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ひろば136 特集

子どもたちの危うさと可能性−−子どもの発達課題と支援

 大きな事件の報道に接するたびに、どこか遠くの話ではなくて、自分たちの地域や学校にも捉えどころのない「危うさ」を抱えた気になる子どもたちがいることに思い至ることは少なくありません。

 現代社会が孕(はら)む子どもたちの育ちにくさのなかで、さまざまな発達課題を抱えながら生活している子どもたちの「危うさ」と同時に、成長の「可能性」にも焦点を当てながら、支援の在り方を考えようと特集を企画しました。



幼児期から小学生期の教育・子育てを考える

           −−小学校低学年の「荒れ」の問題に焦点を当てて−−

                                楠 凡之(北九州大学)


はじめに

 本稿では紙数の関係で小学校低学年の荒れを生み出す要因とその克服に向けての子育て、教育の課題に絞って報告する点、悪しからずご了解いただきたい。


小学校低学年の子どもたちの「荒れ」の実態


 今日、小学校に入学してくる子どもたちに大きな変化が生じてきており、新入生を担当する教員を悩ませる事態が各地で生じている。(倉本頼一他)  @人の話が開けず、落ち着きなく動き回る。A授業が始まっても座って用意ができない。B授業中に立ち歩き、大声で関係のない話をする、注意されても平気。C赤ん坊のように大声で泣き叫び、パニックを起こす。D食べ物の好き嫌いが激しい。E弱いものいじめや乱暴をしたり、何もしていない子を叩いてまわる。F学校ではわがままだが、家ではおりこう。G表情がなく、人と交われない。Hゴミを拾ってと頼んでも、「僕のじゃないもの」という返事が返ってくる。しかし、友だちが先生の言われた通りにやっていなかったり、約束を守っていないときにはものすごい勢いとしつこさで攻撃にかかる。Iケンカでは感情にまかせて相手をとことんまで痛めつける。

 教師がこのような問題を表出する子どもへの対応に追われて授業が成立しなくなる状況はしばしば指摘されるところであろう。このような「荒れ」は様々な要因が重なり合って生じてくると考えられるが、ここでは四つの観点から検討してみたい。


(1)基礎体力の発育阻害と大脳前頭葉や大脳辺縁部の中枢神経系の未成熟


 子どもが全身を使って遊び込むことができないような劣悪な保育環境の間違は、まずは背筋力のような筋力低下のかたちで現れてくる。たとえば、小一の子どもが四五分間、椅子に座って授業に集中するためには、男児でいえば自分の体重の一・八倍程度の背筋力が必要であるとされているが、今日の生育環境の中ではそれだけの筋力の発達が保障されなくなっているのではないか。

 また、全身で遊びこむ機会や自然、労働に参加する機会からの疎外が中枢神経系の成熟そのものを困難にしているという指摘もなされている。たとえば、正木健雄(一九九七)は近年、、大脳新皮質の前頭葉の発達に異常が生じており、「興奮」の働きが強くならず、また「抑制」の働きも強くならない「不活発型」の子ども、また、「興奮」と「抑制」のバランスがとれず、「興奮」と「抑制」の切り換えもうまくできない子どもがとりわけ男児で増加してきていることを指摘している。

 このような問題の背景には、幼児期からのスキンシップ、じやれあい、取っ組み合いや身体接触を伴う集団遊びなどの活動が十分に保障されていないという問題があり、大脳前頭葉の成熟、また、自律神経系の成熟が妨げられていく結果、一方での「身体化現象」(心身症、アレルギー性疾患)を、もう一方での「行動化過剰」(衝撃的な暴力や破壊行為)を生み出していると推測されるのである。このように今日の子どもたちの抱える問題を「脳」の危機の問題とも関連づけて検討していくことが求められている。


(2)自我・社会性の発達過程でのつまずき


 今日の生育環境が幼児期からの自我・社会性の発達を十分に保障できないものになっていることも低学年の問題事象の増加を生み出している可能性は否定できないであろう。ここでは、「自制心」の形成の問題に絞って検討してみたい。

 田中昌人(一九八七)他のいう「自制心」は、大脳前頭葉の神経生理学的な成熟を基礎とし、教育的人間関係が保障されることに上って、通常の場合、四歳半頃に獲得されてくる自我・社会性の力である。「自制心」とは、自分が依存している大人との信頼関係や、自分が遊びや仕事などで与えられた役割との関係で、自分の感情を誇りをもって制御していく力を意味している。この「自制心」の獲得によって、一定時間であれば「一人でいられる力」が育まれ、たとえば、かくれんぼなどで寂しさに耐えて隠れ続けたり、役割遊びなどでも、その役割に合わせて自分自身の行動を調整していけるようになっていく。

 従来の二年間の幼稚園教育は、この「自制心」の獲得をその発達的な基盤として成立していたと考えられる。たとえば、「本当はもう少しお外で遊びたいけど、今は先生のお話を開く時間だからがんばってお話を聞こう」というように、「自制心」を子どもたちが発揮することができていたからこそ、三〇人以上の子ども集団を何とか先生一人で指導することが可能になっていたのではないか。しかし、今日、少子化の進行とも相まって、密度の高い子ども同士の交わりの世界を築くことが困難になった結果、先生の言葉かけや自分に与えられた役割などとの関係で自分の行動を能動的に制御することができないという事態が広範に広がってきている可能性が推測されるのである。


(3)家族内葛藤と子どもの問題行動


 今日の厳しい経済情勢のもと、養育者が生活に追われて精神的なゆとりを剥奪されていく中で、子どもの気持ちを受容し、応答していくことができない家族が著しく増加してきていることは否定できないであろう。それどころか自分の苛立ちや葛藤を整理できないまま、子どもに当たることで表出してしまう場合も少なくない。たとえば、「仲間の失敗に対して物凄い勢いで攻撃をする」という子どもの行動も、自分自身の内的葛藤を引き受け切れないまま、子どもの失敗や指示の拒否などに対して必要以上に激しい叱責を加えてしまう養育者の姿を反映しているのかもしれない。

 また、現在、「親の前ではいい子」であり、しかし、学校や学童保育では暴力・暴言を揮う子どもの増加が指摘されているが、このことは何を意味しているのだろうか。やはり、養育者の受容が、「『いい子』であるという条件つきの受容」であると子どもが感じ取っているためであろうか。それとも養育者の感情の起伏が激しいため、子どもが安心して自分を出すことができない「得体の知れない」存在になってしまっているためであろうか。

 いずれにしろ、子どもはかなり強い「見捨てられ不安」を感じる状況にあるため、養育者の前では「いい子」にならざるを得ないのであろう。  養育者からの丸ごとの受容を体験できなかった子どもは、いったん教師との依存関係ができてくると、教師に「際限のない甘え」を示すと同時に、他の子どもが教師にかまってもらっていると激しい嫉妬の感情が生じてパニックを起こしたり、他の子どもを衝撃的に攻撃する場合がしばしばあり、学級崩壊の引き金となる場合も生じてくるのである。


(4)「就学能力」の獲得過程でのつまずきと関連状況


 「読み書き計算の学習が基礎学力として定着していくために必要な発達的基盤」が就学前においてどれだけ獲得されているかは就学後の学習への参加にも大きな影響を与えるであろう。

 ここでは、その一つとして、「文脈形成力」をあげてみたい。文脈形成力とは、「あのね、えーっとね」と言いながら、自分の生活体験を文脈化して「お話し」できる力を意味しており、田中昌人によれば、通常の場合、五歳後半頃に獲得されていく力である。

 このカが育まれていくためには、思わず語りたくなるような生活体験と、相づちを打ちながら、じつくりと子どもの話に耳を傾けて開いてくれる大人の存在が必要不可欠であろう。

 しかし、今日子どもたちが思わず大人に向かって語りたくなるような能動的な生活体験が減少していることや、大人自身がじっくりと子どもの話を聞いてやれるだけの時間的、精神的なゆとりを喪失していく中で、「文脈形成力」の獲得過程にもつまずきが生じている。たとえば、自分の思いを言葉で表現できずにすぐに「行動化」してしまう男児の中には、この文脈形成力の獲得過程でのつまずきを抱えた子どもが多く含まれているのである。


(5)このような「荒れ」の状況を克服していくための教育指導の課題


 ここでは、これらの問題状況を克服していくための教育指導の課題針四つの観点から整理してみたい。


@身体接触を伴う活動の組織化


 正木健雄は、今日、子どもたちに「抑制」を早期から強いるのではなく、「興奮」と「抑制」の両方の力、また、両者のバランスを取る力を高める活動の世界を保障することを重要であるとしている。そして、かつては兄弟関係や地域の子ども集団の中で自然に行われていたようなじゃれあい、取っ組み合いの世界を保育のなかでも実施していくことの重要性を指摘し、それを「社会的兄弟」の関係と名づけている。今日の少子化の状況を考えた時、様々な機会を通じて子どもたちが身体接触を伴うような活動を継続してやっていける「社会的兄弟」の関係を築いていくことが重要な教育課題となってきているのである。

 また正木は、小学校で「体育でゲームのルールを簡単にしてゲームに熱中させ、たっぷり運動させる」体育の授業を導入していくことで、「興奮」と「抑制」の機能の両方が発達している「活発型」の子どもたちが増加していくことを実践的にも確認している。このように、小学校の教育実践で身体接触を伴う集団遊びの世界(押しくらまんじゆう、探偵ごつこ、馬とび、Sケン、鬼ごつこ的体育)をどれだけ再生していけるのかが、「荒れ」の背景にある中枢神経系の危機を克服していくためにも重要な教育課題であると考えられる。


Aイメージを共有できる活動の組織化


 絵本の読み聞かせや、人形劇、劇遊びなどの活動は、子どもたちが「喜怒哀楽の感情」を豊かに共有していくことによって子どもたちの「心の基礎体力」を育んでいくと同時に、共感関係と連帯感を育んでいくことに寄与するものである。

 とりわけ、五、六歳の子どもたちには冒険、探検のイメージを共有していくことを通じて「第三の世界」に飛び出す力を育むことが重要な発達課題であろう。五歳児になると、エルマーのぼうけん、海賊フックのぼうけんというような、かなり長いストーリーの読み聞かせも楽しむことができるようになってくると同時に、「ぼうけん」、「たんけん」という言葉が独特の魅力的な響きを持つようになるとされている。

 これらの冒険物語は子どもの心の中に「自分も自分の力で何かができるのではないか」という「内なる勇気」を育んでいくと同時に、これらの冒険、探検のイメージを仲間集団の中で共有していくことが、「仲間との連帯感」を育み、不安感を乗り越えて新んい世界に飛び出していく力を強めていくことにもつながっていくのである。

 かつては、このような生活世界は地域の異年齢農団のなかで、年長の子どもたちを導き手として展開していた世界であったが、今日では意図的な教育的取り組みが必要なのである。生活科実践などの中でも自然的、社会的諸関係に子どもたちが積極的に関わっていく中で自然認識、社会認識の基礎を育んでいくと同時に、子どもたちが「学校たんけん」「わたしたちの町たんけん隊」などのように、仲間集団でグループを組んで教室外の学校や地域に飛び出し、仲間集団の連帯の世界を作り出していくことが重要になってきている。


B生活体験を文脈化してお話したり、他の友だちのお話をじつくりと聞く機会の保障


 子どもたちが物語りとして語ることができるような生活体験を保障していくことと同時に、そのお話を、相槌を打ちながら共感的に聞いてくれる大人の存在が重要であることは先に述べた。最初は大人との関係で話を開いてもらう体験を積み重ねつつ、その次には仲間集団のなかで自分の体験をお話できる力を育んでいくことが重要であろう。

 このようにして自分自身の話を仲間集団のなかで開いてもらうことの心地よさを発見していくことが他の子どもの話を開いていく力にもつながっていくと考えられる。

 近年、本の読み聞かせボランティアの取り組みなどが多くの小学枚で実施されているが、本の読み聞かせと同時に、子どもたちが多くの大人に自分自身の生活体験とそれに伴う思いを聞いてもらえる機会を保障していくことができれば、さらに意義のある取り組みになっていくと考えられる。


C対立を解決していく社会的スキルと初歩的自治の力の獲得


 低学年期の子どもにとっては、とりわけ自分の思いや感情を言葉を使って非暴力的に伝えるカの獲得は重要な教育課題である。そのことを前提にしつつ、お互いがしっかりと自分の思いや感情を表現しながら、お互いが納得できる問題解決のあり方を考えていくことが重要になってくる。そのためにも、さまざまな活動の場面で対立を経験し、また、対立を解決していく経験を積み重ねていくことが必要不可欠になってくるのである。

 また、その際には、「対立は悪いことではない。お互いが違う考え方、感じ方があるのだから、対立するのは当然である。問題はそれを両者の願いが満たされるかたちで解決していくことである」ことを確認していくことも重要であろう。このようなお互いの願いを平等に満たすルールを作っていく力こそが「初歩的な自治の力」を構成するものなのである。

●参考文献 楠 凡之 二〇〇二 「いじめと児童虐待の臨床教育学」 ミネルヴア書房
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