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ひろば135 特集

公立中高一貫校を考える
−−すべての子どもによい教育環境を−−

                  市川 哲 (京都教育センター)
 はじめに


 京都でも〇四年度から府立洛北高校と京都市立西京高校で公立の中高一貫校が誕生する。洛北高附属中学の説明会には募集定員八〇人に対し、二九二八家族、五三一一人が、また西京高附属中の説明会には一二〇人の定員に六〇〇〇人を超える小学生や保護者が参加した(「京都新聞」〇三・五・一〇および一七)。高校受験がなく、学校生活にゆとりがあるのではないかという思いや、六年間の一貫教育が個性の伸長や大学受験学力の充実に応えてくれるのではないか、という期待からであろう。

 全国で昨年度までに七三校、今年度さらに四五校が設置された中高一貫校を文部科学省は五〇〇校にする計画をもっている。高校進学率が九四%(全日制)を超える今日、すべての子どもを受験から解放し、ゆとりある学校生活のために中高一貫校を飛躍的に増やすことを考えてもよい。しかし、中高一貫校の数は限定され、一部の者だけの学校に留めおかれる。それは中高一貫校がすべての子どものための制度ではなく、「これまでの中学校・高等学校に加えて、生徒や保護者が中高一貫教育も選択できるようにすることにより、中等教育の一層の多様化を図る」ためのものだからである(文科省「各都道府県等における中高一貫教育校の設置・検討状況について」〇三・四)。


 中高一貫校とは?


 中高一貫校は第一五期中教審第二次答申(「二一世紀を展望したわが国の教育の在り方について」九七・六)を受け、制度化された。答申は中高一貫教育導入の意義と利点を、

@高校入試がなく、ゆとりある安定的な学校生活が送れる、

A六年間の一貫した教育が可能となる、

B六年間継続的に把握することで生徒の個性を伸長したり、優れた才能発見がより一層可能となる、

C異年齢集団による活動により、社会性や豊かな人間性を一層育成できる、としている。

  また、文科省が設けた「中高一貫教育推進会議」は、

D六年間を通じて、自己の在り方、生き方や将来の進路に関する学習を系統的・計画的に実施することにより、就職や上級学校への進学などの個性に応じた進路選択が円滑に行われるようになる、を付け加えている(「中高一貫教育の推進について〜五〇〇校の設置に向けて〜」○〇・一)。なお第九期中教審答申(七一年)までさかのぼれば、そこには六年間の一貫した教育で「幅広い資質と関心を持つ生徒の多様なコース別、能力別の教育を教育指導によって円滑かつ効果的に行うこと」と書かれている。中高一貫校のルーツが能力別の差別・選別教育構想にあることがわかる。

 実際の中高一貫校の設置形態は「中等教育学校」、「併設型の中学校・高等学校」、「連携型の中学校・高等学校」の三タイプであり、順に一つの学校組織で設置者が同じ、中高別の組織で設置者が同じ、中高別の組織で設置者が異なる、を基本に、教育課程の編成方法や選択科目(中等教育学校と併設型は特例が認められる)、教員資格などで扱いが異なる。

 小学校段階から受験競争が  中高一貫校、特に中等教育学校と併設型の誕生で、地域の中学に進学して高校受験を受けるグループと府県に数校できる中高一貫校を選んで特別な教育を受けるグループに小学校卒業段階で分かれることになる。その結果、″六年間の一貫教育″と″中学校+高校の教育″の二とおりに中等教育が再編され、複線化される。

 もし中高一貫校が大学進学で高い実績を示し(すでに卒業生を出している宮崎県立五ヶ瀬中等学校では約半数が国公立大学に進学)、またずば抜けた教育環境であるならば、そのことが進学の動機づけになることは避けられない。そうなると小学枚段階から中高一貫校をめざす進学競争が起きることになる。

 連携型は教育委員会が就学すべき高校を指定し、高校は調査書や学力試験によらない簡便な方法で入学者選抜を行うことができる。一方、中等教育学校と併設型では入学者の決定にあたって学力試験をしないことが定められており、小学校での成績や人物評価、面接や作文、プレゼンテーンヨン等が選抜に用いられる。その結果、小学校段階から人物評価や成績を気にする「よい子競争」が起きることになる。なおグラフや難解な文章を資料に用いて作文を書かせ、数学の能力や国語能力を試す等々、工夫次第で作文やプレゼンテーション等を限りなく学力試験に近づけることは可能である。京都でも選抜方法(例えば洛北高付属中の「作文・製作」)に対応する指導を塾が始めたことが報道されており(「京都新聞」〇三・六・一七)、受験競争の低年齢化は必至である。


 親の七光り−世襲議員と東大生−


 「ジバン、カンバン、カバン」は後援会や支持組織、知名度、金を意味し、議員当選に有利に働く要素である。親や親戚からそれらを受け継いで世襲議員が誕生する。衆議院の場合、四八〇名中一二三名が世襲議員であり(officc−SPCのHP)、そのほとんどが自民党、一部が民主党である(立候補段階で父母、祖父母、おじ、おばら親族が国会議員の「世襲」候補は、自民党が一一九人と最も多く、次いで民主党三五人、自由党一一人/○○年衆議院選挙。「日本経済新開」○○・六・一四)。有事法制を適し、イラクへの自衛隊派兵を目論み、「戦争ができる国」に日本の進路を大きく右に切った現政権は、首相、正副官房長官、自民党政調会長、防衛庁長官等々「二世議員」のオンパレードである。敗戦と軍隊の解体、日本国憲法と教育基本法の成立をトラウマにかかえる自民党議員(親族)の「七光り」のもとで育った世襲「エリート」が政治の中枢を占め、「敗戦の呪縛」(親たちの怨念)を晴らそうというのである。

 こうした世襲システムは教育にもある。

 東京大学は就職先も「一流企業」がほとんどであり、公務員や司法試験の合格者も全国一で、研究者をめざして大学院に進む者も多い。したがって、実業界や官界、教育や研究部門のエリートを輩出しているといえる。
 〇一年二月に放映されたフジテレビの「NONFIX非公式入学案内『東京大学物語』」(同社HP参照)によれば、東大合格者の約半数が私立の有名中高一貫枚出身であり、しかも出身地は東京が三分の一(関東まで含めると三分の二)、親の年収平均は一〇三四万円である。結局、東大は「東京出身のお金をかけた教育エリートたちが行く学校」である。

 三井住友銀行は文科省教育費調査(平成一二年度)をもとに、二年間の幼稚園を入れて高校まですべて私立だと一一六〇万円(学習塾費・物品費など学校外教育費を含む)、すべて公立だと五〇九万円の教育費が掛かると推計している(同銀行HP「教育資金」編)。また、文科省「学生生活調査」(平成一二年度)の授業料等と生活費を含む「一年間あたりの大学費用と家庭の支出」によれば、家計からの支出は国立大学の場合、一年あたり自宅生で七四万円、下宿生だと一四四万円である。先の数字と大学四年間分を合算すれば、中高一貫校を含む教育をすべて私立で受け、東大などの国立大学を卒業するのに自宅生で一四五六万円掛かる。東大生の半数以上はこうした高額の教育費を負担できる家庭の出身ということになる。

 東大を含む有名大学合格者は 「戦後一貫して、恵まれた階層の出身者であった。たとえば東大生のうち、専門・管理職の子弟が入学者の七〜八割を占めることは一九七〇年代半ば以降ほとんど変化していない。一九九〇年には保護者の平均年収が初めて一〇〇〇万円を超え、それ以後変わらぬ事実となっている。親の学歴も職業の威信も高く、収入の多い家庭の出身者によって、東大のような大学は占められてきたのである」、そして誰でもがんばれば良い大学に入れるという努力主義を基盤におく受験競争では成功が個人の努力に還元されてしまい、「どれだけ恵まれた環境の中でそうした努力が可能であったのかという、『生まれ』の影響」は注目されてこなかった(『中央公論』九九・八、苅谷剛彦「学力の危機と教育改革−大衆教育社会の中のエリート」)。良い大学に入るには「良い環境」(経済力を含む親の七光り)の中での努力が鍵になるというのである。

 京都でも京大を含む有名大学進学者数を誇る嵯峨野高校「京都こすもす科」は府下一円を校区とするため、下宿する生徒もいる。こうした経済的な負担に耐えうる者が恵まれた環境で学ぶことができるという現実を直視する必要がある。


 極端な教育条件の差は許されない


 経済界や国は「大競争時代」を勝ち抜くライフサイエンスやナノテクノロジー、ITなどの特定分野のエリート育成を教育に求め、特権的に予算を配分している。自然科学重視の「洛北サイエンス」、科学や英語に力点を置くとする西京の教育内容もこうしたエリート教育に傾斜していくであろう。「京都こすもす科」には初年度だけで五八億円が使われ、新品が入るので不用になった机や椅子を他の府立高校がもらい受けたという(『どう変える京都の教育』、自治体問題研究所、〇二年)。教育条件の貧困な学校があるもとで、今回の府と市の中高一貫校に対して校舎新設の費用とその後の運営費にどれだけ差別的な投資が行われることになるのであろうか。

 よい環境のもとで教育を受けるエリートと貧困な条件のもとで学ぶその他大勢組(マス)との違いを親の経済状況が分けるとするならば、これは明らかに憲法や教育基本法が保障する「教育の機会均等」の原理に背くことである。公費(税金)でもって差別的な教育環境を作り出すことは法の下の平等や人権(人間としての尊厳)の尊重をかかげる憲法の許すところではない。


 おわりに


 イギリスではかつて二歳段階で試験を受けさせ、適性と進路を判断して三種の中等学校に振り分け、生徒を進学させていた。しかしエリート校と目される「グラマー・スクール」に入れなかった生徒の中にも優秀な成績をとる者がおり(良い環境のもとで教育を受ければさらに多くの生徒が優秀な成績をとる可能性がある)、結局、六五年に試験を廃止し、三種の学枚を「総合制中等学校」に統合する方向が出された。日本の改革の先鞭となる「新自由主義」による八〇年代のサッチャー政権以後、こうした動きにも逆流がみられるが、早期の選別で教育環境を分けることが晩成の才能の伸長を困難にし、埋もれさせてしまうという事実から学ぶところは大きい。

 「国連子どもの権利委員会」(九八年)の指摘を待つまでもなく、日本の子どもは過酷な競争主義的教育のもとで子どもらしい感覚や遊び、生活を失い、ストレスを日々つのらせている。そうであれば小学枚段階に受験競争を引き下ろし、「勝ち組」の子にのみ「恵まれた環境」を与えることになることが必定の現行の中高一貫校構想を肯定するわけにはいかない。子どもらしい豊かな子ども時代のためにも、また負担になっている高校受験をなくし、どの子にも六年間のゆとりある思春期から青年期(中期)を過ごさせるためにも、少なくとも以下のような教育条件の整備を求めていきたい。


@希望するだれもが時間的な負担や経費を掛けずに通学することができる地域の中学校と高枚をつなぐ(これが基本である)


A中学校や高校で地域の特性をふまえた特色あるカリキュラムや教育活動に取り組み、中学枚のカリキュラムや教育活動を高校教育に活かす

(ア) そのためにも学校を地域に開く

(イ) 教育の専門家である教職員が組織的で、創意ある教育実践を展開できる諸条件の整備

(ウ) 実りある中高連携をすすめる条件整備


B中高ともに教職員配置を抜本的に改善し、教育力量を高める研修機会の充実を含む条件整備

C教育施設や設備、その他の諸条件の点でも極端な格差のない学校をつくる

(ア) 小規模の学校は小規模であることを利点に変えるカリキュラムづくりと教育活動を行う条件整備

(イ) 公費教育の実現

Dそれぞれの子どもの進路希望に丁寧に対応していける学校づくりと条件整備
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