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教育基本法学習会2005 山科地域教育懇談会


−−日本と子どもの未来は・・・憲法と教育基本法を語る−−


◎日時    2005年6月18日(土)午後2時から4時半

 場所    京都・山科アスニー生涯学習センター


◎講演     野中一也さん(京都教育センター代表)

「日本と子どもの未来は・・・・憲法と教育基本法を語る」
−−野中一也さん(京都教育センター代表の講演(要旨)−−
 ここに掲載した講演記録(要旨)は、当日の記録にもとづいて京都教育センター事務局の責任で編集したものです。


はじめに

 日本の私学のデータで退学者が戦後最高と言われている。格差の激しい時代になってきている。非常に心配している。2極分化でエリートだけが生き残り、他の者は悪戦苦闘している。

 孫もゲームとパソコン、遊ぶ場がない。遊び方を知らない。子どもを見れば、その国の未来が見えると言われている。心配で仕方がない。そんな中で、憲法・教育基本法が改悪されようとしている。しっかりと学習していきたい。


日本はどこに向かうのか

 1つ目は、新自由主義政策が強められている。あらゆる価値が市場で競争させられる。買う人が多いと価値が高い。1995年ぐらいから日本で急速に進んでいる。小泉・竹中が特徴的だ。小泉は慶応出身。学費や経費が一番高い。しかし今は東大だと言われている。親の平均年収が2000万円。これだけ格差があると許されない。京大の学生と話し合うと、京大生は「ぼくら勝ち組だよ」という。そういう学生に「憲法・教育基本法が大事」と、どう教えていくのか。フリードマンから発せられた新自由主義路線が広がっている。日本はこの考え方のアメリカに従属。競争に勝った者が人間的価値が高い、とされていく。

 2つ目は、新国家主義の強まり。典型的なのは小泉の靖国参拝問題。先日、文部科学省に交渉に行ったとき靖国にも行った。修学旅行でも新潟から来ている。遊就館があって、映画をしている。「日露戦争100年」という本を買ってきたが、中味を見ると軍服で色どられている。

 私も戦時中は、先生によくたたかれた。2人組になって互いに頭をぶつけさせられた。毎月8日には集めされられて、教育勅語があった。お経のように読むのを聞かされて、子どもは普段から規律を守るようにさせられていった。絵も兵隊の絵を描くようにされていた。また、馬に乗って「りっぱな兵隊になるように」と教えられた。スリッパでたたかれた。うまくたたく先生がいた。私は「一也」というが、「また、悪いことをした」と言われ、バケツを持って立たされた。「動くな」と言われ、チョークでまるを書かされた。そんな中でたくましくなった。今、改めて、新国家主義は軍国主義と結びつきながら現場で進んできていると思う。

 本の話に戻るが、「日露戦争100年」ということで「敗戦」がない、「勝った」ということがすごいこととされる。日露戦争に勝って「限りなき希望」と言われる。国民学校を思い出して、ゾッとしてしまう。しかし、一方で戦争の時にこういう体験をした人が、「わくわく」して、元気になっている。こういう人たちをも含めて戦争反対の多数者にどうなっていくのか。

 香川県は、日本の軍国主義教育の先進県、そこの合宿の中で「国旗は国の印、日の丸は純白の曇りを知らぬ理知の印・・・」「一般に国民が国旗をあげることは、国民が理想を一にしてがんばる・・・・」と教える。これを、朝鮮の人たちが聞いたらどう思うだろう。藤岡信勝という人が、1995年から「新しい歴史教科書をつくる会」をつくって、「東京・大阪・京都をとれば勝利した」と彼らは思っている。そういうもの許さない下からの運動をつくっていくことが必要である。


日本の教育

 一つは「エリート養成」という傾向が強い。とにかく「できる子どもをどうつくるのか」ということが、問題になって、優秀な子どもをピックアップしていく。小学校の校区の拡大。東京の品川区で学区が、10校。小学校にあがるところから校区を選ばなければならない。そこですでに格差が生まれている。そして、「特色ある学校を作れ」ということになって、先生がセールスにまわっている。ここで「成功」したというので、東京全区に拡大しようとしている。東京では公立高校でエリート校から順に並び、底辺校では先生が子守をさせられている。

 大学では、都立大学4つを1つにまとめて定員を半減して、ジャスコに「どんな大学をつくるのか」を丸投げした。教員に「あなたはどんな部署に行きたいのか」を詰めて、多くの人が退職に追い込まれている。給与はどういうふうにするかというと、年功序列と成果主義賃金で「どちらを選ぶか」ということで、競争させている。まさに新自由主義である。エリート養成の典型的な事例が東京都で進行している。

 二つ目は子どもの問題。乙訓の吉益先生の話によると、やんちゃな子どもたちは勉強が面白くない、やりたいことはゲーム、ほしいものはお金という。まさに新自由主義が子どもにまで行ったのではないかと思う。卒業生にゲーム会社関連に勤めている者がいるが、彼は、まさに新自由主義でつっぱしっている。彼に「子どもからゲームを切り離すことを考える」ということを言っている。彼は「もうけるためにはしょうがない」と言う。大学で「デジタルゲーム学科」をつくったら入学競争倍率20倍になる。ゲームとコンピュータを子どもはものすごく好きだ。5年で更新している。いらなくなったコンピュータを小学校に回して使っている。彼は「さけられないこと」というが、「少しでも、努力をしている」という。30代になると理科系は「ひらめき」がなくて、営業に回される。

 「安心のファシズム」という斉藤貴男の本があるが、安心安心と言っている間に、実は管理されていたというのである。大阪の寝屋川で、教職員が殺傷された事件が起きた。その事件で大阪の寝屋川では鍵が3重になって、環境がそこから遮断をすることによって安心をするということになっている。改めて、鍵を取っ払って安心する、学校の垣根をとっぱらってしかも安心する学校ということを考えなければならない。 そんな中で、中学生の作文であるが、「ぼくの見た夢」で、「ぼくは商店の大きな店先に並べられていた。値段がついている。それは偏差値である。高校のお客さんが、偏差値の高い者から買っていく。ぼくはなかなか売れない」と。ここに、子どもたちの寂しさがあるのではないかと思う。


憲法と教育基本法

 三つ目は、民主教育の創造について。憲法の資料が入っているが、もう一度憲法を学習して、私たちの民主教育を考えていってほしい。(ここで憲法前文を朗読)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように・・・「政府の行為によって」ここが大事だと思う。しかし、今の政府は「勝手に動いて」戦争に直面するような状況をつくってきた。

・憲法13条:すべて国民は、個人として尊重される。つまり、国民が主人公であり「個人として尊重される」ということである。今の政府は、個人ではなく「国を守る」ということになっている。 ・憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な・・・・これを受けて、26条が国民の教育権である。基本的に国民は「個人として大事にされて」「教育を受ける権利を保障されている」。25条・26条は繋がっているものだ。

 次に、教育基本法を見てほしい。(ここで教育基本法前文を朗読)・・・理想を実現するのが教育である。個人の尊厳を重んじ・・・真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、・・・・・普遍的にしかも個性豊かに・・・(務台理作が書いたと言われているが)非常に大事な理想だと言われている。日本国憲法の精神に則りながら、ということを高らかにうたいあげている。

 教育基本法1条は、田中耕太郎が「人格の完成」を入れたと言われている。「人格の完成」について、私は「全面発達」という意味に理解できるのではないかと思う。「人格の完成」は「平和的な国家・社会をつくっていく」主体者となる。その中味は「真理と正義を愛し、個人の価値を大事にして、勤労と責任を大事にして、自主的精神に満ちた心身共に健康な」・・・「心身共に」という精神は、たとえ障害をおった子どもであっても「自主的精神に満ちた」ということになっている

 教育基本法10条:教育基本法を変えようとしている勢力は「教育は不当な支配に服してはならない」を「教育行政は不当な支配に服することなく」というように変えようとしている。これは「行政」を入れるかどうかと言う点は、非常に大事な点であるので、学習会でも深めてほしい。そして、教育行政は、ということで第2項目を規定している。

 とりわけ「人格の完成」ということについて、私たちの立場から「人格の完成をめざす」と言う点で、与謝の海養護学校の理念として「子どもを学校に合わせるのではなく、子どもに合った学校をつくろう」というのがある。限りなくこうした理念を提起していくことが大切だと思う。「人格の完成」を現実に置き換えたときに、こうした理念が大切だと思う。3つめに、「協同と自治の能力」というの書いたが、学校だけでは子どもたちを守れない。そうした点で、共同が大切だと思う。


「愛国心」「心のノート」

 「心のノート」については、教育勅語に代弁する形で、京都府は「心の教科書」というのを出そうとしている。心のノートに名前を付けて、しかも「書き込み」をさせていく。非常に怖いものである。「心の姿勢」を取り上げているが、しんどいことがあれば暗くなるのはあたりまえ。しかしこれではダメだと明るくさせる。問題は解決しない。二重人格を作るようなものだ。そして最後には「愛国心」になる。こうしてノートに自分の弱点を書いていって、自分を修正していく。心を操作しながら、「愛国心」に収斂されていく。心のノートには、矛盾が出ないようにして「日本はいい国」にしていく。  最後に、「遠い見通し」ということを言いたい。ソ連のマカレンコは「近い見通し、中くらいの見通し、遠い見通し」と言っているが、遠い見通しが大切。カントが散歩の時に「お墓の看板」があって、国境を越えて、旅行業者が斡旋できるのだが、皮肉を込めて看板にお墓を書いたのではないか。国境を取っ払う上で何が大切なのか、そういう意味で子どもの声に未来を託していきたい。


質疑応答・討論(要旨)

●教育基本法の問題は、不安で仕方がない。話を聞いて改めて感じた。特に第10条に関して、政府が教育の中身にまで干渉をしてくることが予想される。教科書の展示をしているのでぜひみなさんも見てほしい。(展示場で)ひとこと感想を書いてくるということが大切だ。

●大塚学区に住んでいる。行政のどうしようもない中で、最後の防波堤は、子どもと顔をつきあわせている大人であると思う。学校の先生が、今、自分の心を奪われている、二重人格というような事態がでてきて、子どもも大人も自分がわからなくなってきている。目標が他者によって定められていて、それに対してのお母さんの「不安」というものが生まれている。公園デビューという、とても緊張するらしい。お母さん同士の話をするのにも緊張しているという。子どものスポーツも「勝ち負け」であって、「本当は遊びではないのか」と心に気にかかっている。

●山科教育を語る会、子育て学習会をやっている。今度は8月にもやる。各学区で教育懇談会もやっていけるようにしていきたい。また、そういう情報提供ができるようなニュースを渡すようなところから、発信していきたい。下の子が小学校3年生なので学童保育に預けているが、野中先生の話されたように、ゲームにはまっていて、親の言うことはなかなか聞かない。しかし学童に行っていて、グループで歩いたり山に入ったり、そういうこともできるようになってきている。児童館が拠点になって、共働きでない子もいる。「民主的にきたえるというのはどういうことなのか」も聞きたいと思っている。「戦争でもあってきたえたらよい」という声も聞かれる中で・・・。

●議員をしている。三浦朱門は「エリートは100人にひとりで十分」と発言している。教育基本法第3条と第4条に関わって「すべてに」と「等しく」をとるというのがあり、教育現場では先取りが進んでいる。来年知事選挙があるが、山田知事は、朝日新聞の意見広告で「(子どもは)個性も能力も違う」と言っている。同時に「経営効率の視点」で山城地域の高校12校を10校にするという統廃合を打ち出している。教育基本法の視点で、校区の自由化、中高一貫校。来年から園部高校に中高一貫校ができるが、「人気があるから」というが、大半は「説明を聞いてあきらめている」という状況で、私学でも「中高一貫」を求めている。高校受験がないということも大きな事である。文部科学省は一部の子どもにのみの中高一貫校となっている。学力問題が叫ばれているが、フィンランドの教育に注目が集まっているが、ひとつの学校が学校全体で150人〜200人で、16人〜20人のクラスである。学びあい、育ちあいの少人数の集団をつくることが必要なのではないか。中教審でも少人数学級を評価して、それをめざす議論が始まっている。大変な状況だが、一方で我々のめざす教育の前進も始まっている。また「教育費」の問題をももっと取り上げる必要がある。「お金がなければ、学校に行けない」という状況がある。ここでも教育の機会均等がくずされてきている。

●昭和20年の国民学校高等科最後の卒業生、島津で銃後の戦士とか言われていた。あの自分は、島津にいたときは、「一生懸命に働いているか」ということで憲兵隊がきた。一方では締め付けがあるが、工場では「にぎりめし」をくわしてくれた。そのおかげで弁当を持って行かなくても食べることができた。そういう時代を経て感じることは、教育があれだけやられて、神風を信じていて敗戦で頭の中は真っ白で、そのときでも「首斬られた」というよりも「開放感」があった。しかし仕事がない。その後郵便配達をした。教育でこういうことを言えること自体が、戦争に負けたその後の民主教育のたまものである。戦後の2.1ゼネストとその後の共産党の追放があって、そういう雰囲気をたどって、今21世紀で考えるのは、なんぼ教育があっても、パンがなければ・・・と考える。今政府はそれ以上に深刻な問題をやっているのではないか。賃金下がって、税金下がって、福祉関係も値上がって、そういうときに我々が社会の本質をみていくことが大事なのではないかと思う。もう一つは世界情勢が全然変わっている、アメリカの言うとおりにならない。南アメリカのがんばってきたことがいま生きてきている。

●9月30日から教育実習に行っていた。5回の授業をした。最後に何でもよいからということで、憲法と教育基本法の授業をしてきた。子どもは、平和の思いを持っているのかなあと思った。

●上の子が小学校にあがった。普段感じていることは、学力的なことはこれからのことと思うが、民主的なことやコミュニケーションの力と言うことを学校生活の中で身につけていってくれるのか、という点で不安がある。自分自身も受験競争の中で育ってきて、親自身、大人のほうはどうなのかなと思う。大人のほうもどういうふうに受けとめてやっていけば良いのか言うのかが不安になる。自分自身は関心もあるが、どういうふうに友達に言えるかというと不安があり、どういうふうに親同士うまくやっていくか、自分が「はじかれない」でやっていけるかということにも不安がある。子どもにああだこうだと言うが、大人同士がこんな状態なのにどうするのか、というのもある。それをどうやって突破するのか、子どもが大人の世界にあきらめてしまわないようにしたい。

●教育基本法を改めて学び直していった。幸福とは多様なもので、どんなに金持ちも十倍も食べられないし、生きられない。人間は多様な能力を持っている。能力はペーパーテストでははかれない。エリート校から出た人が政治家となったときに、どういう政治になるのだろうか。

●高校生で大学受験を目指している子どもがいるが、塾に行きたいというので、個別指導塾に行って来てびっくりした。入会金・設備費・授業料・・・13万5千円を払わなければならない。「目がテン」になった。毎月5万円の授業料を振り込んでいかなければならない。実際に見学に行くと、壁で仕切られていて、そのワンボックスに先生が入ってマンツーマンでの指導となる。塾に入ったが、無味乾燥な現実があるということを知って、しかしそれを感じながらもその流れに乗らなければならない矛盾がある。歴史教科書を見て、本当に怖いなあと思った。最後に昭和天皇のアップ写真が載っていて、採択させないことの大切さを感じている。親も先生といっしょになって学習することが大切と思った。野中先生の川柳を見て。娘が「まるでお母さん」と言っている。

●市議をしている。18年ぶりに文教委員になった。自民党はどんなことがあっても文教委員長をとる。保育関係の集会でも、子どものしつけの話になるが、自民党は「だから教育基本法を改正しなければならない」と法改正につないでいる。京都市会の自民党の中でもそういう動きが生まれている。京都市は門川が教育長で中教審委員もしていて、門川礼賛が生まれている。門川の目を伺っていて、恐怖政治のような側面がある。

◎野中(まとめ)  世界的に見ると日本が孤立している。破滅の道を歩んでいる。EUのように国境を越えて仲間が通じ合うことが大切。日本は競争で孤立している。必ず破綻がくる。そういう見通しをもつ。カントは、200年前に恒久平和を提言した。遠い見通しが大切だ。学習すればするほど、そうしたことが見えてくる。  
 
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