2次世界大戦後に国連の担った大きな課題となった。植民地支配への反省と同時に問題となったのは、人権問題を国際問題として捉えるという視点の重要さである。ナチスがユダヤ人の人たちを強制収容所送りにしたときに、世界の世論はこれに大反対をしたが、イギリスやフランス、アメリカの政府はこれを止めさせる有効な政治的交渉を行うことができなかった。各国政府の批判に対して、ナチスは「内政問題不干渉」とこれらをはねつけた。この時のナチスの反論の一つは、イギリスやフランス、アメリカも植民地支配をしており、国内的に人権抑圧をしているというものであった。アメリカでも、当時、アメリカ国内に移民問題を抱えていて、移民の人たちを抑圧するというナチスと同じ人権抑圧の構造をもっていた。国連はこれらの反省から、人権問題は平和と民主主義を脅かす原因となると考え「人権問題は国際問題である」として、第2次世界大戦後はあらゆる機会にこのことを強調した。たとえば南アフリカのアパルトヘイト政策に対し、人種差別政策を止めさせるための非難の国連決議を数度にわたって採択している。国連が主導して第2次世界大戦後多くの国や地域が独立国となった。この国造りの過程で重要視されたのが、選挙制度など民主主義国家の樹立であった。民主主義が衰退するとファシズムが台頭するという、このことは国連が国づくりにあたってもっとも重視した点である。民主主義とファシズムとを対極としてとらえた。第2次世界大戦前・後において主権者をめぐっての「義務」から「権利」へのパラダイム転換が起こり、人権確立が国の独立、民主主義の確立と不可分のものととらえられるようになった。

 第二の視点と関わってお話したいことは、子ども権利や教育の権利の内実をどのようにつくって行きかということである。現在、われわれが獲得してきた人権でもっとも優れた人権の内実をもつものは「子どもの人権条約」(1989年、国連第44回総会で採択)であるといわれている。例えば、差別禁止条項で見てみると、1959年の「子どもの権利宣言」(国際連合、第14回総会において採択、1959年)では、差別禁止条項は「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由」となっていたのが、さらに発展して「子どもの権利条約」では「・・・その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」とされている。差別禁止条項に「心身障害」が加わったのは、「子どもの権利条約」が最初である。
 障害児・者の人権と関わってだが、現在、国連の中で「障害者の権利条約をつくろう」ということで2003年に作業委員会が発足し、すでに2回の会合をもっている。その中で「障害者の権利条約」の草案議論が始まっている。この「障害者の権利条約」では「子どもの権利条約」をさらに進めた人権概念がどのように入ってくるか興味深い。
障害児・者の人権と関わって国連が重視してきたのは以下の視点である。
第一は、「障害者の発生原因をどう見るのか」という点である。世界的に見てみると地域別に障害者の発生率は違っている。一番多いのはアジア・太平洋地域である。戦争・貧困・衛生・経済などが原因となっている。国連は「障害者発生原因の最大のものは戦争である」(国際障害者年行動計画)と指摘して、障害者の問題が戦争と密接な関係にあることをこの間一貫して指摘してきている。1981年の国際障害者年の取り組みを受けて、障害者の発生率を減らすなど、障害者対策の重点地域としてアジア地域が選ばれ、1993−2002年までの10年間「アジア・太平洋障害者の10年」が取り組まれたが、この取り組みは大きな成果をあげた。これをモデルに「アフリカ障害者の10年」がスタートした。また、アジア・太平洋地域では、第1次に続いて「第2次アジア太平洋障害者の10年:2003−2012年」が取り組まれている。こうした期間と目標を具体的に定めた取り組みは効果があるということで、ヨーロッパなど他の地域でも同様の取り組みが計画されはじめている。
 この障害者の発生原因には戦争・貧困・衛生・経済などが密接に関わっていることが明らかになってきているが、これらの問題を包括的に取り組むために、21世紀に取り組むべきミレニアム課題として国連はアナン事務総長の提案によって「人間の安全保障委員会」を立ち上げている(レジメ4ページ参照)。日本の緒方貞子さんとインドのアマルティア・センさんが共同議長になっている。この「人間の安全保障委員会」の活動を積極的に支援してきたのが日本である。2003年5月に「人間の安全保障委員会」最終報告が出された。どういう問題意識でまとめられているかをみると、グローバル化が進んだ今日の世界においては、国家が人々の安全を十分に担保できていないケースがあるとの現実を踏まえ、国家・地域の発展と人間個人の安全・発達の両面にかかわる包括的な取り組み強化することを提案している。具体的には、個人やコミュニティに焦点をあて、人間一人一人の保護とエンパワーメント(能力強化)の必要性を強調している。報告書に掲載されている主な提言は、(1)紛争の危険からの人びとの保護、(2)武器拡散からの人びとの保護、(3)移動する人びとの安全保障の推進、(4)戦争から平和への移行期のための基金の創設、(5)極貧者が裨益するような公正な貿易と市場の強化、(6)最低限の生活水準の保障、(7)基礎保健サービスの完全普及、(8)効率的かつ衡平な特許制度の創設、(9)普遍的な基礎教育の完全実施、(10)グローバルなアイデンティティの促進の10項目である。
 ODAは、これまでは国家間の取り決めの中ですすめられる場合が多かった。それをNGOやNPOレベルでもすすめていこうというようにスキーマが変化しはじめてきている世界中の国や地域をみて、「困っている人がいればすぐに援助する」という方向、つまり国家間の約束や取り決めが出来る前であっても、NGO・NPOなどの活動によってODA活動をすすめていこうというのである。「人間の安全保障委員会」の報告書の中では、国・地域の安全を継続・持続するためには、人間一人ひとりの保護・安全とエンパワーメント(能力強化)が重要であることを強調している。この委員会が「保護」と当時に「エンパワーメント(人びとが力をつけていく)」を強調していることに着目したい。これは日本の私たちが提案してきた「発達保障」と多くの点で重なり合うところがあると考えている。
 京都では、「発達保障」という言葉を教育現場では使わない(使わせない)ようにするということがあったと聞くが、「発達保障」という考え方を人権の歴史や今日の世界的な動きの中に位置づけて考えてみると、教育や福祉の根本となる大事な理念と響きあうと思う。障害者の権利宣言には「ノーマライゼーション」の理念が強く反映しているが、「障害者の権利条約」においては、「ノーマライゼーション」とともに「人間の安全保障」および「人間の発達保障」ということを権利としてしっかりと根付かせていきたい。
障害のある人が社会の中で「普通の市民としていっしょに暮らせる」ということを、世界では国籍・民族的な対立などが許されない状況になってきている中で、これからの教育内容にも取り込んでいく必要がある。その根底には「民主主義」の問題がある。民主主義をどう実現していくのか、また平和な社会をどう実現していくのかが、「ノーマライゼーション」と「発達保障」を進めていくための前提となっている。社会が「人間の安全保障」にとどまるのか、さらに「人間の発達保障」まですすむのかが将来問われてくるだろう。同じく「ノーマライゼーション」にとどまるのか、さらに「発達保障」にすすむのかも問われてくるだろう。
少々大きな問題提起になってしまったが、教育における平等や差別の問題を考える視角として「発達保障」という理念の重要性を問題提起させていただいた。


討論
司会:教育基本法の第3条に関して、いろいろな意見交流を進めていきたい。感想、質問、意見をもらいたい。

○冒頭の話の中で「子どもの人権宣言」とかあるが「子どもには権利がある、人権がある、教育を受ける権利がある」とあり、「その上で差別されない」というのは、なぜ生まれてきたのだろうか。人間は差別されない、そこから子どももということに入っていくのだろうが、あえて「子ども」に入っていくのはどうしてか。

○子どもの権利とか、高齢者の権利とか、女性の権利とか話題になるのは、二つ契機があると思う。一つは産業革命、エンゲルスが『イギリスによる労働者階級の状態』で児童労働の実態を書いて告発しているが、社会変化して行く中で児童保護をせざるをえなくなるほどのひどい非人道的な事態が進行した現実があったと思う。それを社会の責任として自覚する思想が生まれてきたといえるのではないだろうか。もう一つは、アンデルセンの「マッチ売りの少女」とかオスカー・ワイルドの「幸せの王子」などの童話作品で紹介されているような19世紀ヨーロッパの現実があったと思う。童話を通して、社会を見つめるという点だ。「貧困」とか「餓え」が童話に出てくるが、それは「戦争の世紀」とか「貧富の拡大」といわれた19世紀ヨーロッパの現実が背景にあると考えられる。19世紀になると大砲や戦車などが開発され、市街戦が行われるようになる。この市街戦で、町そのものが焼き払われる、非戦闘員が殺されるなどが、それまでとは比べものにならない規模と数ですすんだと思われる。それによって多くの戦災孤児といわれる子どもたちが生み出され、その多くの子どもたちはヨーロッパの寒い冬を越えることが出来ずに亡くなっていく現実があったと思われる。ヨーロッパを旅して回ったアンデルセンは多くの悲しい現実を目にし、それを童話作品として、昇華させたと思われる。それまでに「エミール」などで子どもの問題が取り上げられているが、より先鋭的な形で子どもの問題が19世紀にでてきているが、それを社会背景の中でとらえることが必要ではないだろうか。それが「子どもの権利」や「女性の権利」として自覚され、内実化されるにはさらに1世紀を要したといえるだろう。

○第二次世界大戦で、子どもの権利について、(教育を)受けさせる義務から受ける権利へのパラダイム転換があったが、それは子どもの分野だけでなく、女性の参政権の承認(「人権宣言」が発せられた人権先進国フランスでさえ、女性の参政権が認められたのは、第二次世界大戦後である。)も第二次世界大戦後であった。フランスは長く植民地支配を続けてきた歴史があるが、植民地支配と人権の確立を関係させて考えてみることも重要な視点だと思う。

○「人間の安全保障委員会」をサポートしてきた内閣は、小渕・森・小泉内閣だと聞いて権力の複雑さを感じた。形式的には、民主主義だとか人道支援だとかいうが、靖国神社参拝、自衛隊のイラク派遣など正反対のことをしてきたように思う。それを見破らなければならない。そのヒントになるようなものを教えてもらいたい。実態を指摘しながら批判していくことが大切。

○日本はWHOやUNESCO、UNDPなど保健・教育・社会開発などの国連機関で多くの人が重要なポジションを得て活躍している。また、日本政府として、「核兵器廃絶」は下げていない。これらの側面にも目を向ける必要がある。核廃絶問題や環境問題など、アメリカの言いなりにならないところもある。子どもの人権については、「子どもの権利委員会」で「不登校」の問題が指摘されるなどしている現実がある。「子どもを大切にする国が、・・・・不登校や、ポルノ出版物の放置、児童虐待の問題が起きるのは、どうしてか?」など外国の人から不思議がられる。「日本人は清潔好きで、親切でやさしい、安全な国」・・・・「なのに、どうして??」という声を聞く。日本の政治や教育の現実と方向性をしっかり見抜いていく力が必要だ。世界の人びとが日本によせている期待やイメージにどう応えていくか、大いに議論していく必要があるのではないか。小泉首相の靖国神社参拝や不登校、ポルノ出版物の放置、児童虐待など国内でおこっていることに日本国民がどう対応しようとしているのか、世界の人びとが注目している。世界の人びと信頼を高めるのか、日本の信用と信頼を低めるのか、私たちも社会問題を足下からしっかり見据えて、発言していく必要があるのではないだろうか。

○ODAの考え方は、最近大きく転換した。最近では、ダムや道路など社会的基盤整備から人づくり政策、物づくり政策にODAの重点がシフトしてきている。国と国との関係から言えば「対等・平等」の関係に立った、ヒモの付かないODAが強調されるようになっている。

○小泉内閣は、歴代の自民党政府がそうであったと同じように、タカ派的な「顔」とハト派的な「顔」とをうまくコントロールしてきたといえるのではない。外交は大変複雑だと言われたが、外向けの「顔」と内向け「顔」とであまりにも違いすぎる感じがする。どういう勢力や潮流にのってそういう動きをしているのか。

○自民党の「森派」がたいへん複雑。宮沢総理大臣はで「平和の人」と言われたが、森総理大臣はタカ派のイメージだ。小泉総理大臣は森総理大臣に近いと思うが、同じ派閥の中でも独自のスタンスをとっている。

○文部科学省と総務省などは、「イデオロギー省」と言われ、他省から「いつまで日の丸・君が代に固執するのか」という批判もある。最近では、「イデオロギー的」なのは東京都や京都府など地方の教育委員会ではないだろうか。

○深い話を聞いて感動した。発達保障とノーマライゼージョンについて、障害児教育の現場で自分たちがやっていた頃は「発達保障」の立場で実践案を出し、それが職場で通っていたが、今は「発達保障」というその言葉自体を使わさないなどの事態が起こっている。「目前の障害児の子どもをどうするのか」すらも論議出来ない現実もある。子どもの発達や生活実態を深くつかむことが、職場で大事にされずにきている。障害児学級もなくなる方向が出されたり、東京では障害児教育が目の敵にされ、攻撃されたりするなどの動きの中で、自分たちは何を大事に考えてやっていけばよいのだろうか。

○文部科学省の現在の政策には二面性がある。学力やカリキュラムなどを中心に現実的な教育政策をすすめていく方向性と日の丸・君が代の強要、道徳、愛国心教育の強調など国家主義的なイデオロギー攻勢の方向性だ。文部科学省は、今、何をやろうとしているのか。二つの方向性の間を左右に振幅しながら、突き進もうとしている方向性は「教育予算を減らす」こと、これははっきりしている。福祉の構造改革の次は教育の構造改革であって、その一つのねらいは障害児教育だ。「日本では障害児教育は進みすぎた」といってはばからない官僚や政治家もいる。障害児教育の内容ではなく、予算を使いすぎているということをいうのである。障害児教育の予算を大なたをふるって削ろうとしているそのためには、上から抑えつけて教師や父母を黙らせる必要がある。教師と父母が協力しないように分断する必要がある。今日の教育情勢を、このような攻撃がきている、ととらえなければならないのではないか。日本政府は本当にお金がないという。しかし、ユニセフなどはこの点については解決策をだしている。それは世界的世論となっているが、「軍事予算を削る」ということである。軍事費は人件費も膨大で、設備は使おうが使うまいが最新のものを準備しなければならない。こおれらを理由に「シーリング抑制の例外」となっている。国際的には、「軍事費」を抑制する中で社会保障費などを捻出することに努力して、財政危機をのりきる国もあるが、日本は福祉・教育などの予算を削る一方で、国民にその矛盾を転嫁するやり方で財政危機を乗り越えようとしている。自衛隊の強化政策と教育制度改革・社会保障制度改革とは表裏一体の関係の中ですすめられてきている。

○小学校の中での「育成学級」をなくす方向を文部科学省が出している。現場は大変な状態で「人的加配」を訴えているが、教育委員会から返ってくるのは「お金がない」という返事だけだ。自分の学校では、肢体不自由、発達遅滞、自閉症などの子どもがいるが、一人転校することにより「肢体不自由」学級がなくなり、3名の教員が2名になってしまった。親の思いは複雑で、「肢体不自由児は一対一で対応してもらえる。しかし自分の子はそうではない。・・・・」という声が上がった。本来は行政の責任からくる矛盾なのに、痛みを感じている親どうしがいがみ合わなければならない状態が生まれている。「お金がない。」ではなくて、削れるところはしっかり削って、障害のある子どもの教育にお金をまわしてほしい。

○教育の問題は、政治にはなじまないのではないかと思う。今の教育から政治を追い出してほしい。現状は政治に振り回されて、教育が右往左往していると思う。これではいけない。教育について根本的に考えている人たちが中心にならなければならない。

○政治は、教育をターゲットにしてそれを握って離さない。財界のねらう教育支配が最終の段階にきているのではないか。財界の戦略が、教育にまで浸透してきていて、すべてがそれに関連してきている。

○「日本の子どもたちの学力が高い」というのは過去の話であって、考える力、分析する力が弱くなっている。フィンランドなどは、かつて日本がしていた教育を実践して効果をあげている。今、日本では差別教育がされている、個人間においても、学校間においても格差が大変ひどくなっている。自分の学校は、体育授業はたいへん狭い所でしなければならないし、理科室もない、美術室もない、隣の中学校に借りに行く状況。障害児が2人いる。学校として対応しなければならないが、しかし厳しい教育状況が生まれている。国の教育政策にしっかりとのっかっている京都の教育政策・・・・お金がないと言っても軍事費は突出し、アメリカの国債を買っている。「機会均等」と書いてある教育基本法を守り抜かなければならない。

○「機会均等」はあっても、実態レベルで、格差・差別があり、それが拡大する方向がある。

○佐藤学氏は「日本では学力格差が人間性をゆがめるような格差」になってきていると指摘しているが、見過ごせない現実が広がっていると思う。
○「習熟度別」も言われているが、「新自由主義」との関連についても聞きたい。東京都で「学区制を崩す」、「私学指向」というのは、東京都だけの問題か。文部科学省が推進しているものなのか。今日のテーマとの関係で考えて見たい。

○「新自由主義」的な教育政策については、1998年の中教審答申として方向性が出ている。そういった意味では、東京都では特にひどく現れているといえるかもしれないが、文部科学省は「やれるところからやりなさい」と言っているので、いずれは程度の差はあれ全国的に進んでいくのではないか。

○「発達保障」と「機会均等」に関して、(教育基本法)第1条(学習会)の時に「教育の目的」に関して、「人格の完成」か「人材の育成」か、ということで議論した新自由主義の経済的な面で「金がない」というのと、国家主義的な改革とが結びついてきている。現場では最初は「個に応じた指導」というところからきて、「習熟度別」にもっていかれた。教育委員会や管理職は「今までの教育は形式的平等主義で、これからは実質的な平等をすすめるのだ。」と言って習熟度別を合理化してきている。そこでは「人格」を「能力」に置き換えている。これは能力主義で、まさに能力による「差別教育」である。教育委員会は、なぜ「発達保障はいけない」のか説明する責任があると思う。

○今、ほんとうにいろいろなことが起きていて、それが憲法・教育基本法とどういうつながりがあるのか振り返れないほど、現場は多忙になってきている。そうした矛盾の中に教師はいる。習熟度別でも行政はたいへんうまくやっているなと思う。30人学級の運動を進めてきたが、そこをうまく「少人数授業」→「習熟度別授業」ともってきている。教育委員会は「少人数授業の加配はやるが、習熟度別にしないと加配しない」と条件をつけている。習熟度別では、国語も、算数も、・・・・となって、自分のクラスの子どもでも、どんな作文を書き、どんな学びをしているのかがわからない。こんな中で子どもがどう育っているのかがわかりにくくなってきている。こうした問題が教育基本法のいう機会均等に大きく関わっている。来年から「教育評価」を、企業の評価制度を導入して「目標管理による利潤追求型の学校評価」が京都府でも全面実施され追求されてきている。今まで、我々京都の教師が教育実践として蓄積してきたことが、全面的に押し流されようとしている。それを我々が訴えていかなければいけない。

○第一は、今の日本のおかれている教育改革の現状をどうみるかという問題である。日本がモデルにしているイギリスの教育改革は「金は出さないが、口は出す」という改革であった。教育改革が子どもの側に立ったものかどうかの「リトマス試験紙」の役割を果たしたのは障害児教育であった。イギリスの有名な学校でも生徒数が減って、存続が危うくなった学校があったが、学校管理はである校長は「自己責任を求められて」工夫していく時に、校内で障害児教育をどう位置づけるのか、これが教育の質を問う問題となっている。
 第二は、格差の問題としてしっかり議論しなければならないことは、中教審でも議論があったが能力間格差の問題と同時に「地域による格差=差別をなくす」という視点だ。この視点を答申文書に入れるべきだという議論があったと聞くが、この点はあいまいになっている。京都でも南北問題などといわれるように、北部地域などでは過疎化の問題が深刻である。今後、地域間格差の問題が真剣に研究・検討されるべきものだ。
 第三は、児童虐待の問題などでもふれられたが、早期発見・早期対応も大事だが、そればかりを強調すると「監視社会」になってしまう。それ(早期発見・早期対応)を受けて「きちんと育てて行く」(教育対応)ということがないと問題は解決しない。学校評価でも「評価」ばかりを強調するのではなく、「指導」と「評価」そして「改善」(前進・進歩)が一連のつながったと活動とならなければならない。管理のための評価であってはならない。やる気を呼び起こすような前進・進歩のための評価となることが重要だ。
 第四は、日本の教育の良さは「集団学習」であるという点は今後も大事にしていく必要がある。子どもたちが学力を身につけていく実践では、いつも「仲間」や集団」が重要な役割を果たしている。「集団が解体されないように」教育に取り組んでいく必要がある。これだけは、強調してもしすぎることはないだろう。「個別学習」や「習熟度別学習」が効果を上げるのも「集団」があってこそ、であることを強調しておきたい長く伝統として培われてきた日本的集団学習は日本の教育の宝だと思う。
 最後に指摘しておきたいことは、教育基本法の議論の方向として、中教審の委員の一人であった市川昭午さんが指摘されている点であるが、教育基本法を、「世界の状況を受けて180度パラダイム変換をしたと同時に、教育勅語を受け継いだ面もあるのではないか、それは理念を書き込んだ点である。」との問題提起をしっかり議論する必要があるのではないか。国や地方自治体が何をすべきか、その責任を教育基本法に明記させるような方向も考えてもよいのではないか。そうでないと教育理念や目的だけが明示されて、国や地方自治体の教育条件整備などの義務や責任があいまいにされたのでは、教育基本法としての法律の性格が形骸化してしまうおそれがある。現実には、中教審での教育基本法をめぐる議論は反対で、教育条件整備などの議論よりも、より理念に重きをおいた議論がなされたように思われる。


司会:今日は我々の視野を広げてくれるような話題提供と議論だった。毎月1回、こうした学習会を開催しているのでまたご参加ください。
(参加者 30名)
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