トップ 教育基本法 第3回学習会感想
●●この記録は、京都教育センター事務局の責任でまとめたものです。●●


教育基本法・連続(月例)学習会2004へのおさそい

○第2条:教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければ
 ならない。この目的を達成するために・・・

○3月・卒業式、4月・入学式。子どもたちにとっては胸がときめく素敵な時です。
 ・・・しかし、待ち受けていたのは「心のノート」であり、「愛国心」起立・礼の
 号令、そして職務命令による学校教育って・・・これでいいのかな・・・!?

○3月20日・イラク戦争1年「反戦」「国際共同行動日。「「再び戦争」をしない国」
 の教育基本法。子どもの権利条約10周年「ぞうれっしゃ」を走らせたうたごえ
 祭典の山本さんからのお話です。


 
第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現
 されなければならない。この目的を達成するためには、学問
 の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自
 他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するよう
 に努めなければならない。


学習会日程
     (時間はいずれも午前10時から12時までです)
第 1回
 
 1月24日(土)
 
前文
教育基本法を学ぶ今日の意義
教育センター室
 
第 2回
 
 2月28日(土)
 
第1条 教育の目的
「人材の育成」か「人格の完成」か
教育センター室
 
第 3回
 
 3月27日(土)
 
第2条 教育の方針
文化の創造と発展
教育センター室
 
第 4回
 
 4月10日(土)
 
第3条 教育の機会均等
教育上差別されない
教育センター室
 
第 5回
 
 5月 8日(土)
 
第4条 義務教育
すべての子どもに確かな学力と生きる力を
教育センター室
 
第 6回
 
 6月 5日(土)
 
第5条 男女共学
共に学習することのすばらしさ
教育センター室
 
第 7回
 
 7月 3日(土)
 
第6条 学校教育
公教育は、どうあるべきか 学校とは
教育センター室
 
第 8回
 
 8月 7日(土)
 
第7条 社会教育
「生涯教育」をどう考えるか
教育センター室
 
第 9回
 
 9月18日(土)
 
第8条 政治教育
子どもたちの自主・自治活動
教育センター室
 
第10回
 
10月16日(土)
 
第9条 宗教教育
宗教教育をどう考えべきるか
教育センター室
 
第11回
 
11月20日(土)
 
第10条 教育行政
教育は不当な支配に服することなく
教育センター室
 
第12回
 
12月 4日(土)
 
第11条 補則
今なぜ教育基本法「改訂」なのか
キャンパスプラザ
 

   教育基本法連続(月例)第三回学習会記録   


2004年3月27日(土)午前10時〜12時
場所 京都教育センター室
司会:築山崇(京都府立大学)
提案:山本忠生(京都うたごえ協議会)



 
○築山 お手元に教育基本法の条文があるが、第二条教育の方針に文化の創造とある。それがきっかけだ。前文に文化という言葉が二カ所出てきている。文化的な国家、文化の創造を目指すとある。人間の育成と文化の創造が重視されている。二条にあらゆる機会・あらゆる場合とある。批判者は生涯教育が書かれてないというが、書かれているといってよい。7条の内容と併せて私が8月に話したい。後半の、あらゆる機会にあらゆる場合に云々文化の創造と発展に焦点を当てた。学問の自由も非常に重い問題だ。今日は文化についてイメージを豊かにしたい。条文の理解の学習が続いたが、心のエネルギーをふくらませたい。
うたごえ運動の分野で活躍されている。
 
○山本 うたごえ運動43年。出身は与謝郡、電気の学科を出た。職場で口説かれてうたごえの専従一号になった。
 6年前に恵那のうたごえに行って、これからはもっと考えなあかんといわれた。今までの教育の方法ではあかんと。そのときはたと思い当たった。運動を新しい人に伝えるのにどうすればよいか。スローガンから入った伝え方をしていたのでは、心をつかめないなと思っていた。そこから自分のやってきたことを整理して考えた。たまたま、文化の創造と発展について話せということになって引き受けた。
レジメなんか書いたことがないが、求められた書いた。平和記念資料館に何度も行ったが、パンフレットをもらって帰る。沖縄の心とは人間の心を云々人間性を愛する文化の創造だ云々とある。戦争と対置して文化が書かれてある。これだとおもった。戦争と平和でなく戦争と文化という構図がはっきりある。だからうたごえの意味づけをもらった気がした。そこから自分のやっている文化の意味をもう一度考えた。
神奈川のうたごえでで出会った青年が、三線の虜になったという。そうではない、それは平和につながるのだと励ました。
小学校4年生のとき、田畑先生という先生だった。今日は歌を作るという。当時、疎開していた。その夏に敗戦した。戦争が終わって教育も変わった。先生がピアノを弾きながらみんなで曲を作った。音楽のよいところは記憶に残る。音楽好きの子供になった一つのきっかけだと今、思う。
沖縄の資料館の中でみた文章によって自分のことを音楽というのはそれ自体戦争を否定している文化の一翼なんだと思った。ヒューマンなものを作り出す。歌入り漫談をやる。
「てんからのめぐみ、うけてこのほしに、うまれたるわがこ、いのりこめそだて、みらよへい、みらよかなしみ、なくなよみよ……」
これは、新しい歌だが、沖縄の世界にある。沖縄の美しい言葉が心を打つ。占領下でああいう歴史を負いながら、自分たちの言葉を失わなかった。文化を生活の中に根ざして持っている。文化が根付いた島、というフレーズに感動した。京都ではちょっと言えない。沖縄のしたたかさを感じた。
この間行ってきた。じいちゃんばあちゃんの歌がすばらしい。
「酒もたばこもやらないで歌も踊りもやらぬ人ひとのあらなどさらす人ひとの三倍ぼけますよ。」
ぼけない歌だと歌ってる。十九の春の替え歌だ。
必ずしもよいことばかりではない。米軍に貸している土地があって、新宿の雰囲気のところがある。歓楽街のようになっている。現に子どもの犯罪もある。そういう面もあるが、文化の力がある。学校教育の文化ではない。地域のえいさーとか、家庭の文化のあり方だ。
 
 二番目、「□□とは何か」という岩波の本。あらゆる芸術は人間の生命の躍動感だという。うたごえの一つの証明だと思っている。普遍的かつ個性的文化の創造というのは、命の鼓動が基準だと思うようになった。うたごえでも合唱発表会で歌に順位をつけるのは憲法違反だと峯陽さんが言った。それももっともだ。一番は威張る。そんなことでも運動会で一等賞はいけないのかという。などと飲みながら議論した。
昔は入賞した団体を全国に送ると言っていたが、最近は推薦された団体が行くと言うようになった。13団体まで推薦して、14番目の枠は行きたい人というようにした。そういう考え方になってきたのは、加藤周一さんの本に、「様式は進歩して発展するが質は高いか低いかだけだ。」デジタルの時代になったが、その目標はアナログに近づこうとなっている。人間の質だ。それを見ておきたい。
 ぼくは合唱団ポケットで障害者と一緒に歌っている。現実に音程がはずれると困るという感情も働いていろいろあった。論議の中で一緒に歌うポケットを作った。彼らの表現のどこに感動するのか、その人自身の躍動感が人を励ますのだと僕は思っている。じゅんくんは今でも言葉が出ないが、サインは帰っている。踊りのリズムは最高だ。その人の輝きに気づいたときに最終的に一緒だなと思う。ただこっちのグループとは違った表現をするので、どぎまぎするのだ。
宇治の共同作業所の20周年の時に呼ばれていった。話を聞いた。メモの中から作った歌だ。「ふるさとのような。」「ここはつちふかく、いのちのはなさかせます、わらいごえがいつも、いつもきこえます、そこにいるみんながたすけあって、かぜそよぐ、ふるさとのようなはたけです…… 。」
職員のみんなが私のふるさとのようなところですととかいうので作った。私はそれを聞いて自分はそうだったかと反省した。
労働組合の青年部長をしていたときはおもしろかった。ふるさとのイメージがあった。今の卒業生はどうかなあと思う。同窓生の交流はないように思う。小さな人間関係になっているように思う。作業所はすごいなと思った。今日の社会のとても大事なものがあると思った。
奈美のうた。「かぜよかぜよつたえてよ、とおくはるかなまちまで、かぜよかぜよつたえてよ。わたしがここにいることを。いそぎあしで、せかされるようにときはすぎてゆくけど、つまづくながらあゆむわたしを、わすれないでほしい。かぜよかぜよつたえてよ。とおくはるかなまちまで、かぜよかぜよ、つたえてよ、わたしがここにいることを。」
ききながら一緒だと思った。孤立する。今は職があるといいですよという時代。伝えたいという気持ちはみんな一緒だ。
君が主人公なんだと言うことだ。戸坂潤の科学的精神の探求。大衆自身が科学の主人公にならないと真理にならないという。専門家と文化のアマチュア。専門家に気をつけろと言う専門家がいる。私の言うようにしなさいという専門家もいる。
戸坂潤の誰もが主役になるという科学のレベルになることを言っている。
今年55年の運動をどうしようか。サークルがそれぞれテーマを持って運動ができないか。アフガニスタンからイラク。戦争は広がりつつある。私の平和というテーマを掲げた。カンパ袋にメッセージの欄を作った。そのメッセージでパンフを作った。メッセージをつないでわたしの平和という歌を作った。
「わたしのへいわ、いのちのかがやき、わたしのへいわ、いのちのうた。
かがやくひとみ、こどものえがお、ぴあののねいろ、わらべうたこもりうた。
いさかいがあってもきみをたいせつにするこここひとりひとりがつくるわたしのへいわ。
しあわせのねがいいきていくちからとものわらいごえあたたかなてのひら
かなしみをくりかえさないようにひとりひとりがつくるわたしのへいわ
いのちのおもみこころにきざんでせかいのつなげくずれないへいわで
かけがえのないいのちうばわれないうばわないひとりひとりがつくるわたしのへいわ
わたしのへいわいのちのかがやきわたしのへいわいのちのうた。」
加藤周一さんの本の「小さな花。」
小さな花の側にいたいという文章がある。美しさの尺度というのはそうなのだと思う。命の輝きを見落とさないことが文化の一番大切なことだと思っている。
どこが教育基本法やねんといわれるかもしれないが僕の考えていることだ。
 
○築山 いろんなことを考えた。みなさんもいろんなことを感じてうなづいたり顔つきをしてられた。
○順位は難しいという話。学力に関心を持っている。滋賀県のある熱心な小学校。競争をやるやらないでゆれている。みんなが目標に到達するというために競争するのと、敗者を出す競争があると思う。
○中学校にいるときに野球部で貧乏でわら草履で練習した。奇異な目で見られてやめた。暮らしの問題と文化の問題と関連が強い。61年の学力テストの時に処分された。競技会は出たいものはでなさいと言うことにした。地域のスポーツ少年団が最近活発だが、学校での子どもの関係がむずかしい。クラブも不登校の引き金になっている。文化の概念の問題。教育基本法の広義の文化ではないかと話を聞きながら思った。
○山本 一つの集まりがあると、排他的になったりすることがある。子ども世界が変わっているのか。クラブ活動が不登校になるというのは不幸だ。反映しているのは大人の考え方だと思う。
○今は、勝たなければ人格が否定されるほどになっている。
○順位とか、包んでいる文化が変わっている。
○テレビ、ラジオのものの扱い方に問題がある。すぐ持ち上げて人気者にする。
○小学校だが、若者が4人もいるが、疲労困憊している。8時や9時が普通になっている。外部からの危険もあって、名札をぶら下げて、笛をぶら下げている。もっと予算を打ってやりかたがあるんじゃないか。来年度の予算は300万減だという。教員評価も一方的にされている。教師自身が疲労困憊して希望がもてない。
○築山 学校の文化という言葉もあったと思うが、先生の人間性が表現されて、学校の文化が創られていたと思うが、人間性が切りつめられていって、学校の異常性を感じる。教師の妻が外から何とかしてくれ、中からどうにもならないという。学校に外の元気な空気が入っていく必要もある。
○世の中の人は学校のことをほとんどしらない。理想は下げないでいかにと現実の流される。ばかもんという本がある。気持ちがすっとする。その気になって伝えることが大事だ。
○卒業式がつまらなくなっている。
○養護学校。君が代、前日に練習をするという。押しつけはいけないという立場を堅持している。学校自体が文化的存在。君が代はあるが対面式がまだ残っている。卒業式の第二部も残している。世界に一つだけの花。本物と偽物。
○山本 合唱団の演奏会で歌った。これを歌うことで人を引き寄せたいというスケベ根性でやった。エネルギーが出せない。そうさというところだけだ。あれを集団で歌うとオンリーワンでないじゃないかというジレンマになる。みんなが歌うととたんに一つの花でなくなる。みんながそうするという安心感が日本人にはあるのか。
○サブカルチャーというメインでない文化をどう考えるのか。ワースト番組にあげられた全員集合。当時はほめられていなかったことが今は日常化している。
○築山 その変化をどう見るか。
○山本 マスメディアの限りない利潤追求の結果、より刺激を求めて退廃する。批判を絶やさないことだ。それを思い起こしたのは、3月20日の反戦デモ。スペインですごかった。
 火曜サスペンス、始まった当初は殺しが残酷だと批判されたが、必ず犯罪の背景を描いていて納得がいく。今は現実の事件の方がやりきれない。
 テレビゲームはいけない。子どもが時間を奪われている。子どもがソフトを持っていたら捨ててしまう。そのたんびに声を上げることだと思う。
○感じる感性を保つことが大変だ。文化は消費するものではなく、創造するものだ。沖縄の話。それも商品として消費されつつある。戦争を考える沖縄でなくて、次々と若い歌手を生み出す沖縄であったり、リゾートとしての沖縄であったりする。消費と創造を提起していただいた。
○教育勅語と軍人勅語で育った。8月15日の放送を聞いたときは、へなへなとへたりこんだ。何の支えもなくなった。きのうまでビンタをしていた連中がとたんに民主主義だと言い出した。死亡した捕虜は解剖した。手伝ってきた。人間は皆同じだとはじめてわかった。文化というの化粧ではない畑を耕すコンバインだと教わった。人文学園で学んだ。障害のある子、肉の固まりのような子だが、名前を呼ぶと必ず反応した。表現した。命の躍動だ。
○築山 いろいろなことに気づかせてくれる学習会だった。(終)
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