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季刊「ひろば・京都の教育」第124号(2000年11月)

エッセー「私と京都」 留学雑記……
 胡俊杰(フー・チンチエ) (京都大学大学院工学研究科)

 日本に留学してから、七年間ずっと京都で暮らしてきました。振り返ってみると、この七年間に多くの方々と出会い、いろいろなことを経験し、たくさんの良い思い出ができました。日本のいろいろな都市にも行きましたが、京都は私の故郷――中国武漢市はよく似ていて、人情があふれている、歴史の古い町であり、日本では私はやはり京都が一番好きです。この機会に、京都での留学生活の思い出を書きたいと思います。

日本語

 日本に来るまで私は日本語を勉強する機会がありませんでした。京都大学の研修員として初めて日本に来たとき、知っていた日本語は、「こんにちは」、「さようなら」ぐらいでした。当初、先生の指導を受けるときには、全部英語でやりとりしていました。また外に出たら、道路や店の看板には漢字があちらこちらに書いてあったので、外国にいる感じがあまりしませんでしたが、しばらくして日本語でのコミニケーションの場所になると、ゼミでの他人の発表が分からないし、身近な人とほとんど会話もできなくなり、すごく落ち込みました。あのとき、私の心の中は、「私はどうして日本に来たのだろう」というくやしい気持ちでいっぱいでした。幸いにも、「吉田日本語学習友の会」の活動に参加させてもらいました。そこで私の初めての日本語の先生――児玉富美子さんと出会い、週に数回、時間があるときに日本語、そして、日本の文化風物までを教えてもらいました。  児玉さんのおかげで、3か月後には私の日本語が少し上達し、日本人の友だちと会話できるようになりました。その間に、日本の挨拶の言葉も勉強しました。「初めまして、どうぞよろしくお願いします」というような長いものもあれば、「おおきに」というような短い京都弁もありました。しかし、最初は、やはり言いにくいと感じました。日本語がまだそんなに流暢ではなかったので、恥ずかしさも一つの原因だったかもしれませんが、日本ではどうしてこんなにいちいち挨拶しなければならないのかと、抵抗を感じたのももう一つの理由です。また一方では、日本人の独特な「曖昧さ」に直面し、彼らが本当はどう思っているのかよくわからないことがしばしばありました。もちろん今では、日本の生活習慣から、日本人が独特な言葉を使うことでり相手を気遣ったり、配慮したりしていることがわかりました。ただし、これは相手もこちらの気持ちを推し量れることが前提としての言い方なので、外国人にとっては、やはりわかりにくいものだと思います。

トマトとお茶漬け

 文化、宗教及び価値観の違いによって、ときどき誤解したり、誤解されたりすることがありました。異文化の人々と関わる上でこのような誤解は付きものだと思いますが、その原因を私なりに解釈すれば、やはり、人々の物事に対する認識が違うためではないかと思います。京都での毎日の生活で実感するのは、外観的には、中国と日本はよく似ているとは言え、国民の考え方や生活の習慣がまったく違うと思います。  一つ例を挙げますと、日本に来た1年目のとき、私は、修学院にあるアパートを借りて住んでいました。ある日、私は中国から持参したお土産を持って、アパートの大家さんのところへ挨拶に行きました。大家さんはそれを受け取ってくれましたが、話を終えて私が帰ろうとすると、大家さんは大きなトマトを三つくれました。「えっ、これはどういうこと!?」、私は、お土産をあげて、すぐお返しをもらうことにすごくショックを受けました。これは日本人の習慣であることが後でわかりましたが、中国人の考え方だと、お土産をもらって、すぐお返しをすることは「売り買い」と同じことで、大変失礼なことなのです。中国の習慣としては、好意は好意として、ありがたく受け取っておき、適当な時期を見計らって自分からの気持ちを、贈り物の形で相手にお返しをするのです。  また、「京のお茶漬け」に関する私の経験を話します。日本に来る前に東京で留学経験のある友人が「京(都)のお茶漬け」という言葉を教えてくれました。京都に来ている私は、最初日本の友人の家に食事を招待されたとき、日本語がまだあまりわからないけれども「お茶漬け」という言葉が出てくるかもしれないと思い、漏れないように一生懸命聞き取ろうとして、口に入れた料理の味もわからないほどすごく緊張していたことを今でもはっきり覚えています。数日後、同級生のA君の下宿先に訪ねたとき、A君はいきなり「お腹が空いたでしょう? 一緒にお茶漬けでも食べましょう」と言いだしました。私は、えっ? 来たばかりなのにと思いましたが、「いいです。もう帰ります」と答えました。そうすると、今度はA君が不思議そうに、「なんですぐ帰るのですか?」と尋ねたので、“お茶漬け”の話をしたら「それはもう昔話だよ」とA君が言いました。今、振り返ってみると、この数年間、私は京都の人々の暖かさに随分触れました。道を迷ったとき、全く面識がないにも関わらずわざわざ自分の行く場所と逆方向の私の目的地まで案内してくれたお姉さん、数年前の米不足のとき、おいしいお米を贈ってくれた隣のおばあさん、引っ越しのとき、店を休んで車で荷物を運搬してくれたバイト先のマスター夫婦。私が接した京都の人は優しい人ばかりでした。つまり、京都の人々から貰った暖かい励ましと思いやりは私が日本で勉学・研究し続けることを支える原動力でした。

室町寮

 来日2年目に、大学院入試に合格し、京都大学大学院に入学するとともに、京大唯一の院生寮――室町寮に入居しました。  元々京都市上京保健所だった室町寮は木造ですが、かなりしっかりした2階建ての古い建物です。今年は開寮50周年に当たる年ですが、30年前からすでにシロアリが出没しているにもかかわらず、阪神大震災のときに奇跡的にも無傷だったことは、何よりもの証明でしょう。寮の前には、大きな中庭があります。私は疲れて息抜きしたいときは、いつも廊下の窓から緑いっぱいの中庭を眺め、心をいやしていました(残念なことですが、入寮当時にあった1本の立派な桜は、ある台風で倒れてしまいました)。  室町寮は個室制で、部屋はそれぞれ4.5〜6畳の大きさです。狭い部屋の唯一の窓から、初春の朝に隣の公園でご老人がゲートボールをしているときのボールのぶつかる音、真夏の昼に放課後の子どもたちの笑い声、中秋の夜に相国寺から流れてきた鐘の鳴り響く音、冬至の夕方にリヤカーの焼き芋屋さんの単調な物憂い音が聞こえてくるとき、何となく心の奥に隠れていたはずの故郷への懐かしい思い(郷愁?)をふと感じさせてくれます。  寮生は、十数名で、そのうちの半分は留学生です。研究室の所属はもちろん、個性の面でも実にバラエティーに富んでいました。皆は兄弟の如く共同生活し、暇なときには、良く共用の娯楽室に集まってお茶を飲み、雑談をしていました。話題は勉強、研究のことだけではなく、お互いの国のことや日本での生活のことなども話します。励まし合うこともあれば、喧嘩することもあり、こうして、お互いに少しずつ理解し合い、日本をはじめとしてさまざまな国のことを身近に実感できました。室町寮はまるで一つの小さな世界でもあり、国際交流の場でもあるのです。  私の京都の留学生活はもうすぐ終止符を打つことになります。しかし長い間の苦しくって、楽しい留学生活は私にとって貴重な経験であり、一生大切にしていきたいと思います。 (フー・チンチエ/京都大学大学院工学研究科)
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