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126号
【エッセー・私と京都】

「古都」の生活を楽しむ私

孫
孫 戈(そん・か)
(京都大学経済学部学生)

川端康成『古都』に魅せられていた私

 日本へ来る前に、私はずっと故郷にいて、ほかのところで生活をしたことはありませんでした。そんなわけで、外国での一人暮らしは大丈夫だろうかという不安がありました。でも、京都に住めるのがうれしい、という気持ちもありました。というのも、川端康成の小説『古都』に魅了されていたからです。私は京都へ来る前に、もう京都が好きになっていたのです。
 京都は、私を失望させませんでした。最初に金閣寺を眺めたとき、そして、清水の舞台に立ったとき、言葉では言い表せない感動を覚えました。私はとにかく、京都を回って、日本の風情を精いっぱい味わいました。でも、残念なことに、龍安寺の庭では、何も感じることができませんでした。一緒にいたアメリカ人は何かを悟っていたようですが……。話によると、中国と日本の文化はお互いに近いので、かえってわかりにくいところがあるそうです。その後、紫式部の旧居や本能寺を思いがけず「発見」したときも、すごく興奮しました。けれども、こんなドキドキの生活は、京都へ来てから約1年後に終わりました。いま、私は銀閣寺の近くに住んでいて、清水坂の下でアルバイトをしているのに、銀閣寺や清水寺へ行きたいとはぜんぜん思いません。これは、私が京都の生活にもう慣れたのを示しているのでしょう。

関西弁、阪神ファン、薄い味

 京都の生活に慣れるのには、あまり苦労をしませんでした。道はとてもわかりやすく、大体の方向さえわかれば、どう行っても着けます。迷ったときは、周りの方に聞くと、いつも親切に教えてくれました。みんな、簡単な日本語を使って説明するのが上手で、英語で説明してくれる方もいました。私の変わっている日本語に対しても、みんなは微笑んで理解してくれました。だから、生活の中にあまり不便を感じませんでした。そういう意味では、京都は国際化がかなり進んでいますね。
 京都は、地震も少なく、台風もめったに来ないので、夏の蒸し暑さと冬の寒さとがなければもっといいですね。ま、完璧なところはない、私にとって、もう理想的な町です。古い長屋、静かな毎日、お婆さんの丁寧な言葉……、京都のどこかに、私は親しみを感じます。私が想像した「故郷」の雰囲気が、京都にはあります。京都に長く住んで、私はなまりがあるのが好きになりました。だんだん、関西弁をしゃべり、阪神ファンになり、薄い味が好きになり、自分は外人だという意識は薄くなりました。これは京都が大きな包容力を持っているからだと私は思います。
 京都での、この3年余りの間に、私はたくさんのことを経験しました。
 2年程前、ある先生の紹介で、私は鳥羽街道団地に住んでいたことがあります。5月、そのあたりは藤森祭があって、私は祭りの行列に参加をしました。昔の武将の鎧を着て、町を歩いたことは、いま思い出すと楽しいですが、当時は重いとしか感じませんでした。頭も自由に動かせず、歩きながら、昔この格好で戦った人たちに対し、尊敬の気持ちで一杯になりました。
 その後、修学院の近くに移りましたが、ある日、アパートの前で野猿を見ました。最初、動物園から逃げた猿ではないかと思いましたが、近くで、また何匹かの猿がごみ箱を倒して暴れているのを見ました。野猿を見るのは初めてで、でも自分が住んでいるところに野猿が出るなどとは夢にも思いませんでした。思い切って、猿に「何をやっているのか」と声をかけてみると、猿は白い歯を見せて威嚇してきました。でも、これは、私がもっと怒るべきことではありませんか。考えても見てください。こんな信じられない話を人に言っても、ただ馬鹿にされるだけでしょう。幸い、その後、野猿が何度か現れたので、私は記念に写真を撮りました。いま住んでいるところでは、狸に二度も出くわしました。それから、鳩に道を譲るために、自転車の急ブレーキをかけたりと、京都は動物が多いなぁと私はため息を吐かざるを得ませんでした。
 今年の初めには、学校の先生に誘われて雪山で合宿もしました。北山でバスを降りてから、雪道を3時間ぐらい歩きました。見渡すところは白色だけで、まるで別世界に入ったようでした。山小屋に着いたときには、みんなもう疲れていて、かわいい山小屋はさらにかわいく見えました。夜は、遅くまで酒を飲んだり、歌を歌ったり、子ども時代に戻ったように騒ぎました。男の子が一人いて、次の日、私たち留学生は、彼と一緒に、大きな変わった雪だるまを作りました。彼はあの雪だるまを好きではなさそうでしたが、私たちは楽しくて満足しました。雪だるまを作るなんて、大人だけではできないことも、子どもと一緒なら平気ですね。子どもがほしいと私は一瞬思いました。

中国で祇園祭を思い出すとき

孫2

 学問の都といわれる京都での生活は、私にとっていい勉強になっています。そのうえ、京都は留学するのに大変便利だということが、私は後でわかりました。関西地区の留学生の日本語能力試験などは、京都大学でおこないます。ほかのところの留学生より、京都の留学生はラッキーですね。大学受験のため、私はあちこちを回りましたが、最後に、京都で残ることができ、とても良かったです。京都は東京、大阪の大都会より、落ち着いていて、静かで、勉強するにはいい環境です。京都は保守的な町と言われますが、では、なぜ個性溢れる京都大学があるのでしょう。面白い現象ですね。
 私は、哲学の道で散歩するのが好きです。哲学の道の景色は季節によって変わり、いつもきれいで、見飽きることはありません。そのうえ、いま住んでいるアパートから20メートルの距離ですから。私は哲学の道という名もその由来も好きで、これは特別な意味がある道だと考えていました。ですから、哲学の道を歩くときは、何か真剣な問題を考えようと何回も試みましたが、うまくいきませんでした。そこで、私は自分の能力を超えた目標を諦めて、この道を自分なりに楽しもうと考えました。そしてそのうちに、自分は歩くとき何も考えないタイプなのだとわかりました。体は本能に従って歩き、頭はぼんやりし、結構リラックスできます。
 最後に、私は外人なので、京都の三大祭を見に行かなきゃとの強い思いがあります。
 一昨年、祇園祭の宵山に行きました。鉾はどんなものかといろいろ想像していましたが、本物を見て、大きな車だとわかりました。何百年も前に、木でこんな建物みたいな車を作ったのはすごいですね。鉾から見ても、日本人は車を作るのが本当に上手です。いま、日本の車は世界中を走っていますが、この大きな古い車は依然人力で動きます。そして、祭り自体も、人々の力で、何百年も維持され、そしてそれを次の世代へ伝えていくという考え方に、私は大変驚きました。現代化がすごい勢いで進む日本には、こんな一面もあるのですね。日本は欧米の文明を受け入れ、現代化を進めながら、自国の文化、伝統をも大切します。日本はよくできた国だと感心します。
 時代祭では、日本古来のさまざまな服装を結構楽しめました。時代祭の行列は、近代から昔まで、ゆっくりと歩いて来ます。歴史の流れを振り返ることが出来るようになっているのは、なかなかいい発想です。葵祭はとても静かな祭りで、外人の私にとっては、少し退屈な感じがしました。でも、京都の祭りは、ほとんどが静かで、京都人の気質をよく現していると思います。
 私はときどき思います。何年か後、中国に帰ったとき、7月になって、京都はいま祇園祭だと気がついたら、どんな気持ちになるでしょう。来年も、祇園祭を見に行こうと私は心に決めました。

(そん・か/中国人留学生)
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