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【エッセー・私と京都】

先端技術と伝統文化が融和した街

Tulgat Mainbayer
Tulgat Mainbayer(トルガト・マインバヤル)
(モンゴルからの留学生・写真右端・銀閣寺で友人たちと)

見ると聞くとは大違い

 私はモンゴルからの留学生です。これはいつもの自己紹介ですが、モンゴルというとまず広い草原や馬、遊牧民などを想像する人が多いでしょう。中央アジアの高原、南のゴビ砂漠から北のフブスグルのタイガ、西アルタイ山脈から東ハルハ川のステップを故郷にして、遊牧文化がその歴史を1000年にわたって書きつづけてきました。でも、20世紀に入ってから首都ウランバートルなどへ人口が集中し、都会化、同時に近代化が起こりました。時間と空間に支配されない大自然の中で、小さな都市文化が歴史を始めたのです。
 「学校へ馬に乗って通っていましたか?」と聞かれたこともありますが、私はウランバートルに生まれ育ったものです。これは日本のテレビやメディアで取り上げられている映像がそうした場面が多いからでしょう。マスコミは視聴者たちにおもしろい情報を提供しようとするから、われわれは外の世界をステレオタイプ的に認識してしまいます。モンゴルのテレビや新聞も同じです。モンゴルの人々にとって先進国の日本といえば、まず最先端技術、新幹線、デザインや高さを誇る建物などを中心とした映像が興味深いです。来日前、私は百階のマンションに生活する日本人をイメージしていました。キモノ、相撲、さむらい、富士山、そしてソニー、日立、トヨタ。これらは日本についての私の知識そのものでした。工業化によって環境がかなり汚れた国ではないかというのも想像の日本でした。たった3、4年前の話ですが、いまと比べて日本の情報がずいぶん少なかったように思います。
 実際に日本に来てからいろいろわかりましたが、その中でなによりも驚いたのは、大切に保護されている日本の文化遺産や環境だったのです。とくに京都にきてそれを強く感じています。実は始めのころ京都にきたことがあまり嬉しくありませんでした。先進国の日本に留学しているつもりだから、一番ニギヤカでモダンなところに住みたいという思いがあったためです。
 街に古い家々が並んでおり、新しいと思われる御池通りでさえビルや建物が空へ聳えてなく、切れたみたいに同じ高さをしていました。お寺や神社は数多いが、足を向けるほどの興味はわきませんでした。しばらくたって、それが都市計画の下で建物の高さを制限していたことがわかりました。建物の高さの制限は全体の使用面積の制限を意味します。したがってそれが地価に影響し、都市経済に悪い結果を生み出すのではないかと私は思っていました。環境保護と経済発展は相互対立する場合が多いといわれていますが、これから発展を目指しているモンゴルの若者として、どちらかといえば経済発展を重視するような考え方を私はもっていました。古いものはもう要らないからどんどん処理し、新しいものを建設すればいいと考えていました。

京都での「発見」

Tulgat Mainbayer2
フブスブル湖

 京都に来てから最初の1、2か月は、生活用品を探し回り、新しい環境に慣れるためバタバタと過ごしていました。だいたいのものはバザーや交流掲示板で見つけた安い中古品です。留学生支援バザーなどは国際関係団体や組織がたびたび行なっています。京都が外国人に対して、さまざまな取り組みに力を入れていることは非常にありがたいのです。無料散髪もときどき行なわれ、ボランティアの日本語教室もいろいろなところでやっています。私は京都市国際交流会館などでの国際パーティや各イベントに参加し、何人も知り合いができました。
 京都には、私の日本での母になるぐらい親しい人が住んでいます。ある日、彼女は自分の古い時計を時計屋で直してもらったことを話しました。驚いたことに、その修理代は、なんと新しい時計が買える値段でした。なぜ、同じお金で新しいのを買わないかと聞くと、彼女は「どんどん捨てて、どんどん買っていくのは難しいことではない。それは機械による大量生産で作られているから。しかしそのためゴミも多くなり、環境問題にもつながる。もう一つは修理することは機械ではなく人間の手によるもの。そこに技術がいるのだ。直してもらう人がいてこそ、その大事な技術、つまり文化が失われない」と教えてくれました。このとき、文化や環境を大切にする考え方に感動しました。
 京都を走りまわる日が続くなかで、私は自分の住んでいる周辺から市内あちこちを「発見」していきました。そのうちに、少しずつ京都の良さがわかるようになり、街並みに親しみを感じてきました。岡崎公園、銀閣寺、そして清水寺が最初に印象的でした。前に望んでいたようなきらびやかな街は日本中どこでもありますが、京都のような街並みはどこにもありません。遊びや用事でほかの街を訪れると、その違いに気づきます。
 京都にたくさんの大学が集中していることも、学生の私たちにとって、とても意味があります。それぞれ長い歴史と誇りを持つ京大、同志社、龍谷、立命館などの大学は、京都のもう一面の財産ともいえるでしょう。
 私は京都にきたばかりのときの自分から、少し住み慣れた先輩に変わっていきました。下のクラスにモンゴルの後輩もきました。彼らに生活や勉学上で自分の知っているかぎりを教えますが、それ以外に日本の社会や人々についても説明しようとします。日本の社会構造、人間関係をはやく理解することによって、いわゆるカルチャーショックや誤解、それによる精神的な落ち込みなどを少しでも避けることができます。

先端テクノロジーと伝統文化

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トール川を下る私(手を挙げている)

 モンゴルの人々にとってよく耳にする日本の都市といえば、東京は首都として、大阪は関西空港からウランバートルまでの直行便で、広島や長崎は被爆の経験や平和活動で、という具合にそれぞれあげられます。京都は日本の旧都として知られていますが、最近は京都議定書で有名です。
 一九九七年に京都で開かれた国際会議は、地球温暖化を防止する初めての具体策を宣言したことで、地球環境運動に重大な役割を果たしました。その歴史的な会議をホストしたことがきっかけで、環境保護という全世界の新たな動きに、京都の名前が結ばれたのです。せっかく名が付いたことでもありますし、日本の、そして世界の歴史的、文化的、学問的な街でもあるので、京都はこれから地球環境問題に積極的な声を出していってほしいのです。行政レベルで特別策をとり、市民レベルでも活発な運動の強化を図ればと思います。同時に京都はその美しさを、その歴史を、その自然を世界の人々へもっとアピールすることが大事ではないでしょうか。
 日本にくる前、私は、経済成長のために環境を失うのは仕方ないと思っていましたが、いまはそのような考え方も変わり、環境を大事にする、古くてもありのままに残し、思い出、歴史を保つことの大切さを重んじるようになりました。維持することは造ることよりも難しいでしょう。モンゴルは持続可能な発展を遂げようとしていますが、将来のモンゴルの人々は、最新のテクノロジーと情報手段を日常生活で使いながら、古い伝統、遊牧の文化、そして自然もありのまま残してほしいと思っています。
 いま私は京都にきて本当によかったと思っています。日本で、先端科学技術、近代的生活様式の中に古い文化・伝統を抱きしめた街といえば、それは京都です。比叡の美しい山、鴨川に遊ぶさまざまの鳥、春になるといっぱいになる公園や社寺の桜を見ると、その環境の大切さを痛切に感じさせられるのです。

(トルガト・マインバヤル/京都大学経済学部3回生)
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