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【特集「『仁義なき』学校現場──教育の競争主義を問う」】

「敗者は去れ」──激化する教育現場の競争主義

インタビュー

京都教職員組合副委員長

得丸浩一氏

 いつも忙しそうな教師。「子どもたちのこと、きちんと見ていてくれているのかしら」と不安な親。学校でいま何が起こっているのか、京都市教職員組合副委員長の得丸浩一さんに聞きました。

目に見える成果をあげよ

 ──今年の春、京都市教育長に就任した門川大作氏が4月の「市立学校長・園長研修会」で、校長や園長に「改革に職辞す覚悟を」と檄をとばしたそうですね。

 得丸 新聞報道もされましたが、門川教育長の発言をもう少し詳しく紹介すると、「自分で目標を決めて、実現できなければ職を辞するほどの覚悟が必要。改革を目に見える形で示さなければならない」と言っています。つまり「教育改革の成果があがらなければお払い箱です」と言っているようなものですね。そして、この一方で、市教委は「21世紀の学校づくり」事業として「手を挙げた学校」に今年度より上限200万円の予算をつけることを明言しています。少なくない学校が「手を挙げ」ており、すでに、今年度の「推進校」には200万円、「奨励校」には、40万円程度の予算が配分されています。

 こういうやり方を続ければ、公教育の平等原則は根本からくずれます。教育予算の差別配分です。

 ──具体的に何がおこなわれるのですか?

 得丸 「目に見える形」で改革の成果を出せというのです。研究発表や「自主」活動で優秀な成績を出させるといった形を求めているのです。そういうなかでこれまで「一校一品」と言われた学校の特色づくりから、一人ひとりの担任に「特色」を強制する「一学級一品」を言って、教師間競争をあからさまに打ち出した学校も出てきています。

 校長たちは「生き残りをかけた」競争にかり出され、そのために「勤務時間を忘れて仕事をする」戦前のような滅私奉公型の教師を求めて、それを強制するという構図です。なにしろ市教委は教師に対し、繰り返し「勤務時間を度外視してがんばるのがいい先生。そのような献身的な努力に京都市の教育は支えられている」と言っているのですから、教育現場の多忙化は加速度的に進むのは当然です。

 ──それだけ駆りたてる理由はどこにあるのですか?

 得丸 「構造改革」の柱の一つである「教育改革」が学校教育に市場原理を導入して教育を「活性化」させようとしていることにあるのです。すでに「改革」は小中学校の「スリム化」と高校の「多様化」、特定大学(大学院)の重点予算配分に向けて動きはじめています。

 経済戦略会議答申(1999年)は「教師間・学校間に適切な競争原理を導入して、それぞれが創意工夫を競い合う環境をつくることが必要である」とし「画一的で競争のない義務教育に複数校選択制を導入し、生徒自らの適性に応じた学校を選択できる自由を与える。それによって、学校間の競争促進を図るとともに、多様な人材を輩出できるよう各学校ごとの多様な教育カリキュラムを認める」と提言しています。

 さらに社会経済生産性本部というところでは「選択・責任・連帯の教育改革」と銘打って、初等・中等段階における入試廃止を言う一方で、学校選択の自由化を介して学校・教員間の競争を促すことで教育の質の向上を図る提言をしています。そして、ご丁寧にも、これが「子どもにやさしい」やり方だと言っています。

さびしい学校

 ──これも新聞報道ですが、京都市教育委員会は昨年までに、指導力不足で25人の教師に退職勧奨したことを発表しました。その記事には「学級崩壊」を指導力不足と責められ、退職した51歳の女性教諭のケースが紹介されていました。

 得丸 「指導力不足」「不適格」教員に対する免職・転職を含んだ「教育三法」が国会を通過したその日、市教委は「免職する法が通りました」と交渉団に通告してきました。事実上の「管理強化」宣言です。これまでも執拗に「退職勧奨」を繰り返され、退職に追い込まれた学級担任の数を市教委は誇らしげに報告してきました。

 さままざまな「教育困難」が入り乱れる教育現場において、すべての責任を学級担任一人に押しつけようという姿勢です。こういう姿勢からは前向きな教訓は何も得られません。


 ──新聞で紹介された女性教師の場合、校長が「指導」したがだめだった、とありました。こういう場合、校長の指導力は問われないのですか。

 得丸 「指導」といっても切り捨てるための指導もあるのです。よくしてあげようとか、助けてあげようとかという指導ではなくて……。結果として教師が退職すれば、校長にとっては「成果」になる場合もあります。なにしろベテラン教師一人の給与で、講師だったら何人も雇用できますからね。そんな中で今年になって、退職勧奨されている教師から組合に、相談や「SOS」の連絡が何件も入っています。組合員以外の教師からもありますよ。

 ──退職勧奨は、具体的にはどのように?

 得丸 学級が荒れたり、子どもの指導で問題が起きると、以前は地域教育専門指導主事がその学校に入って「指導」しましたが、最近では、地域専門主事室に直接呼びつけることも増えています。

 当該の教師一人に対し、指導主事や市教委の職員など数名で「指導」し、始末書を書かせます。「自分の指導がいたらなかった」「教員の資質に欠けた」「今度同じことをしたら辞める覚悟」などと書けというわけです。校長が同伴するのが普通ですが、相談者からの聞き取り調査では「かばう」校長はいないようですね。

 ──教師は、ますます自分の学級の問題を同僚に相談しづらくなりますね。相談することで、指導力不足のレッテルをはられるのが怖いと思う人もいるのでは?

 得丸 学校によっては、子どもの話題が出ない、差し障りのないおしゃべりに終始する職員室もあるようです。

 ──それでは一番の悲劇は子どもたちですね。学校が、子どもたちに「友情」「助け合い」などと教えるのもしらじらしいという感じです。学校は、子どもにとっても教師にとっても、ずいぶんさびしい場になってしまいますね。

 得丸 こういう競争は勝者と敗者を生みます。「敗者は去れ」というのが「教育改革」の中心、「スリム化」の正体です。

 映画監督の山田洋次氏はある雑誌で、学力について語る中で演技指導の例をあげ「俳優があることを発見する。それを私たちも応援する。そのうえで、ではどうするかという道を見出すまでには、すごく時間がかかるんですね。何時間も何日も。それをじっと待ってやる忍耐力が、監督には必要だ」と言っています。

 教育は勝ち負けではありません。「教育基本法」は教育の目的を「人格の完成」においています。「人格」は時間をかけてゆっくり創られていくものです。学校間・教師間競争の中では敵対する人間関係しか生まれません。そんなところに人格が育つはずがありません。

(とくまるこういち/取材・構成:矢田智子)
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