トップ 教育基本法
●●この記録は、京都教育センター事務局の責任でまとめたものです。●●
教育基本法・連続(月例)学習会
          2004へのおさそい

*教育基本法9条(宗教教育) 以前は「教育勅語」体制であり、天皇は「神」であった。まさに、宗教的存在であった。歴史教育さえ神話からはじめられた。

*「村のお祭り」でも親しまれていた「神様(かみさま)」が、国家権力によって「神社神道」特別扱いされ、戦死者は神となり・・・・今日の靖国問題に至る!

*「公党と宗教」関係が、きびしく追求されず、「公党」でありながら、なんのため、だれのための「政党」なのかと、思わされることもある今日! 宗教教育、「心のノート」批判 いろいろ語り合いたいものです。

*さまざまな思いを持たれている参加者からの発言で、この「教育基本法連続(月例)学習会2004」を実り多いものにしましょう。呼びかけあって、誘い合って多くの方々のご参加を期待しています。

  第九条(宗教教育)

    宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。  
  2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない

 

 
 
教育基本法連続(月例)第十回学習会記録
日時・2004年10月16日(土)午前10時〜12時
場所・京都教育センター室
司会:宮嶋 邦明(京都府立大)
記録:浅井定雄(京都教育センター)
話題提供:大島亮準(大原念仏寺住職)さん
       
加藤西郷(元龍谷大学教授)さん

 
「宗教教育って、どう考えるべきか」
 
司会:おはようございます。教育センターが月ごとに一度、教育基本法の検討会をしていますが、今日は第10回目となります。第9条、「宗教教育」。司会の宮嶋です。今日ははじめに二人の方からお話をいただく。大島亮準(大原念仏寺住職)さん、加藤西郷(元龍谷大学教授)さんです。
 
話題提供
 
世直しの地固め、みなさんは生き仏
 


大島亮準:教育センターの主催で世直しの地固め、みなさんは生き仏、清潔な人の集まりです。私は前座、夕べから今朝にかけてつくったコピーを持ってきた。地球情勢が怪しい、経済性に傾くと戦争・テロに傾く。宗教心に傾くと、みなさんのように集まってくる。私は大正6年生まれの87歳。関東大震災で多くの人が亡くなったのは6歳の時、6歳で「般若心経」を言って、小学1年生で坊主にされた。良寛僧の寺子屋教育を受けた。金光教では、親戚の中で1人坊主になれば9族天に昇ると言われた。檀家が3000人、僧が13人、スパルタ教育を受けた。小学校3年生の時には、毎日、葬式などの付き添いが重なり、小学校も卒業したかどうかわからない。20歳に三千院にきた。そしてそれから67〜8年になる。私は、剣道・陸上をやっていたので体が元気、三千院ではぞうきんがけや庭そうじをしていて、そして立命館に行けと言われて、立命館の産業社会学部の創設に寄与した。当時、大学紛争もあった。三千院に帰ったら「古都税」問題で、私の行くところ「紛争」が待っていた。教育センターの方から「何かしゃべれ」と言われて、慌てて、宗教教育で何か話せと言われて、今日は加藤先生の話が中心なので、私は、少し「世直しをせよ」ということを話したい。産業社会学部をつくって、「世の中の平和の指導者になる」そうすれば「天下○(まる)ですな」と話していて、退職してからも、いろんな世直しの会に出ている。日本の宗教者会議の中で次のようなことを話している、次の世代にためにがんばりたい、さぼってはいかんという気持ち、子々孫々のために、地球上の生き物のために、・・・・。国会でも腐敗が進んでいる、と考えたが、清き一票を投じたからこうなっている。国民が主権者だということを忘れてはいけない。みなさんと対話して「どうしたらこの問題の解決に届くだろうか」ということを考える。解決という答えの代わりに、日本宗教者平和会議の文を読んで、説明に代えたい。子どもの前で、お経の代わりに読んでほしい。ここに集まっているみなさん、これを生き仏という。
 
宗教教育って、どう考えるべきか
日本人にとって、宗教って・・・・
 
加藤西郷:座ったままで失礼します。
 今日ほど私たちの「精神的自由の思想」が深く侵されてきている時というのは、戦後これほどひどい時はかつてなかったと思う。表面にでてきたのは森前首相の「神の国」発言、それに続く小泉首相のアメリカ追随の姿勢。しかしこれに始まったものではない。不破さんの「世界の流れの中で憲法を考える」という講演の中で、3つの問題点が指摘され、憲法改正は、戦後すぐの時期アメリカ発だということが資料で示されている。こういうことが3つの角度で書かれている。ぜひ(講演記録を)読んでいただきたい。そういうふうに考えると、目に見えない形で、私たちの精神的自由が侵されていることを感じる。
 大島先生のお話を聞いていると、私は1927年生まれだが、昭和の15年戦争をはさんで生きてきたことになる。たとえば、私たちの学生時代はマルクスなどの本は夜中に隠れて読む、特高に隠れて読むという時代だった。それでも私がなぜその頃と同じような精神的自由が侵されていると感じるかと言えば、たとえばアイヌの問題で作品展を開くように考えているが、むこうから何人かを呼ぶという時には計画を出すと政府の機構から費用がでることになっているが、今回、全部は申請を許可されなかった。なぜかと聞くと、理由は「言うことができない」という。納得できないと何度か交渉したが、意味がよくわからない。私は病気になるまでは毎年北海道に行っていたが、北海道の親しい人に聞いてみると、「私も政府のアイヌ民族に対する施策の不十分さを批判したが、Sさんも批判していたが、・・・・」と言う。(政府の)内部でどういうことを言っているかというと「国の施策に反対している者に、国のお金を出す必要がない」という。これは、今までになかったことで、急にこういうことを言い出してきている。「敵か味方か」という形で、「味方なら金を出すが、敵なら出さない」・・・・こうして、集会の自由自身も、理由もなしに、お金を出されずに、保障されないと言うような状況が生まれている。目に見えない形で、集会の自由、学問の自由などが侵されてきている。こうしたものは戦前に感じた「侵され方」に似ている。
 しかし戦前と違うのは、まだ今日のように、学習会を持ったり、批判したりすることができる。こうしたことができる間に、集会を持ち、批判をしていかなければ、それもまた侵されて、守っていくことができないだろう。しかし、子どもについては、そうしたこと(集会をしたり、批判したり)ができないわけだから、子どもにとっては「子どもの権利条約」が保障されていかなければならない。
 
精神的自由の思想を子どもたちの暮らしの中に
 
 教育基本法9条の「宗教教育」については、完全に侵されてきているのではないかと思う。私の関心は、子どもの中での精神的自由の保障・・・・現在は、根底から崩されているのではないか、端的には教育基本法9条「宗教教育」においてではないかと思う。
 では、どういう視座にたてば良いのか。資料1を見てほしい。「政治教育・宗教教育」(永井憲一編)、の中で、「教育基本法は、信教の自由を国民の中に保障するためにつくられたもの」とある。永井さんは、「極端な国家主義・軍国主義の思想を画一的に国民に強制していたことに対する厳しい反省の上に制定されたものであることを確認することから出発しなくてはならない。」と主張している。この9条についても「国家神道の禁止を前提とするものであった。」と、この点はきわめて重要な視座である。
 私は「宗教的情操」そのものを否定しているわけではない。しかし、重要なのは「特定の宗教にかかわってそれは生まれてくる」のであるのに、政府の言う「宗教的情操の涵養」というのはそういうものではない。宗教を国家はどういうふうに取り扱おうとしているのかが問題にされなければならない。
 私の「宗教的情操と公教育」(部落問題研究第169輯2004.7)の67頁に書いてあるが、1899年(明治32年)に文部省訓令12号で「公立私立を問わず一切の宗教教育を禁止する」とされた。しかし、国家神道は宗教ではないとの「神道非宗教論」の導入により「国家神道」はこの法令とは別だ、とされて特別な位置に置かれた。しかし世界・日本の宗教学会では神道は明らかにひとつの宗教であって「宗教ではない」というのはこじつけである。
 「国家神道」にかかわる学校行事などは許容され、「神社参拝」が国民に強制された。私は「国家神道」は、明治政府が創った「新宗教」だと思っている。これは一方で宗教と教育の分離を原則にしながら、他方国家神道教育に特別の一を認め、さらに「他の一切の宗教教育を除外する」という矛盾に満ちた政策であった。
 そしてその矛盾を天皇の名で統合したのが「教育勅語」であった。政府・文部省・文部科学省は戦前・戦後を一貫として「宗教的情操の涵養」を言ってきたが、今日もお見えいただいたが、日隈先生は「何故、政府は宗教教育に固執するのか」という問題を出されて、(資料66頁「宗教的情操の涵養政策について」参照)、「そもそも宗教的情操の涵養は、戦前の国家神道体制のもとで、諸宗教を侵略戦争に動員するために、文部官僚によって作り出されたものである。」と指摘されている。この「宗教的情操」は、仏教やキリスト教でいう「宗教的情操」とは言葉がいっしょではあるが、全く意味が違う。これは文部官僚によって創作されたものである。では、その内容は、どんなものであるのか。
 文部官僚が造出し、学校教育に導入をはかったのが1935(昭和10)年に出された文部次官通牒、「学校二於ケル宗教的情操ノ涵養二関スル件」であった。山口和学氏はこの通牒に至るまでの経過について、1932(昭和7)年に三重県が県下の小学校での慰霊祭を禁止する措置をとったことにたいし、文部省宗教局がその事情を照会した「小学校設備使用に関する三重県通牒照会」に対する三重県の回答(文部省訓令十二号を厳格に適用したもの)について「訓令十二号は「通(つう)宗教的情操ヲ陶冶スルコトハ毫モ拘束スル所二無之・・・・訓令ノ解釈ハ可成厳格ニ互ラザル様」と指示する通牒を発し、公式に訓令十二号の脱法措置を認めた。これを機として宗教教育論議がにわかに活発化し、国会でも鳩山一郎文相を中心に堂々と宗教教育奨励が展開されるようになってくる。」と、当時の状況を説明し、1935年の文部次官通牒による「宗教的情操」論は、@「政教分離」なし崩しによる宗教動員、A教員の思想対策、B反マルクシズム的人格形成のための「宗教心の啓発」の役割を果たすために政治的に選択された内容をもつものであった、と指摘している。
 この山口氏の指摘で留意すべきことが二つある。一つは文部省宗教局が三重県に指示した内容にある「通(つう)宗教的情操」という文言であり、それはどういう性格のものか十分な吟味を必要とする。現在も同様の趣旨が「答申」のなかで言われているからである。
 「通(つう)宗教的情操」ということについて、佐木秋夫氏の適切な評がある。少し長くなるが紹介しておきたい。
 (むかし、ある国で、酒教育の重要性が力説された。酒は人生社会において非常に大きなエイキョウをもつ。だから、教育の上でもこれを尊重しなければならない。これが、その国のえらい方々の御意見だった。しかし、こまったことには、一口に酒といっても、実に種類が多い。カストリもあればドブロクもある。離れ小島のさるざけもあれば、何々会社製造のアブサンもある。例えば何とか正宗で酒教育をほどこすと、ほかの洒に対して不公平になる。不公平ということは最もよろしくない。ほかの酒屋さんから苦情も出る。そんなメンドウなことなら、いっそ洒教育などやめてしまえばよさそうなものだが、ひどく、酒を尊重するたてまえだから、そうもできない。そこで頭のいい役人が、「洒的気分教育」ということを考え出した。洒を飲ませないで酒の気分だけ味わせよう、というのである。すべての酒には共通の気分がともなう。これを「通酒」または「酒一般」の味わい、と名づけてもよろしい。子どもたちにこの「酒的気分教育」をほどこしておけぼ、将来、めいめいの好むところにしたがって、どれかの酒をたしなむ下地ができる、大いによろしい、という訳である。「宗教教育はまかりならぬ、宗教的情操教育を大いにやれ」というのは、洒を飲ませずに酒を味わせろというのと、同じようにムリな話である。)
 長い引用になったが、実にわかり易い説明である。この文の「酒」や「酒屋」の部分を「宗教」や「教団」と読みかえると「宗教的情操」の無内容性がよくわかる。高橋陽一氏はその「無内容であることが、同時に諸思想の動員を可能にしたのである。」と指摘している。この指摘はさきに山口氏が「宗教的情操」論が「政治的に選択された内容をもつものであった」という指摘と対照的である。留意すべきことは、その「無内容であることが」諸宗教の動員を可能とし、結果として山口氏も指摘する教育勅語の補完的役割を果たすはたらきをなしたと言うことができる。
 
 また、こうした文部官僚による「宗教的情操」論の提起に対する教育界、宗教界の対応に留意すべきかと思う。政府の如何なる政策もその成就のためには、それを受けいれる「国民感情」という基盤を必要とする。過去、「宗教的情操の藩養」という政策はそのことについて諸宗教を動員し、教育界をまきこんでいくうえで重要な役割を果した。
 例えば、1925年「全国高女校長会議」は「宗教的信念の啓発の必要」を決議し、1933年には「第十三回全国小学校女教員大会」において「宗教的信念を養はしめる」ことが強調され、「全国高等師範学校長会議」でも「信念の養成上学校教育において宗教教育を施す」ことが協議されている。また宗教界においても「日本宗教大会」(1928年)は「宗教と教育の接近に関する決議」をおこない、1932年には文部省にその主旨を建議している。留意すべきことは宗教教団や教育団体は当時すでに政府によって統合されており、やがて個々、主体的に発言する自由を奪われ、結果として政府の方針に翼賛し、それぞれ関係機関を通して国民を侵略戦争に駆り立てる誤りを侵したということである。
 現在もまた同じように誤ちにおちいる恐れはないか、最近の文科省の教育政策とそれに同調する一部宗教団体の動向について十分な留意が必要である。実は、現在もそれに大変似ている状況が現れている。資料(「基調講演」)の杉原氏は、15学会が非民主的だということを言って、私費でこれをつくり、全国の学会に配るという方で、そういう意味でもこれを読んでほしいが、・・・・文部省や教育委員会が主体でやっている限りは、教員養成もうまくいかないではないかという提案をした。その時には、私もいっしょにシンポジウムに出たが、資料(「基調講演」)の15頁に、洗(あらい)さんが、私と同じような立場で話をしているが、15頁の下の段に「世界的に見ると・・・・禁止していない。日本でもそうですね。」と言っている。それを特に宗教教育とは言っていない、しかし、「宗教的情操教育」などと言っているのは日本しかない、と言っている。23頁、24頁には、全日本仏教界などが、宗教教育推進委員会をつくって、要請書を出し、教育基本法改悪のお先棒を担いでいるという現状がある。しかし、実際は京都でも多くの宗教者たちがそうした改悪の動きに反対をしている。マスコミでは「仏教界自体がまるで教育基本法改悪に賛成しているかのような報道」がなされているのが現状だ。
 
 レジメ左一番下に書いているが、文部科学省は、「特定の宗教教育はできない」といいながら、「特定の宗教(国家神道)」の宗教的情操である、「畏敬の念」を押しつけようとしている。答申の教育基本法「改正案」では、「宗教的情操教育は重要である」と言い、現在「道徳」などで行われている宗教教育への介入を、法律の改定で追認するばかりか、「さらに充実せよ」と言っている。私は、「ひろば(京都の教育)133号(p26-33)」で、歴史的にどのように入り込んできているのかを整理して書いてあるのでそれも見て欲しい。「期待される人間像」(1966年)では、「個人として」「畏敬の念をもつこと」を促し、それを「家庭人として」「国民として」と同心円的拡大し、結局のところ「象徴に敬愛の念をもつこと」に収斂させ、「天皇への敬愛の念をつきつめていけば、それは日本国への敬愛の念に通じる」と断定的に述べ、そういう考え方、生き方を「日本人にとくに期待されるもの」と強調している。「国家への愛」とされてきている。
 また「畏敬の念」が、目標の中に格上げされてきて1998年から、すべての学習指導要領の「総則」の中に上げられてきて、全体を統括する「キーワード」とされてきている。「畏敬の念」文部省が説明しているが、「ひろば(京都の教育)133号、の32頁に書いているが、「敬う」「畏怖」というものを書いているが、神道での「かしこみ、かしこみ」というのが「畏怖」であって、それは「通(つう)宗教的情操」ですらなくて、特定の宗教(=国家神道)のものである。宗教には、救い型・悟り型・繋がり型があり、神道は「救い型」「繋がり型」を特徴とするもので、民族宗教はおおかた、その部類に属する。「生命」という言葉も、ここで「生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念」と言っている「生命」であって、我々が「命を大切にする」生命とは異質なものである。言葉は同じでも、そのさす意味はまるで違うことをつかむ必要がある。
 
質疑・交流
 
●具体的な問題では、「教育勅語を、寝ころんで言わせる」というようなことはなかった。教育勅語が直立不動の姿勢と結びついているように、自分の経験では烏丸通りで護国神社を通るときに、車掌が乗客に起立を促すなど、「具体的な体の動き」の強制と結びついた、「自由の侵害」としてとらえられるべきものだ。宗教の教義と思想と言うべきで、歴史的・社会的・政治的背景の中で理解を図らねばならない。支配者は、法律を作る。それを利用して、ビラ配布で逮捕するなど、身体拘束など、具体的な強制と結びついていることを理解する必要がある。だから、我々も「具体的に」やる。9条の会のポスターでも、貼ることによって、心が変わり、地域に広がる。こうした具体的なものと、内心とを結びつけたことが大切。
 
○大島:6歳から仏門に入ったが、70年近い京都での生活の中で、私が小僧時代に、まず何をやったかと言えば、猪・蛇・狸と一緒に生活していたが、三千院にきて、師匠から「おはようございます」と挨拶することから、「手を合わす」こと(合掌)ことから、始めて、千万の観光客をつくった。最近では向こうから合掌する(手を合わす、これを「在家の菩薩」という)ようになってきた。今の政治のおかしさを考えるが、争うわけにもいかないので、こうした教育センターでの連続の学習があり、こうした生き仏が集まっているのを思って、来た。今も「合掌の心」で今も生きている。ある時、映画女優さんと三千院で話をしているときに、私の話を聞いていた女優さんが突然嗚咽されて、「何か気に障ることがあったか」と聞くと、「こういう所で、こういう話をきかしてもらって、もったいない。」という言葉があった。今の話の「合掌の心」である。だから、この心で、さびれた三千院が、今のように観光客が増えるようになった。「古都税」で10年間もめはしたが、こうした結果、今のようになった。
 
司会:加藤先生のレジメの5の所で、「宗教教育をどう考えたら良いのか。」アンケートをとりたい。
 
加藤:アンケートAは、男性・女性・年齢・職業。質問は、深く考えないで、「宗教」という言葉から、頭の中に浮かんだことを書いてほしい。アンケートBは、男性・女性・年齢・職業、「宗教教育に必要なもの」を書いてほしい。
 
(アンケート用紙の集約)
 
司会:加藤先生のレジメから「(5)改めて、「課題」に立ち戻って考える。宗教教育って、どう考えるべきか、・日本人にとって、宗教とは。」についてお話をいただく。
 
○加藤西郷:時間があれば詳しく紹介してその持つ意味を考えたいが、アンケートAの回答を紹介する。(回答紹介)・・・・ざっとみただけでも「宗教」についてイメージするものが一人一人違う。お寺、オウム真理教、癒し・・・・一人一人にとって概念が違い、多様である。だから「宗教にとって意味がない」と言っても、宗教の「何に対して」言っているのかがわからないと、一人一人のイメージ、概念が拡散していて、「議論がわからない」ということになる。「中味は何か」を明らかにしなければならない。「宗教」という言葉は翻訳語である。私たちの使っているのは資料の4番目に書いてある訳語(明治の近代化に際しし、Religion,relijionの訳語=類概念)として「宗教」が当てはめられた。それまでは宗と教に分けられていて、仏教を意味していた。明治にそれを併せて「宗教」という言葉を使った。明治以後、さまざまな宗派を入れて「宗教」と言うようになった。私が宗教というところは親鸞のいうところのイメージ、もしキリスト教のもとであれば、イメージが違っただろう。
 明治時代は、漢語に詳しい=漢語の意味をよく知っていて、訳語として使われたものである。たとえば「自由」と言うことばは、それまでにもあったが、あまり良い意味ではなかった。リバティ・フリーダムという言葉があるが、福沢諭吉が、それを紹介して注の中で「自由とはわがままとは違うのだ」と言っている。リバティは「解放」という意味があり、その結果、フリーダム(自由)であるということになっている。鰺坂先生が「近代化の時にどのように用語がつくられたかについて「自由」というところで話をされている。それを一度読んでほしい。仏教は宗教である、と書かれると、間違いではないのだが、そういわれているとわからなくなってしまう。宗教を仏教的な概念でとらえてしまうためにそうなってしまう。言葉の「概念」をていねいにとらえていく必要がある。それが一つで、2番目に私たちの宗教意識が、「神も仏も」というように重層的に、なってしまう。資料(「宗教的情操」と公教育)の79頁に、18万3千もの宗教団体が宗教法人となっている。総人口の2倍を超える宗教人口が登録されている。国民一人が2つの宗教に関わっているということになる。「同一人格の中に複数の絶対者が矛盾なく並存できる」ということになる。「天皇が現人神(あらひとがみ)」と言われても「野木大将が神になる」と言われても、矛盾しないでとらえてしまう。一神教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)は、絶対的な唯一の神であって、そういうことはありえない。資料3(「日本人の宗教心」ウルリッヒ・テーン『外国人の目から見た日本の宗教』)をみてほしい、「外国人の目から見ると・・・・渾然一体となった「日本教」があるように見える」とある。これは、ある側面を表していると言える。
 アンケートBで言えば、回答は・・・・客観的歴史的に教える、他の人の宗教の自由の尊重、生き方として各自の思想の中に、権力の押しつけ、きちんと教育現場で教育を、カルト集団にまきこまれないように、必要だとは思うが、心を育てるために、宗派に関係なく宗教教育を、特定の宗教を教えてはならない、歴史、行事の由来、必要、歴史・教義・宗教観対立の克服、知識、歴史的社会的背景、など。・・・・これを見ても痛感するのは、宗教概念の拡散と同時に宗教教育の中味もたいへん「多義的」である。そのようにとらえさせてきたのは何か、国は宗教と宗俗を多義的にするように、曖昧にさせるようにしてきた。宗教教育の「対象」をどうするのかについては、ほとんど書かれていない。「初等・中等教育での宗教教育」と、対象を限定して考えると、「どういう宗教教育が必要なのか」が問題になる。また、公立学校と私立学校との違いも明らかになる。

 資料(「宗教的情操」と公教育)80頁に、図があるが「2つの立場と4つの領域」について、(3)の2「一般宗教史」、これは日常教育の中でかなりやってきていることである。これは、現行法のなかで十分にできることである。資料の新聞記事の中で、戦後すぐの社会科の中に、そうとう詳しく宗教のことについて書いてある。文部省は、「宗教教育についての十分でないのは現場の教師が不熱心」というが実際は文部省が単元をすべて削減したため。
 (資料4)(資料5)の説明・・・・「宗教」という語の区別を英語で「わけて」考える。
 世界の諸宗教について言うつもりだったが時間がないので、ひとつだけ。フランスとドイツとではたいへん対照的にあって、ドイツは年間カリキュラムの中に宗教教育が入っているが、小学一年生の第1回目の授業で「私は私」と書いてある。これは何かと言えば、まず「私は私なのだ」ということを教えなければ、宗教教育ははじまらないということだ。日本では「みんなと仲良くしましょう」から始まる。出発が全然違う。担当の先生に聞いたら、棒の先に人形をぶら下げて、「ほらほら、これが私ですよ」という。最近「自分らしく生きなさい」というがそれに繋がる。「個を確立して、そしてみんなに繋がる」ということが日本とは違うことであり、それは一番大事なことである。また機会があれば、世界の宗教教育の現状について話をしたい。参考文献にあげているが、「世界の公教育と宗教」はたいへん興味深い。アジアの宗教教育も紹介されている。これからアジアの一員として生きていくために、きちんと学ぶことは非常に大事ではないかと思う。
 
司会:本当は意見交換もしたかったが、12時半を過ぎたので終わりたい。また今後の機会があれば、日本・諸外国の宗教教育の検討もできれば良いと思う。
 
●せっかく、日隈先生が来られているので、一言いただきたい。
 
○日隈:京都に来て、こういう会をしているというのを聞いて、参加させてもらった。教育基本法の改悪については、自民党・公明党では、「改正」案で一致しないところがある。ひとつは、「愛国心」と「国を大切にする」という言葉。そして、もうひとつは「宗教教育」をどうするかである。公明党は「これ(宗教教育)はさせない」ということであるが、「宗教的情操」については、検討されると思う。「憲法を読む会」は全国ですすんでいるが、教育基本法についての学習会はあまり進んでいない。ここ(京都教育センター)でそれををされていることは、きわめて意義のあることだと思う。
 
事務局より:今日の参加は36人、新しい方は7名だった。


トップ 教育基本法