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教育基本法学習会2005
第3回学習会(京都教育センター夏季研究集会全体会)
−−参加と協同の力でひらく学校と教育の未来−−
 ここに掲載した記録は、2005年8月27・28日に開催された「京都教育センター第36回夏季研究集会」の中で行われた分科会・分散会の内容を当日の記録にもとづいて京都教育センター事務局の責任でその要旨を編集したものです。文責は、京都教育センター事務局にあります。

◎日時   2005年8月27日(土)午前10時から12時半
 場所   京都教育文化センター302号室
◎講演    石川喩紀子さん
    (子どもの権利・教育・文化 全国センター 事務局次長)

 

参加と協同の力でひらく学校と教育の未来
石川喩紀子さん(子どもの権利・教育・文化 全国センター 事務局次長


 今日、ひさしぶりにお会いした方がたくさんいて、大先輩の中での話で恐縮している。1977年に京都へ来て、10数年高校の教師をしていた。1991年から京都府高の専従になり、1993年から日高教、全教の専従として活動をしていた。今、何をしているかというと表題にあるように「子どもの権利・教育・文化 全国センター」と「いまこそ生かそう教育基本法全国ネットワーク」の事務局次長をしている。ここ数年は、この全国ネットワークの活動に明け暮れている。

 
1 京都ではぐくまれた私の確信

 
 子どもというのは未来にいろいろ変化の可能性を持っているんだということで話したい。高校生春季討論集会を担当させてもらった時、三年生の生徒が「俺たちの言いたことを、助言者の先生にみんな先に言われてしまって悔しかった」と言った言葉が心に残った。子どもたちは論議の中で行きつもどりつしながら高まっていく。それを助言者が先に言ってしまった。結論を先に示すことによって、彼らの成長を阻害してしまう。今も私を強くしばっている言葉である。
 田辺高校での実践を振り返ってみると、地域制だからこそ高校でのクラス全員の家庭訪問ができたと思う。生徒の家族とふれあいながら思ったのは、教室と子どもの家とが文字通りつながっているということ。地域と、学校がつながっていることだと感じている。

 また、職員会議が楽しみだった。今では管理強化のもと、大変だと思うが、私は田辺高校で「今日は、どんな論議があるのか」とか「どんな判断をしなければならないのか」とか、楽しみでもあり、緊張もした。ある時は原稿を準備して臨んだ。「職員会議が楽しい」という思いを持てるようにするには、今後どのように取り組んだらよいか。京都では、地域に出ることのしんどさと同時に、「学校をひらけば楽になる」の実感があった。教職員の立場と父母は、目の前の問題で対立しがちであるが、それを乗り越えて一致していくことが大切である。「父母・地域との共同による学校づくり」は、全教の運動方針の根幹である。日教組は「学校づくり」の視点が全くないと言われている。

 
2 子どもと教育をめぐる共同・協同

 
 立場、思想、習慣、感性のちがう人々の共同、労働組合と市民団体、組織と個人の共同をどうひろげるか。労働運動の階級的な原則を座標軸とし、さまざまな分野・階層の人々との共同をひろげる柔軟性・発展性をあわせ持つことが、これからの教職員組合運動の発展にとってカギではないかと思う。

 教組共闘連絡会の担当をして、全国すみずみの地域で様々な条件のもとで活動している教職員仲間との共感・連帯を強める必要があると思った。また、市民運動の難しさとおもしろさを感じている。教職員という特殊な世界に安住していてはならないと思う。父母から「先生や教職員組合は、自分たちだけで教育問題をたたかっていると思っているの?」といわれたこともある。「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」の運動にかかわって思うのは、労働組合や組織の感覚にはない市民の発想のやわらかさ、一途なエネルギーである。個人の活動や市民運動と、労働組合など組織された活動との共同が大きな力を発揮することに確信を持った。

 全国連絡会では「組合の旗がたちならぶのはいや」「パネルなら良い」など、パレードひとつでも内部でずいぶん議論をした。結局は「いろいろな表現の仕方を、お互いに認めようではないか」ということになった。いろいろな問題を抱えた連絡会であるが、憲法を守る運動などで、幅広い分野の共同を追求するためには、多様性を認めるような、そんな広がりを持っていかなければならない。

 
3 憲法・教育基本法、そして 子どもの権利条約

 
 今教育がゆがめられている。日本経団連は「これからの教育の方向性に関する提言」(2005年1月)の中で、教育に「多様性」「競争」「評価」を強調。国際学力調査の結果を受けて、中山文部科学大臣は、「もっと教育に競争原理を」「詰め込みでなく、たたき込め、刷り込め」と言っている(2005,4,24朝日新聞)。子ども自身の発達や要求の視点から批判し、告発していかなければならない。改めて「これからが正念場」ではないかと思っている。

 「教員評価」について、東京の実態を言いたい。人事考課制度のもと、「教育職員業績評価」が2005年4月から「給与・処遇にリンクさせる」という形で行われるようになった。評価SABCDのうち、「CDがついた人は3ヶ月昇級を延期させる」という。3月31日に「評価」され、4月1日に転勤して、転勤先の校長から結果を知らされるという異常さ。都教組に寄せられた相談は20件あり、17人が「苦情申請」をしたが、覆ったものはない。ただ「校長への指導」が7件あった。ここにたたかいが一定反映されている。

{C・D}評価には、「育成指導対象」「昇級延期対象」の二つがある。「病休を夏休みにとれ」と言われて従わなかったことが理由とされたり、「家庭科だより」を出さないからだと言われたり、・・・・こうしたことが全部成績にリンクされている。
 今、教育の中味の支配、教育を司る教員への支配が、このような形で行われている。現場でのたたかいとともに、市民ぐるみの運動にしていく必要がある。

 二学期制のもと、「学習時間確保」で子どもが追いつめられている。同じ行政区内でも学校によって他校より20日間も夏休みが短くなるなど、小学校の段階まで「すべては特色と競争」になろうとしている。品川区の小中一貫校では、小学校5年生から「教科担任制」で行われようとしている。

 子どもの「意見表明権」については、「子どもの意見を出せない状況」そのものを問題にしていかなければならない。

 
4 教育基本法改悪をめぐる状況と、運動のいくつかの観点・論点

 
 この秋、私たちが憲法・教育基本法の真髄を深くとらえかえし、国民に知らせ、草の根からの運動をあらためてひろげる時だ。延長国会にも提案させなかった教育基本法改悪法案、これは改悪勢力の矛盾の深まりと、世論・運動の高まりの結果だ。教育基本法改悪により、「子どもの発達・成長権」「国民の教育権」を否定し、「国家による教育」を法制化しようとしている。憲法改悪と結んだ「戦争する国づくり」のねらいを斬る。同時に、それだけではなく、子どもの発達の権利、親の教育要求に根ざした運動を。

 国際的到達点である子どもの権利条約の観点からも、憲法・教育基本法の真髄をとらえなおし、その今日的な意義をひろめよう。公明党は、子どもの権利条約の29条の趣旨を盛り込めば、愛国心問題で、教育基本法改悪に反対している人、創価学会や支持者を説得しやすいと考えているようだ。そうした「切り崩し」を許さないためにも、国際的な到達点と教育基本法改悪の問題を深くとらえていく必要がある。民主党の提案では、「新憲法制定に連動して新教育基本法を」「現場の声を聞きながら教育基本法改定を」などと言っていて、この点からの「切り崩し」を狙っている。

 憲法と教育基本法、子どもの権利条約との3つを関連づけながら、とらえ直ししていく必要がある。

 
5 歴史的な転換点のいまとこれからをどう生きようか

 
 終戦直前に生まれ、平和と民主主義の形成期を生きてきた者として、戦争と民主主義の抑圧に対するたたかいを受け継ぎ、若い人たちへ伝える役目がある。全国教研開会全体会の「窪島誠一郎・安斉育郎対談」で窪島さんが、「国際平和ミュージアムの仕事が平和という旗を高らかに歌いあげているとすれば、ぼくは無言館から吹く風でその旗をへんぽんとひるがえらせたい。」と言った。「旗を立てる土壌がしっかりしないと、いくら美しい理念の旗でも倒れてしまう。その土壌づくりが教育なのではと思う。」とも言っている。いろいろな人たちが、アプローチや発信方法は違っても、それをどのように「大きく」受け止めながら「広げていくのか」このことを感じた。多様なアプローチについて、我々自身が心を開いて、たえず神経をとぎすませながら、それを受け入れ、自分のものとしていくことが大切だと思う。教職員組合運動としても市民運動としても、座標軸はきちんと押さえながら、同時に謙虚にいろいろな運動に学びながら、取り組んでいかなければならない。

 
質疑応答(略)

 
司会:攻撃は厳しいが、全国各地で運動が取り組まれている。現在の局面は、そういう状況だと思う。石川先生の話を元に、さらに取り組みを進めていきたい。今日の話をされた論点を分科会・分散会でも深めたい。

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