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第1部 問題提起
 
講演 戦争と平和の視点から子どもと教育を問う
 
安斎 育郎(立命館大学国際平和ミュージアム館長)
 
はじめに
 
 今日は「戦争と平和の視点から子どもの教育を問う」ということですので、何がしかそういう議論の参考となるような話ができればと思います。何事を考える場合にも、だいたい私は、「4つの大事」から出発するようにしております。というのは、大学で先生稼業などをやっておりますと、教室で私がしゃべっていることが「学生の人生においてどういう意味をもつのか」ということについて、私なりに納得していないと何を教えていいのかさえも定められないわけです。それで、私の青年期教育の基本として、今のところ、この「人生4つの大事」というのを基本にして考えております。
 
 人生4つの大事
 自分なりの価値を見つけ出す
 
 1番目は、人生なんとなくのんべんだらりと生きるのではなく、生きることによってどういう価値を実現しようとするのか。それを自分なりに見つけるということが一番大切だろうと。「人生、いかなる価値を実現するために生きるのか」、それは「人生の目標」と言ってもいいし、「生きがい」と言ってもいいでしょうが、自分なりの価値を見つけ出すということです。そのためには、われわれの先輩たちが、いろいろの価値を実現しようとして、人生を生き抜いてきたたくさんの実例があるわけですから、小説を読んだり、演劇を見たり、あるいは映画を見たり、人の話を聞いたりして、誰が、どういう価値を引っさげて人生を生き抜いていったか。そういうことにできるだけたくさん接して、そして反発したり、共鳴したりしながら「これぞ生きる価値だ」というのを、自分なりに発見するということがとても大事だと思うのです。そのためには学生諸君に、大いに本を読んだり、演劇を見たり、映画を見たり、人の話を聞いて「生きる価値とは何なのか」ということについて、豊かに考える機会を持つがよいというふうにお話ししているところであります。
 
 価値実現のための主体的な努力を払う 
 
 2番め。これぞ自分なりの価値だ、というのが見つかったら、その価値が天から棚ぼた式に降ってくるのを、口をあんぐり開いて待っているような受動的な生き方ではなくて、自分なりの価値を実現するために周囲の自然や社会に豊かに働きかけて、自分の力を存分に発揮して価値実現のための主体的な努力を払う、ということがとても大事だということではないかということです。それでうちの学生にも、「『最前列で安斎先生の話を1から100まで全部聞きました』と言うだけでは、点は半分しかあげられない」と言っているのです。自分なりの価値を見つけたら、その価値を実現するためにボランティア活動とか、自治会の活動とか、サークル活動に身を投じてみて、その自分なりの価値を実現するための悪戦苦闘の主体的な努力をしてみるがよい、と言っております。
 そういう努力をしてみるとすぐ分かることは、自分が掲げた価値を実現するのは容易なことではないということです。さまざまな困難が降りかかってくる。その困難ゆえに「やめた」とあきらめるようであれば、君が掲げた価値はその程度の値打ちのものでしかなかったということになる。自分が掲げた価値が尊いものであればあるほど、降りかかってくる困難の原因を一つひとつ突き止めて、その原因を克復するために悪戦苦闘の主体的努力を払う。その悪戦苦闘の主体的努力の果てに自分が掲げた価値を実現しえた時の喜びというのは、非常に大きな達成感、充実感に満ちたものになるはずであるから、大いに主体的努力をするがよいというふうに言っているわけです。
 
 科学的世界観を豊かに
 
 3番目には、自然や社会に豊かに働きかけると言ったけれども、やみくもに、でたらめに働きかけたのでは現代のドン・キホーテになるばかりで、無駄骨を折るだけになるから「自然や社会というのは、どういう仕組み・成り立ちでできているのか」。自然や社会の仕組みについての合理的・体系的知識、――言い換えれば、科学的世界観――を豊かに身につけるがよい。そのためにこそ、大学には自然科学・社会科学・人文科学などの講義科目が何百と展開されているのだから、大いに勉強もするがよいというわけです。そのことによってこそ、自分が掲げた価値を実現するためには、どういう筋道を通っていけばよいのかという展望が切り開かれるはずだから、価値の実現のための筋道を展望しうるためにも、自然や社会の仕組みについての豊かな合理的・体系的な知識を身につけるがよかろうと言っているわけです。
 
 「自己の相対化」という視点をもつ
 
 4番目には、「自分が掲げた価値が絶対のものだ」と思い込むと、自分と違う価値を掲げている他人がしばしば邪魔になる、あるいは対立が起こる。民族と民族が異なる価値を掲げて、「われわれの民族が掲げている価値こそが、他民族が掲げている価値に優先して実現されるべきである」とこうこだわると、中東で起こっているように民族紛争にまで発展していく恐れがあるわけです。自分の価値を絶対化するのではなくて、やはり相対化する、ということが必要だろうということです。「自己の相対化」という視点をもつことが平和的な人間関係を保つためには、是が非でも必要ではないかというわけです。
 
 自己実現と幸福追求
 
 よく引用されるジャン・アルチュール・ランボーという、フランスの象徴派の詩人流に言えば、「私は一個の他者である」という見方。――他者と自分を同じ目の高さでとらえるという、そういう見方が必要ではないか――こう言っているわけですね。そのように考えてくると、「人生の幸せというのは、自分なりの価値を見つけることができ、その価値を実現するために持てる能力を100%発揮させて、生き生きと価値実現のために取り組めているような状態」、それが幸せ、あるいは幸福というものの実質的な意味だろうというわけです。それは言い換えれば、よく言われるとおり「自己実現の状態」というふうに言えるだろうということです。
 
 国がやるべきことは2つ
 
 「幸福追求の権利」 そして、そのような状態が幸福であるとするならば、日本国憲法の第13条というものは「幸福追求の権利」を、国民の固有の権利として認めているわけですから、国がやるべきことも見えてくるわけです。13条は長い条文ですが、その幸福追求に関して書いてある部分をまとめれば、「幸福追求の権利は国政上最大の尊重を必要とする」と書いてある。国民一人ひとりが幸せを追求する固有の権利を持っているということを、最高法規において認めているわけです。とすれば、「国がやるべきことは2つあって、2つしかない」。
 1つは、「国民一人ひとりが、自分なりの価値を見つけるのを豊かに支援する」ということです。教育というのは、そういう非常に重要な場の1つであるに相違ない。2番目には何か。「一人ひとりの国民が、自らの人生の価値として見出したものを実現するために、持てる能力を100%発揮できるような社会的条件を整える」ということです。この2つが、国がやるべき最も基本的な役割ではないか、というふうに思われるわけであります。「日本国憲法というのは、大変優れた憲法である」。部分的に天皇制にかかわる問題のある条項を含むとしても、非常に平和学的にみても優れた憲法としてしばしば引用されるわけです。確かに、例えば憲法27条というところを見ると、「すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負う」と、こう書いてある。驚くようなことが書いてあります。「勤労の権利を有し」ということであれば、働きたい人は働いていいということを保障しているということであって、特に何も問題を感じないかもしれない。けれども、「義務を負う」と書いてあるわけですから、「働かざる者は食うべからず」と最高法規で書いてあるわけです。もし、そう書いたのであれば、働く意思を持った人には、すべて働き口が提供されるというのが、国が整えなければならない条件なはずです。そうでないと、国民は最高法規に書いてある憲法上の義務を果たすことさえできない。
 
 平和と構造的暴力
 
 ところが、日本国を見てみると、完全失業率だけで全国平均で5%余り――関西地区などでは、7%台――ということで、働く意思を持っていながら働く条件さえも整っていない。つまり、国民が憲法27条の義務を果たそうにも、果たしようがないような状況があるわけです。決して、この自己実現を遂げられるような社会ではないということは、それだけを見ても明らかでありますが、最近、もっと不気味なことには、日本では1年間に3万人以上が自殺をしている。しかも、中高年の働き盛りの人たちを中心に自殺をしている。誰も、好んで自殺をする人はいないわけで、なぜ、その働き盛りの人々が自殺をしなければならないのか。これは後で申し上げるように、一種の「構造的暴力」と平和学では見られるものですけれども、こういうものがあるということ自体、この国が憲法上の保障はもとより、とてもじゃないけれど、「平和」あるいは「自己実現」が、保障されるような条件にはないことを、如実に示しているのではないかと思われるわけであります。
 
 暴力の対置概念としての平和
 
 そこで2番目。今日は戦争と平和を論ずるわけですから、「平和とは何か」ということを考えましょう。今日の演題では、「戦争と平和」というふうに、戦争の対置概念としての平和が取り上げられていますが、実は、現代平和学では、「平和」というのは、戦争の対置概念以上のものとして理解されているわけです。そのことを一応、申し上げておいたほうがよいでしょう。次に「平和というのは戦争のない状態以上のものである」というふうに書いています。そして、「自己実現を保障する社会的条件」、これこそが平和というものの内実である、というふうに現代平和学では理解が広まっています。そういうことを言い出した人は、ノルウェーの国際政治学者であり、平和学者であるヨハン・ガールティングという人物です。――一時、ノーベル平和賞の候補にもなった人で、立命館大学の国際関係学部客員教授を3年間勤めていただいて、京都にいまだに家も持っていて時々日本にやってくる方ですけれども――このガルティングは、平和を戦争の対置概念から、暴力の対置概念に拡大した人であるわけです。平和は、戦争や軍事化のような「直接的暴力」がないだけではなく、飢餓・貧困・社会的差別・不公正・人権抑圧・環境破壊・教育や衛生の遅れなど、人間能力に全面開花を阻む社会的原因としての「構造的暴力」のない状態。さらには、それらの直接的暴力や構造的暴力を、助長・正当化する文化のありようとしての、「文化的暴力」のない状態。これを含んで、「平和」というふうに言うという理解が広まりつつあるわけです。これは、いささか国によって違うわけで、アメリカの平和学などでは、いまだにそういう趨勢というよりは、むしろ「紛争解決学」としての平和という側面が非常に強いのです。ですけれども、日本の平和学者の間では、かなりこのヨハン・ガールティング流の「暴力の対置概念としての平和」という考え方が広まっているといっていいだろうと思います。もちろん、これについては反対もあって、平和をそんなに拡大解釈してしまったら、平和学者が取り組むべき重点課題が何なのか、ということさえ見えにくくなるということで、「やはり、平和は戦争の対置概念として定義したほうがいいんだ」というふうに考えている人もいなくはないのです。確かに、国際平和研究学会「イプラー」というのを、立命館大学で1992年の夏にやりましたけれども、その時も分科会が18もあって、ある所へ行けば環境問題をやっている、ある所へ行くと核問題をやっている、ある所へ行くとジェンダーの問題をやっているというふうに、たぶん、あの分科会を回って歩くと何の学会か分からないだろうと思うのです。
 したがって、それが平和学会であるということは、総会の席で今、世界の平和研究者がこぞって取り組むべき重点課題は何なのか、ということを集中的に議論するという保障がないと分散してしまうわけです。
 しかし、世界の平和学はそのようなさまざまな人間の自己実現を阻む社会的原因――これは根を同じくするものとして、戦争を生み出す原因、さまざまな問題に横断する原因を探り出して、その克服のための理論構築をするという新たな局面を築いたものとして、このヨハン・ガールティングの「暴力の対置概念としての平和」という考え方は、広く受け入れつつあると言っていいだろうと思うのであります。
 そして、直接的暴力というのは、レジュメに「戦争や軍事化のような」と書いてありますが、これは「暴力を行使する主体が直接目に見えるようなもの」をいうわけです。だから、戦争や軍事化だけではなくて、「いじめ」などというものも直接的暴力でありますし、ある種の公害、チッソという会社が有機水銀を垂れ流したから、水俣病がおこったというのは、明らかに直接的暴力と言えるわけです。「構造的暴力」というのは、その原因者が社会の構造となって潜在しているために、一体誰が悪いのかという特定の原因を指摘することができにくい。そしてそれは、しばしば血が流れるようなことがないような形で行使される暴力です。あとでその具体的な例もいくつか申し上げたいと思います。
 直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力 文化的暴力というのは、そのような直接的暴力や構造的暴力を助長するような、例えばテレビ文化のありようとか、そういうものをいうわけで、これも後でいくつかの例を申し上げることにしたいと思います。そこで今日この後は、直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力のそれぞれについて、ケーススタディー的に、具体的な問題を取り上げてみたいということで、「直接的暴力としてのイラク戦争―アメリカはなぜ戦争を急いだのか?」、少し時事的な問題に即して、「直接的暴力の最たるものとしての戦争」を話題に取り上げてみたいと思います。
 
1.9.11テロをめぐって
 (1)「9・11テロ」直後のアメリカ講演で感じたこと
 
 1番目には「『9・11テロ』直後のアメリカ講演で感じたこと」。2年前の9月11日のほぼ1ヶ月後に、私はアメリカの「平和のための講演」に呼ばれて行きました。アメリカのモンタナ大学という州立大学ですが、そこにマンスフィールドセンターがあります。マンスフィールドという名前は、ご承知かもしれませんけれどもアメリカの日本大使を11年間つとめた、あのマイク・マンスフィールドのことでありまして、つい2年ほど前に亡くなったばかりで98歳まで生きた人です。第1次世界大戦から晩年まで、アメリカの10代の大統領にアジア問題の専門家として忠言を与えたという、驚くべき長命の政治家でありました。人望が厚かったということもあって、アメリカの連邦議会の院内総務を16年間勤めた人としても知られています。モンタナ大学の中にモールイン・アンド・マイク・マンスフィールドセンターというのがありますが、モールインというのは、マイク・マンスフィールドのお連れ合いの名前であります。お連れ合いもマンスフィールドが死んだ1年後に亡くなっています。そのマンスフィールドセンターが国際会議を開いて、そこに呼ばれて行って、「過去と誠実に向き合う―和解と共生」という題で、講演することを求められたわけです。
 
 (2)車という車に星条旗
 
 この時に感じたことですが、モンタナ州のミズーラという町の、モンタナ大学のすぐそばのホテルに宿をとってフロントに行ってみると、そこには巨大なアメリカ国旗が貼り出されていました。そしてホテルの駐車場に止まっている車という車には、アメリカの星条旗が貼ってあるわけです。異常事態であります。前にアメリカに行った時は、そんなことは1度も目にしたこともないような事態ですね。モンタナ大学の先生に「これは一体、どうしたことか? アメリカ人がみんなこの国粋主義的なナショナリストになってしまったのか?」というニュアンスで聞いたところ、「いや、そう思ってもらっては困る。今、この国旗を貼っておけば何も言われないのだが、貼らないでおくと『何で貼らないんだ』と言われるから、とりあえず貼ってある人も多い。全員が国粋主義的アメリカ人になったわけではない」と言うわけです。しかも、その貼ってある国旗の80%はメイド・イン・チャイナだと言っていました。あれ以来、中国ではアメリカ国旗の生産に追われて、中国国旗の生産が減っている、なんて言っていましたけれども…。わずか6ドルか7ドル出すと、車に貼る程度の国旗が買えるというので、それでとりあえず貼ってある。貼ってあれば「愛国者という印」であって、非国民呼ばわりされることがない、というわけです。しかしそれ自体、異様なことだと思います。貼らないと非国民呼ばわりする。アメリカという国は、自由と民主主義の国だというふうに普通の日本人は思っているわけですが、どうもそうではない自体が起こっているらしいというのは、それを見ただけで明らかでした。
 
 (3)一高校生の反戦の声
 
 やがて、これはみなさんもご承知の通り、久米宏の番組でも紹介されていましたが、一高校生の女の子がTシャツに「戦争反対」と書いて登校したら、停学処分から遂に退学処分になったというわけですね。彼女は「アフガニスタン戦争に、自分は反対」だという意思表示とともに、そういう問題について友達と語り合えるようなサークルをつくりたい、と思ってそう書いて行ったのですけれども、停学に留まらず退学になった。裁判に訴えたけれど、裁判でも負けたというわけです。彼女のお母さんはなかなかの人で、アフガニスタン戦争に賛成の立場をとっていた人だけれども、娘が自分の政治的意見として「戦争反対」と表明することに何の不都合があろうかと、娘の立場を徹底的に支持した人であります。しかし、これまた異常事態であります。
 
 (4)「警察官に脅威を与えた」というのが罪状
 
 アメリカにもイスラム教の信者はたくさんいます。38歳のイスラム教のある女性が、14歳の息子を連れてイスラム風の服装を着て町を歩いていたら、突然、数人の警察官に取り囲まれたというわけです。「何か」というと、アル・カーイダとの関係がないかどうか、アル・カーイダとの関係が「あるかいだ?」というわけですが、それを疑われて取り囲まれたというのです。彼女はびっくり仰天して、「キャー」と大声を上げて抵抗したわけですが、結局、逮捕されて8日間拘留された。その結果、アル・カーイダとの関係は「ないかいだ」というので、釈放はされたものの結局のところ、起訴されて、裁判で判決が昨年の8月に出たのですけれども、禁固半年です。そして保護観察2年半。警察官に取り囲まれた時、彼女が抵抗した行為が、「警察官に脅威を与えた」というのが罪状であります。恐らく、彼女のほうがよほど脅威を感じたのに相違ないのだけれど…。その「警察官に抵抗したこと自体が、警察官に脅威を与えた」ということで禁固刑になっていくようなアメリカ。――一体、どうしたことか。
 
 (5)昭和12年のころの日本
 
 デイビー・エアーハートという、モンタナ大学の歴史学の先生に聞いてみた。「アメリカの民主主義の実態はあまりにも心配である」と手紙を書いたところ、返事が来た。彼の返事には、「アメリカの民主主義の実態は、昭和6年から昭和12年のころの日本の民主主義の実態に似ている」という風に書いてきたのです。日本研究者だから、戦前の日本のことを非常によく知っていて、下手な日本人よりも上手な日本語をしゃべる人です。昭和6年というのは、1931年9月18日に満州事変があった年です。昭和12年というのは、1937年7月7日に盧溝橋事件を皮切りに日中全面戦争に入り、その年の12月13日には南京虐殺事件が起こったその年。――「物言えば唇寒し…」というような時期です。ちょうどその時期に京大事件(滝川事件)というのも起こり、美濃部達吉の「天皇機関説」なども批判されて、だんだん学問の世界も自由にものを言えなくなるような状況です。あの時代の日本の民主主義の実態に、今のアメリカの民主主義の実態が似ている、と書いてきたのです。たいそう、私は驚いたわけであります。
 
 (6)さまざまな権利に対する抑圧、監視体制の強まり
 
 こういう状況は、今から12年前(1991年)の湾岸戦争の時には明らかに存在しなかった、もう少し自由があった。今のブシュ大統領のお父さんのジョージ・ブッシュが、同じサダム・フセインを目の敵にして攻撃を加え、劣化ウラン弾94万発を含む、大量の武器・弾薬を使って、イラク人20万人余りを殺した。あの時に、元司法長官のラムゼイ・クラークという人物が、「これはあまりにもひどいやりようではないか」と、独自調査団をイラクに派遣して、その実態をつぶさに調べ、「ジョージ・ブッシュ大統領がやっていることは、明らかに国際法違反である」と、1冊の本を書いた。『ジョージ・ブッシュ・イズ・ギルティー』(ジョージ・ブッシュは有罪だ)という本を書いたわけです。少なくとも1991年には、元司法長官が現職の大統領を戦争犯罪人呼ばわりする本を書く自由が保障されていたのだけれども、今や、名もない一高校生が、Tシャツに「戦争反対」と書いていっただけで、学校教育を受けられなくなるという、きわめて不自由な状況が出現しているということです。もう希望はないのかと思った。現在の司法長官であるアシュクロフトは、――あのテロ事件以来、さまざまな権利に対する抑圧、あるいは監視体制が強まっているわけですけれども、――「あの事件以来、『市民の自由が損なわれた』などと主張する輩は、テロリストの味方である」とまで言っているわけです。驚くべき事態になってきた。
 
 (8)勇気ある少数派
 
 「もう希望はないのか」と思ったら、「若干、ないことはない」。バーバラ・リーというアフリカ系のアメリカ人の国会議員。あのアフガニスタン報復戦争なるものに、たった1人反対票を投じたわけです。彼女はたった1人、反対票を投じることになるとは思ってもみなかった。もっとたくさんの人が反対するはずだと思って投票したのだけれども、投票結果を発表されたら、「反対1」というわけです。自分が反対票を投じたのだから、その「1」は自分に相違ないわけで、彼女は非常に仰天した。まさに彼女は、非国民呼ばわりされることになって、護衛なしには町を歩けないような状況になる。日本に、一昨年も昨年も来ましたが、胸にはアメリカ国旗のバッジを貼っています、今は。「自分は愛国者である」という印です。真の愛国者であればこそ、あの戦争に反対したのだという彼女なりの主張でありますけれど、それを貼ってないと何を言われるかわからないという「お守り札」でもあるわけです。まあ、とにかくそんな状況であるわけです。「おそらく彼女は、ジャネット・ランキンの流れを汲むと言っていいだろう」というふうにレジュメに書いたのですけれども…。ジャネット・ランキンというのはアメリカの連邦議会史上、最初の婦人議員であって、第1次世界大戦が行われていた1917年に初めて――モンタナ大学出身なのですが――モンタナの民主党員として当選したわけです。そして、婦人有権者運動などに絶大なる足跡を残し、婦人や子どもの労働条件の改善にも大いに努力した人です。そのジャネット・ランキンは、当選した1917年の4月8日、アメリカ議会がいよいよアメリカもドイツに対して宣戦布告をするかどうか、第1次世界大戦に参戦するかどうか、という投票があった時に反対票を投じた。この時は他の49人の議員も反対票を投じたので、合わせて50人が第1次大戦にアメリカ軍が参戦することに反対したのですけれども、それは圧倒的少数派です。1割くらいでしかないので、やはり非国民呼ばわりされることとなって、次の選挙では落選したわけです。しかし、彼女は平和の活動をずっと粘り強く続けていって、第2次世界大戦が始まったころから再び候補として活躍し、遂に1941年に当選するわけです。1941年12月8日未明、――日本軍がマレー半島上陸作戦の1時間後、真珠湾攻撃によってアメリカに大勝利を治めたあの翌日、――アメリカ議会が召集されて、日本に対して宣戦布告をするかどうか、ということが投票の対象となったわけですが、ジャネット・ランキンは、このときもたった1人、反対票を投じた。「自分は女として戦争に行かないが、他の誰をも戦場に派遣することには同意できない」という理由で反対票を投じた。したがって、アメリカ議会の歴史の上で、第1次大戦と第2次大戦の両方に反対票を投じたのは、このジャネット・ランキンただ一人でありました。当初はまさに、非国民呼ばわりされましたが、その後名誉が回復されて、アメリカの連邦議会議事堂にはジャネット・ランキンの銅像が今は建っており、そのレプリカが、彼女の出身地であるモンタナの議会にも建っているということであります。このジョネット・ランキンのたぶん流れを汲むといっていいのが、バーバラ・リー議員かなというふうに思います。アメリカ連邦議会というのは、総じてひどい状況ではありますが、その中で十数人の議員たちが、「核兵器の廃絶に向けて多国間交渉を直ちに進めるべきである」というような決議を随時、提案しているグループもあることはあるのです。まだ少数派でありますが、そういう人々を大いに励まさなければいけないだろう、と思っているところであります。
 
 (9)アメリカにおける最も重要なアメリカ批判者
 
 アメリカにおける最大の批判者ノーム・チョムスキー また希望の1つは9番にあるノーム・チョムスキーです。MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授をしておりますが、ユダヤ系のアメリカ人であり、「アメリカにおける最も重要なアメリカ批判者」と言われている人です。彼は、『セプテンバー・イレブン(9・11)』という本を書きました。文芸春秋社から翻訳されたのでご覧になった方も多いと思いますけれども、その本の中で、彼は「あの9・11のテロリストの攻撃なるものの本質は何かというと、世界最大のテロ国家であるアメリカに、別のテロ組織が挑戦しただけの事件だ」というふうに書いてある。アメリカのことを「世界最大のテロ国家」というふうに規定しているわけで、あまたの歴史的事実を挙げて、アメリカがいかに世界最大のテロ国家と呼ぶにふさわしいか、ということを徹底的に批判しているわけです。クリントン大統領の時でさえ、1998年、アフリカ最大の国であるスーザンのアールシィーファーという医薬品工場を一方的に爆撃して、近代的な医薬品工場を壊滅させている。その結果として、「医薬品があれば助かったであろう、数万のアフリカ人の命が失われたことになる」ということも、このノーム・チョムスキーは指摘しております。そのほか山ほどの歴史的事実に基づいて、アメリカこそが世界最大のテロ国家であり、その本の副題に、「アメリカには報復する資格はない」というふうに書いてある。まさに歯に衣着せずにものを言う人が生き残っているということです。そういう人がテレビに出たりしてものが言えるという雰囲気が、曲がりなりにも少しは残っているということに若干の希望を見出すことができました。今、立命館大学は、できれば2005年6月にノーム・チョムスキーを呼びたい、ということでアプローチをしているのですけれども、講演依頼が数千件たまっているということなので来る気遣いはほとんどないかもしれませんけれども、それにもかかわらず、やってみようと思っているところであります。で、
 もう1人の希望が、マイケル・ムーアという男です。これは皆さんよくご承知のように、「ボーリン・フォー・コロンバイン」という映画でよく知られています。コロンバイン高校での銃乱射事件を切り口として、「アメリカの国民及び、アメリカという国家が危機に直面すると、いかに暴力的になるか」ということを、徹底的に暴いた突撃インタビューの映画です。ブシュ大統領にも突撃インタビューをする、名だたる人々に突撃インタビューをする。そして、大手のスーパーが弾薬を売るのを、遂に彼の突撃インタビューを契機にやめさせることに成功するわけです。そういう、かなり強烈なインパクトのある映画で、日本でも上映されていますし、ご覧になった方もいるかもしれません。彼はアカデミー賞を受賞したのですが、その授賞式で口汚くブシュ大統領を罵ったことも皆さんご承知ですよね。――「お前の出番は終わりだ」とわめいたあの人です。わめきすぎたのか、アメリカのマスコミからはほとんど干された状態が続いておりますけれども、こういう、自由にものを言う人がいるということが、アメリカの1つの自由の象徴であろうか、という希望を持ったということであります。
 
 (10)長崎原爆資料館での経験
 
 私がモンタナ大学で何をしゃべったのかということを10番目に書いてありますが、2つのことを話したのです。
 1つは、「日本が過去にアジア太平洋諸国に侵略戦争を行った」。そういう「過去を踏まえながらも今後、未来に向けてアジア太平洋諸国と、平和的な国家関係を切り結んでいくためにはどうしなければいけないか」。そこには2つの条件がある。1つは過去と誠実に向き合うというです。やったことはやったこととして、事実に即して認め、謝罪すべきは謝罪し、補償すべきは補償するということが、第一番目の条件であり、2つめは「二度とこういうことは致しません」という、将来にわたる誓約をするということが必要であるとこう言ったわけです。ところが、まことに残念ながら「過去と誠実に向き合う」という点でも、新しい歴史教科書を作る会の教科書が、公権力によって認知されるというような状況を見ても、一筋縄ではいかない。私は今、「平和博物館」の館長をやっておりますが、日本の博物館が南京虐殺事件を含む、過去に日本軍が行なったことについて特別展をやろうなどとすると、必ずそこに右翼的な暴力が働くわけです。私は「長崎原爆資料館」の総合監修作業を、加藤周一さんと一緒にやったのですが、長崎の前市長の本島等さんが辞める直前にあの構想が持ち上がって、それを受け継いだ伊藤一長市長がやったわけです。我々の要求が、「長崎に原爆が落ちた後、何が起こったかということを展示するだけではなくて、なぜ、よりによって長崎に原爆が落ちるようになってしまったのか。世界史の流れの中での長崎原爆を描いてほしい」ということだったものですから、非常に小さなコーナーですけれど、「C1」というコーナーを作って、15年戦争の歴史を描き、長崎に原爆が投下されるまでの日本の足取りを描いたわけです。その中には、1937年の「南京事件」に関する写真も掲げました。
 早速、右翼が目ざとくそれを見つけまして、1996年4月1日にリニューアルオープンしたその日、全国から200台の右翼の車が動員されて、博物館を取り囲んで巨大な音をたてて攻撃を加えた。幸いなことにそれが宣伝となって、次の1ヶ月に10万人の人が押し寄せたので、感謝をしなければならないかもしれません。が、彼らはそれでもうまくいかないとなると、「加藤周一、安斎育郎、――ろくでもない博物館を造ることを指導したその2人に支払った謝礼は返還させるべきである」という返還要求が出され、住民監査請求が出された。それでもうまくいかないとなると、裁判に訴えて、長崎市を相手取った訴訟を起こした。私も第1審で証言を致しましたけれども、裁判は長崎市側の全面的な勝訴で、まったく今はもう、問題がない。それ以来、もう右翼も何も言ってこなくなったのだけれども、万々歳かというと、そうはいかない。長崎原爆資料館の前館長に、2年前の日本映画博物館会議で会った時に、「あれ以来どうですか?」と監修者として聞いたところ、「ああいう事件があってから、もう過去の日本の加害行為について、特別展を開くなどということは金輪際やるまいと思うという気分を持っている」というわけです。だから、立派に右翼の攻撃は功を奏している、ということになる。そういうことから見ても、「今、日本が過去と誠実に向き合うという点でも成熟していない」ということは、十分認められるところであります。
 
 (11)剥がされたタイの戦争博物館の門柱と標識
 
 そして、11番に書いてありますように「剥がされたタイの戦争博物館の門柱と標識」とあります。カンチャナブリという町がありますが、そこは「泰緬(たいめん)鉄道」の拠点です。泰緬鉄道というのは、日本の鉄道建設隊が、ミャンマーの軍事物資を大量に運ぶために、1日800数十メーターなどというすさまじい勢いで造った鉄道です。現地の人、延べ数十万、連合軍の捕虜数万を使って、「死の鉄道建設」と言われたように、数万の犠牲者を生み出しながらつくった鉄道ですが、その拠点となったのがカンチャナブリの町です。カンチャナブリの町には戦争博物館があるのですが、その門柱には、大変ありがたいことに「Forgive but not Forget」(許せ、しかし、忘れるな)と書いてあったのです。「許せ」ということが、真っ先に書いてあったのです。日本軍はあんなにひどいことをやったけれども、許して手を取りあって平和をつくっていこうではないか、というメッセージなのだけれども…。私が2年前に行った時には、それは立派にかかっていたのですが、今年の2月に行った日本人によれば「もう、かかっていなかった」と言うのです。なぜかかっていないのか尋ねたところ、「タイ人はあれを見て頭にきているのだ」というわけです。日本が今、それこそ憲法改悪に向かって突き進んでいるような状況を見るにつけて、再び日本が海外派兵するのではないかというような状況がある中で、「許せ、しかし、忘れるな、とは何事だ」というので、その門柱が遂に外されてしまったというのです。そういうことから見ても、やはり「過去と誠実に向き合う」という点では、日本の国内だけではなくて、海外の人々にも不安を与えているということは歴然としていると思うのです。
 
 (12)憲法99条
 
 そこで、12番に書きましたように「もう二度とそういうことは致しません」という保障が「日本国憲法」であったはずで、日本国憲法に書いてあるとおりの平和政策が取り組まれていれば、アジア太平洋の人々も、確かに「日本は戦争をしないんだなあ」ということが分かったかもしれない。けれども今、日本は海外派兵をしようと躍起となっているように見える。憲法9条というのはみんな知っている。けれども、特に重要なもう1つの条文として憲法99条というのがある。――「天皇又は、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員はこの憲法を支持し、擁護する義務を負う」と書いてあるわけです。まさに、国会議員や国務大臣になったら、自分の考えはどうであれ、あの憲法を徹底的に擁護する「憲法上の義務」を負っているはずなのですが、今、そういう国会議員や国務大臣こそが、好んでこの憲法を改悪しようとしているかに見える。明らかに「憲法99条違反」ではないかというふうにみられるわけです。そういう実態から見ても、未来に向けて二度と戦争をしない、という制約の面でも非常に不十分なものに見える。というわけで、まさに私は、そういう2つの点検基準に照らして、「日本の今の政策が落第である」という烙印を、モンタナ大学の講義で押してきた。
 
 (13)歴史学者の質問
 
 そうしたら、歴史学者のスティーブン・レヴァインというモンタナ大学の先生が、質問をした。この人は、私の講演会の司会をしていた人であった。司会者は普通、質問はしないのですけれどけしからん司会者で、真っ先に質問をした。何を質問したかというと、「日本はアジア太平洋で、さんざん侵略行為を行なった。そして自国民300万を超える命を失い、おびただしい数の人々を犠牲にした。そういう反省の上に、“日本国憲法”という平和憲法を持つことができたけれども、アメリカ市民はそうではない」と言うのです。アメリカ市民はベトナム戦争をほとんど唯一の例外として、栄光に次ぐ、栄光の歴史しか知らされていないというのです。アメリカ市民のように、栄光に次ぐ、栄光の歴史しか知らされていない国民が、どのようにすれば過去と誠実に向き合うことができるのでしょうか、という質問なのです。「このスティーブ・レヴァインという先生は、歴史学者でありますから、本当は知っているのです。知っているどころか、自分で意見を持っているんです。――アメリカも過去に、決していいことばかりやってきたのではないということは、散々知っているのだけれども、あの雰囲気の中でアメリカの歴史学者が、自ら「アメリカも散々悪いことをしてきた」なんて言ったら、袋叩きになります。だから、東洋から来た男に言わせれば問題がないと思ったのか、私に質問をしてきたわけです。
 
 (14)「栄光に次ぐ栄光の歴史」とは程遠いアメリカ
 
 私はその質問の位置を2秒で理解しました。「要するに、言ってくれということだな」というので、散々言ってあげました。今日は時間がないのであまりたくさんは言いませんが、「栄光に次ぐ栄光の歴史」とは言えないアメリカの「中東政策」に限って申しますと、例えばアメリカは1948年、――戦争が終わって3年後――国連と手を結んで「イスラエル」という、アメリカの中東出張所の国をつくったわけです。――ユダヤ人国家です。その時に、100万とも言われるアラブ人を強制的に追い出して、難民化させたわけです。アラブ人は、「まことにけしからん」というので、それ以来、アメリカとイスラエルに対する恨みを持つに至って、直ちに第1次中東戦争が起こった。それでも、もう収まらずに第2次、第3次、第4次中東戦争と進んでいった。そして、いまだにその紛争は収まらないでいるわけです。まさに、アメリカは中東の「原油」という国家利権を確保するために、中東出張所としてのユダヤ人国家、「イスラエル」をつくった。だから、イスラエルには核疑惑が歴然とあって、「100発の核兵器を持っているのではないか」と言われながら、アメリカはイスラエルの大量兵器保有疑惑には一切、異を唱えないわけです。一方のイラクに対しては、大量破壊兵器疑惑をことさらに言うという、そういう二重基準で中東政策を展開してきた。そういう問題もある。
 しかも、1920年代の終わりに、例えばソ連がアフガニスタンに侵攻した。アフガニスタンには共産主義政権がありましたけれども、それが危ういかもしれないというので、ソ連が軍事的な侵攻を加えた時に、アメリカは何をやったかというと、まさにタリバンの勢力に武器・弾薬を供給して、軍事訓練までしてソ連に対抗させたわけです。この前のアフガニスタン戦争で、アメリカが攻撃したタリバンの軍事訓練施設というのは、アメリカCIAが運営していた施設に他ならないわけで、都合が悪くなるとそういうことまで平気でやるというわけです。
 そして、アフガニスタンの報復戦争というけれども、9月11日のあのテロの実行犯19人の中には、アフガニスタン人というのは1人もいはしない。サウジアラビア人とか、そういうのばかりであって、アフガニスタン人はいないのに、なぜサウジアラビアでなくてアフガニスタンを攻撃したかというと、タリバンの勢力をかくまっているアフガニスタンという国、あるいはアルカイダをかくまっているアフガニスタンという国を攻撃したのだけれど、平和学者の間で言わせれば、「タリバンとか、アル・カーイダを育てたのはまさにアメリカであって、育てたアメリカとかくまったアフガニスタンとでは、どっちが悪いかと言われれば、それは議論があるところだ」ということになります。それにもかかわらず、武器・弾薬を大量に使って戦争をやるということが、ブッシュ政権に課せられた課題のひとつでもありますから(軍需産業からかけられている期待でもありますから)、アフガニスタンで戦争をやったというわけです。
 そうかと思うと、イランにパ−レビー政権というのがあって、反米的な政策を展開していた時に、アメリカは「けしからん、もっと親米的な政権を作る必要がある」といって、何をやったかというと、イラクのサダム・フセイン政権に大量の武器・弾薬を供与してイランを攻めさせたわけです。「イラ・イラ戦争」というのをやったわけです。だから、まさにご都合主義的にアメリカの国家権益にかなうとなれば、サダム・フセインに武器・弾薬も与える。そして、都合が悪くなるとそれを袋叩きにするという、そういう政策をとってきたわけです。そういうことから見てもアメリカの中東政策も決して、「栄光に次ぐ栄光の歴史」とは程遠い状況があるのだ、ということを言ったわけであります。
 
 「国際的マジック」を披露
 
 そのときにアメリカで、私は手品をひとつ見せてきました。アメリカで見せた手品だけは、ちょっと参考までに見せておきます。これは教室なんかでも使えるし、いろんな集会でも使えると思いますが、有名な手品でこういうものです。真ん中に赤いカードがある。これをこう、ひっくり返した時に、赤いカードがどこへ行くか見張っていてほしいという手品です。(手品実演)これだけだと変なカードがあるとしか思えないけど、人間というのは面白いもので、こう隠した途端に見えない所まで見るというわけです。部分の情報から全体がイメージできるというのは、明らかに理性的な心の働きであるけれども、人間は理性を持ったために騙されやすくなったというわけです。
 普通、人間は逆に「猿より理性的だから騙されない」と考えるのだけれども、それは真っ赤な嘘であります。理性を中途半端に持ったからこそ騙されやすくなったのです。僕は手品をやって50年経っているけれど、人間を騙すのがなんと言っても一番かんたんです。豚を手品で感動させるのは非常に難しいわけです。人間は、しかも言葉が通じるのです。「真ん中に赤いカードがある」と言った途端に、頭の中には赤いカードが真ん中にある状況を想定する。そして、ここに見えている情報が、真ん中に赤いカードがあるという情報と矛盾していないので、「確かに真ん中に赤いカードがある」と勝手に思い込んでくれるわけです。豚にそんなことを言っても、「そんなことはトンと知りません」というわけでだめですが、人間だからこそ騙されるのです。そのとき一体、何を言ったかというと、「ブッシュ政権が出している情報だけで、アフガニスタン戦争の全体像をこうだろうなあなんて思うと、ろくでもないことになるから、ブシュ政権が隠している情報もよく見極めてほしい」ということをアメリカ市民に言ったわけです。これは絶大なる評判を得まして、翌日の「モンタナカイミン」という新聞で、一面トップに写真つきで出たのです。国際的マジックであるわけですが、大いに使っていただきたいと思うわけであります。
 
 
2イラク戦争は結局、何であったのか?
 (1)5つの視点
 
 そこで2番目ですが、「イラク戦争は結局、何であったのか?」ということです。「アメリカはなぜ国際世論を無視してまで、戦争へ、戦争へと急いだのか」と言うことです。
 @1番は「アメリカの国益」です。アメリカは国益にかかわらない所には、兵1人出さない。アフリカの内戦などに一時、PKOを派遣し、アメリカ人が犠牲になったけれども、そんな所の内戦が収まったからといって、アメリカの国益にはまったく何の関係もないというので、あの時恐ろしいことを言った。「アフリカ人の命よりも日本人の命のほうが、やはり重要なんだ」ということをあからさまに言ったのです。「国益に関係ない所には出さない」。ところが、イラクはサウジアラビアに次いで世界第2の産油国であって、アメリカの国家権益に重大なかかわりを持っているからこそ何十万という兵を派遣した。北朝鮮と戦争をすぐやらないのもそこに理由のひとつがあります。北朝鮮のようなところを占領してみたところで、アメリカの国益にはイラクほどのメリットが何もないというのが一つの理由であるわけです。
 A2番目にはネオコンです。ネオコンというと、新しいコンクリート会社かと言った人がいるのですが、この頃、労働組合、建設労働者の組合に呼ばれるものですから、ネオコンというのは別にゼネコンとは違うのだということを言ってるのですが、新しいコンサーバティズム(新保守主義)ですね。新保守主義という、この考えそのものはそんな新しいわけではなくて、もともとあるのですが、いまの新しい状況は新保守主義の思想をもった人々がブッシュ政権の中枢にたくさん散りばめられているということですね。アメリカの膨大な軍事力を背景にしてアメリカ的価値観を世界中に押し広めていくということを政治原理としているような人々です。これがネオコンの人々であるわけで、ラムズフェルドもチェイニーもみんなそのネオコンの人々であるというわけです。
 B3つめは軍需産業との結合というわけで、ブッシュ政権はもう軍需政権と言ってもいいわけですね。ブッシュ大統領そのものがテキサス州の州知事であったわけで、その弟はフロリダ州の州知事です。そのテキサス州やフロリダ州というのは、NASAがあるところであり、アメリカの核ミサイル開発の牙城であるわけで、国家から何兆円という軍需予算が落ちてくる軍需産業が群がっている利権の中枢なんですね。そこを取り仕切っていたのが、ブッシュ兄弟であるわけです。チェイニー副大統領の奥さんは、軍需産業としてのロッキード社の重役でありましたし、ラムズフェルド国務長官は、もう一つの軍需産業のシンクタンクであるランドコーポレーションの理事長でありましたし、オニール財務長官はラムズフェルドの後釜の理事長だったし、峰田運輸長官は、ロッキード社の副社長であるという状況です。3年前の12月にブッシュ政権がロッキード社と次期戦闘機開発などで、契約を結びましたが、その契約額が驚くべき額です。21兆円という、日本の国家予算の実質ほとんど3分の1を1つの軍需産業と契約するような状況です。
 だから、ブッシュ政権としては、そういう軍需産業からの支持をあおぐためにも、次から次へと戦争を起こして、大量の武器・弾薬を使う市場を形成しておくということが非常に大事なことなので、アフガニスタンの次にはイラクがあるさ、イラクの次にはイランがあるさ、イランの次にはシリアがあるさ…というわけで、次から次へと戦争をやることが想定されているのです。ブッシュ政権下では、世界の80の国々と戦争をやる構想ができており、その中の7つの国々とは場合によっては核兵器の使用も辞さないという計画になっているのですね。
 7つの国というのは、1つはロシアです。もう1つは中国です。この2つは、核保有国です。ロシアはいまのところうまくいっているが、ロシアの政権がいつ何時、また反米政権に変わらないとも限らない。そういう状況の下で戦争になったら、相手が核兵器を持っている以上、こちらも核兵器を使う選択肢を保持しておきたい。中国がもし、台湾の問題で戦争を起こすような事態になれば、当然のことながら、相手が核保有国である以上、核兵器の使用も辞さない。その他の3つは、ブッシュ大統領が悪の枢軸と呼んだ北朝鮮とイランとイラクです。さらに2つは、シリアとリビアでありますが、この7つに対しては、核兵器使用も選択肢とするというわけです。このまえのイラク戦争でも、一貫して核兵器使用の選択肢をくり返し主張していたのは、そういうことでもあるわけですね。
 C4つめは、キリスト教原理主義で、ブッシュ大統領はメソジスト派の熱心なキリスト教者です。「メソ」というのは原理という意味ですから、「メソジスト」というのは原理主義者という意味であって、そういう立場から見ると、このイスラム原理主義というのは、真っ向から対立するということになるわけです。あのブッシュ大統領がいたテキサス州や周辺のルイジアナ州とかは、バイブルベルトと言われている地域で、バイブルに書いてあることだけが事実であるというふうに考えている人々が数多くいるところです。だから、進化論なんていうのは教えてはいけないということで、ルイジアナ州では州議会でそういう決議があったぐらいです。さすがに、それはアメリカの最高裁判所で憲法違反であると却下されたものの、バイブルに書いてないでしょ。バイブルなんていうのは、せいぜい2000年前のことぐらいしか書いてないので、何億年も前に生物の進化があったなんてことはとんでもないことだというわけで、進化論を教えてはいけない。「ビッグバン」なんてことはとんでもないことだということだと言うんですね。今から137億年前に宇宙が爆発したなんてことは、バイブルにとても書いてないことであって、神が1週間で天地を創りあそばしたわけだから、そういうことを教えてはいけないというわけで、自然科学教育の面にもそういう影響が及ぶような事態。そういう地域に住んでいた人でありますから、イスラム原理主義との対抗関係がひどいわけですね。
 Dそれから、5番目に強いアメリカの多くのナイーブなアメリカ人です。ブッシュ流の善悪二分法にのせられて善なるアメリカにいる抵抗勢力は「悪である」と言って成敗していく対象にする。非常にわかりやすい善悪二分法にのせられてアメリカ人たちは、戦争へ戦争へと駆り立てられていったわけですね。アメリカ人は非常にナイーブでありまして、ナイーブというのは日本ではときにいい意味で使ったりして、微妙な心模様がわかるようなことに使いますが、決して英語ではいい意味ではなくて、「うぶな」「世間知らず」のという意味です。まさにそうでありまして、そこにもってきて、アメリカの歴史教育というのは相当問題がありますので、のせられて言っちゃたというわけですね。
 
 (2)グローバルデモクラシーを傷つける暴挙
 
 アメリカによるイラク戦争は、世界管理の在り方を徹底的に傷つけたと思うのですね。21世紀こそは、まだひ弱な国連でありますが、その国連を中心としてグローバルデモクラシーに依拠して世界の管理をやっていこうということが見えてきた矢先に、アメリカの強大な武力を背景とする横車によってイラク戦争がまかり通っていったという状況です。これは誠に21世紀の平和的な国際関係を築くためのグローバルデモクラシーを傷つける暴挙であったと言わざるを得ないわけです。
 
 (3)地球的民主主義
 
 では、国連はまったく役立たずだったのかと言うと、そんなことはないわけで、国連の安全保障理事会でああいう議論を戦争が始まる前に、アメリカやイギリスとフランス、ドイツ、中国、ロシアその他がかんかんがくがくやった。それが実況生中継されて、夜中の3時頃までフランスのデビルパンがアメリカにどう反論するかなんてことが日本でも直接見られたわけですね。そういうことによって、2月15日に国の枠組みを超えて7000万とも言われる人々が世界中で反戦平和の声をあげたわけです。戦争が始まる前に幾千万という人々が戦争反対の声をあげるなんてことは、人類400万年の歴史の中でかつて起こらなかったことであって、やっぱり人類史上初めて起こったことなんていうのは、大いに注目していいことだと思うのですね。
 だから、たぶんアメリカの強大な軍事力からすれば、国連はもう何度かアメリカの言いなりにならざるを得ないようなことになりかねないけれども、しかし、21世紀の平和の方向性は今回、大きく見えてきたと思うので、国の枠組みを越えた地球市民のグローバルシビリティ、地球的市民意識に支えられた平和を求めての地球的民主主義のありよう、これこそがアメリカのスーパーパワーに対抗するもう1つのスーパーパワーであるということが、目に見えて示されたのではないかと思われるわけであります。
 
3.戦争への国づくり
 (1)白装束集団パナウエーブ研究所はなぜ、ウロウロしたのか
 
 しかし、残念ながら、そういう中で、日本を戦争をする国にしかねないような戦時法制づくりがこの間、急速に進められていったわけですね。白装束集団パナウエーブ研究所はなぜ、ウロウロしたのかというのは、明らかに国会で有事法制が議論されているときに、茶の間のテレビを占領する係だったというわけですね。この白装束集団パナウエーブ研究所というのは、新しい歴史教科書をつくる会とも気脈を通じている右翼的集団です。国際勝共連合という反共的な集団がありますが、そこの「思想新聞」の中にある講演が紹介されていました。東京の世田谷区の「郷土大学」という聞いたことがないような大学の学長をやっている高橋正二なる人物の講演が紹介されているのですが、日本に先守防衛なんていうのはまったくおかしいと。攻撃できるようにちゃんとしろ、自衛隊も武器が使えるように法律でちゃんと決めろ、そして有事法制をちゃんと整備しろというようなことが、連綿と書いてある延長線上で日本は電波攻撃に対して無防備であって、スカラ電磁波に対して無防備である、そのスカラ電磁波に対する対策を研究しているのが未来政経研究所であるというようなことが書いてあるのですね。「スカラ電磁波」なんて言葉を使うのは、あのパナウエーブ研究所以外にはないわけで、そのスカラ電磁波に対する対策を検討しているという未来政経研究所というものが、このパナウエーブ研究所と表裏一体のものだというのは、それだけ見ても明らかです。そして、この未来政経研究所というのは、新しい歴史教科書をつくる会がつくった教科書問題連絡会のメンバーの1つであって、産経新聞や「英霊をたたえる会」などと名を列ねて、未来政経研究所というのがあるわけです。そういうことからすると、このパナウエーブ研究所というものが、ここがなぜ唐突にウロウロし始めて、衆議院で有事法制が成立した翌日ぐらいからテレビから消え失せるようになったか、明らかに手品でいうところのミスデレクション=見てもらっては困るところから目をそらす方法が実行されたに相違ないというわけですね。
 今年の場合は、あのパナウエーブ研究所と玉ちゃんと、北朝鮮の拉致被害者問題が、茶の間のテレビを占領しました。辺見庸さんが「99」年問題と言っている、1999年には周辺事態法とか盗聴法とか、国旗国家法、住民台帳基本法などが続々成立しましたが、あのとき茶の間のテレビを占領していたのは、ミッチーVSサッチー論争というものだったのですね。ときの内閣総理大臣まで「自由にものが言い合えるのはいいことだ」なんて言って火に油を注ぐようなことをやっているうちに、周辺事態法その他が成立してしまったというわけですが、今年はまさにこの白装束集団に国民がかなりかく乱されたというわけです。あのワイドショーの中で、いま国会で有事法制がどういう論議をされているかなんていうことは、ほとんど報道されなかったんですね。あの白装束集団の教祖が、そういうことを率先して仕掛けたというよりも、フジ産経グループのようなメディアを牛耳っている右翼的な集団が、そういうことを見事に取り仕切っていると見ていたほうがいいのだろうと思います。フジ産経読売グループ、こういったところの動きには、やはり注意が必要だと思います。
 
 (2)有事法制とは何か
 
 そういう中で有事法制が成立したのですが、有事法制とは何かは、いま書いてあることをご覧になるように、たくさんの問題点をもっていたわけですね。
 @1つにはアメリカの世界大の戦争への無限定な協力体制づくりであったわけです。99年にすでに周辺事態法というのができていた。周辺とは何かと言うと、地理的概念ではないのです。教文センターはたぶん京都大学の周辺に相違ないけれども、たぶん稚内は京都大学の周辺ではないと思うのですね、私の意見によれば。ところが、あの周辺事態法によればそうではないのです。イラクも日本の周辺だというわけでしょ。日本の安全保障に関係ある国は、地球の裏側まで周辺だということになったわけですね。その周辺事態法を実際にそれに基づいて戦争を発動する法律が今度できてしまったわけで、アメリカが世界大で行なう戦争に、それが日本の安全保障に関わっていると断じられれば、ただちに後方支援を含めた軍事行動を要請されることになりかねないわけですね。
 A2番めには、抜け落ちた国民保護というので、国民保護法制はついにできないままに戦争を戦うための法律だけが先行してできてしまったというわけですね。これは野党と言われた民主党等も修正案を出しましたが、若干の修正をしただけで通されてしまいました。
 B3番めには、自衛隊業務の支援というわけで、自衛隊業務を支援するためにこの建設労働者とか病院、あるいは鉄道関係者とか航空産業、そういうところが指定を受けると、自衛隊業務を支援しなければならない義務を負うことになったわけです。
 C4つには、土地の提供についても、自衛隊が戦時を戦うために軍用道路を造ったり、陣地を築いたりするために、土地を使いたい。そのときに、その土地の所有者がたまたま外国旅行か何かをしていないときに、帰ってくるまでに待っているにはいかないというので、先取りして陣地を築いて帰ってきた後、「使わしてもらったからね」と言えば、それで済むようにしたわけですね。驚くべき事態です。
 D5番めには、米国に対する後方支援ですが、たとえば米軍の軍艦がインド洋で戦闘行為についているときに、日本がそれに給油するために出向いていった。そうなると、敵から見ると自分たちに攻撃を加えている米軍の軍艦を支援している日本、当然のことながら、自分たちにとっっては敵あるからには日本軍が攻撃を受けるということは当然あり得ますね。これが内閣官房のホームページで市民から質問が出たわけです。そういう事態でインドで軍事行動をしているアメリカの軍艦を支援している日本の艦船が攻撃されるなんてことがあったらどうするのだ、という質問に対して内閣の答えはひどいものですね。「そういうことは想定していない」というのです。驚くべき事態ですね。ついに航空自衛隊の幹部まで「有事というのは最悪の事態まで想定するのが有事だ」と言って批判したぐらい、いい加減なものが通ってしまったというわけです。
 Eしかも6番めには、有事の範囲、これはさきほど言ったように、もう地球大に拡大されてしまっているし、
 F7番めにあるように朝日新聞社なども社説で掲げましたが、有事法制はできてしまったけれど使わないにこしたことはないのだから、「無事をつくることが大事だ」と。だから、まず脅威を削減する政策こそが必要なのだが、それが欠落しているではないかというふうに社説で指摘したというところです。
 そして、その後を受けてイラク特措法ができて、いよいよの状況によってはイラクに軍隊を派遣するということになった。もし、イラクのいまの実状からして日本も敵とみなされて、攻撃を受け、自衛隊が殺傷されるようなことになれば、自衛隊に志願する人の数が当然減ってきますね。家庭でも反対するでしょうし、恋人も反対するかもしれませんので、自衛隊の志願者が減ってくる。そうなるとどうなるかと言うと、後は徴兵制しか残っていないということになりかねないわけです。そして、その一方では教育基本法や憲法を改悪する手立てもいま進められていて、数日前に小泉総理大臣も憲法を変える国民投票の在り方について具体的な検討を指示するに至っています。こういう状況のもとで、教育基本法についてはこの会でも後で分科会が設定されていると思いますが、教育基本法の改悪は新たな小国民づくりになるであろうことは、目に見えていると思うわけです。
 
 (3)安斎育郎さんの安全保障論
 
 そこで、3番めに、「安斎育郎さんの安全保障論」と書きましたが、政府の政策を一方的に批判しているだけではいけないので、私はどう考えているかということを一応書いてきましたので、参考にしていただければいいのですが。
 @平和共生外交基本法をつくる。つまり、有事立法をつくるのではなくて無事立法をするということが非常に大事ではないかと思うのです。有事法制ではなくて無事法制、平和強制外交基本法というのをつくって、世界のすべての国々と対等、平等、互恵不可侵の平和的な国家関係を樹立するための外交政策を旺盛に展開していくということが基本ではないか。当然、非同盟、中立を守っていくという方針ですね。
 A非核・平和を基調とする安全保障政策の構築というわけで、いまの日米核安保体制からは脱却して、日本国憲法の精神を実質化した非核・平和を基調とする安全保障政策を構築する。そして非核三原則は法律にして、憲法に定められた不戦原則ともども、国連総会で認知を求める。これはどういうことかと言いますと、モンゴルは核兵器を持たないということを自国の議会で宣言しただけではなくて、国連総会の場で認知してもらっているわけですね。そうすると、それはどういう意味を持つかと言うと、一国の政権なんていうのは将来変わる可能性があるけれども、国連という国際社会で認知されておけば、そう簡単には変えようがない。日本も非核三原則をただ単に今の国会決議だけでなくて、法律にすると同時に、「日本は、国際紛争を解決する手段として絶対に戦争をやらないのだ」ということを再確認した上で、それを国連という場でもう一度認知させておけば、日本は国際社会の監視のもとで核兵器を持たず、さらに戦争もしない国として認知されることになる。そういうことはやったほうがいいと思うのですね。同時に武器輸出三原則とか、原子力平和利用三原則などの平和的諸原則を再確認強化し、国連においても積極的に核兵器使用禁止条約や核実験全面禁止条約や、核兵器全面禁止廃絶条約の締結に向けて牽引者としての役割を果たすことが必要だと思うのです。日本は今、アメリカの核の傘に入っているから、核兵器使用禁止決議が国連で出ても、賛成できない立場にあるわけです。いつも棄権をしていて誠に危ないですね。
 B自衛隊の再編成。私は自衛隊は、日本国憲法の精神に照らして反憲法的だと思っているので、もう解体、再編成がいいと思っています。1つは国境警備隊。主権国家という存在としてしばらくは、世の中に続けていかないとすれば、主権を守るために国境警備隊という先守防衛の、あるいは沿岸警備隊と言ってもいい、そういうものをつくり、同時に災害救助隊という非軍事の部隊をつくる。これはもう軍事分野から完全に切り離したものとしてつくるというわけです。国境警備隊は海上保安庁機能とも併せて編成して、不審船、漂流難民、海上安全等を担当する。災害救助は、国土交通省機能とも併せて展開して、地震、台風、集中豪雨、火山噴火等に伴う自然災害やビル火災、ガス爆発、航空機事故等の社会的災害に対処するわけですね。今でも自衛隊は、災害出動もしますけれども、とにかく自衛隊は今は軍隊ですから、阪神淡路大震災のときも、出動するにあたっては、自治体からの要請を必要とするわけです。勝手に出ていくわけにはいかない。そんな要請をしてOKをとるまでに時間が経っている間に、地震災害等もどんどん進んでいくので、これは完全に軍隊から切り離したものとして、独自の判断で災害救助のために出動していける。それに見合ったような訓練を普段から濃密にやっておく、そういう装備も備えておくと。今、軍隊としての自衛隊が災害救助や治安出動もする、ということになっているから及び腰で、災害出動に対しても十分な万全な体制が普段からできているとは言い難いのだけれども、それも専用にしたほうがはるかに国民の利益だと思うのですね。
 C国際地域研究所というのをつくって、世界のどの国、どの地域でどういう援助を今必要としているのかということを、高い力量を持った研究チームが調査、研究をする。そして、その国際地域研究所が研究成果にもとづいて、どの地域、どの国にどういう援助をすればいいということを国会に対して提言するということです。
 D国際貢献大学の創設です。世界の各地域、各国の政治、経済、文化状況の、それを豊かに持った分野別の専門家、医療・教育・農業・建設・情報・製造・運輸・サービス等の各分野の専門家を養成する。そして、一定の基準をクリアした学生や卒業生は国際貢献大学の人材プールに登録しておくわけですね。また、大学に在籍するような余裕はないけれども、たとえば大工さんとかお医者さんで、「自分は国際貢献したいんだ」という人のために、国際貢献大学が講座を開設します。そこの一定の課程を修了した人については、やはり扱くし貢献人材プールに登録できるようにしておく。
 E国会の中に国際貢献委員会というのをつくって、国際地域研究所が研究成果にもとづいて、提案する各国、各地域に対する援助計画に基づき日本がどういう援助をするかということを国政の場で決める。そして、どの国にどういう分野の専門家をどれだけ派遣する必要があるかを検討し、国際貢献人材プールに人々も含めてボランティアを派遣するというような体制をつくる。
 F国連の安全保障や平和関係の研究所を大いに日本に誘致する。軍縮、紛争解決、人道援助、平和教育等の分野の国連研究機関を日本に誘致して、東京、広島、京都、長崎、沖縄といったところに開設し、その成果を国連事務総長に提出する。
 G平和教育をもっと豊かに展開していく。初等、中等、高等教育に平和教育を充実させて、大学には平和教育研究のための講座や学科や学部も創設する。私は今、日本学術会議の平和問題研究連絡委員会の委員もやっていますが、最近、その委員会として政府に対して大いにそういう講座や学科や学部をつくれという勧告も出しておいたところです。
 H国際交流事業を推進させて、さまざまな国の間の相互理解をいっそう強めるようにする。そして、その中では共通の歴史、認識づくりも、大いに進めていくということが必要ではないかと考えているところです。
 
4.主体的に生きる力をどう子どもたちに伝えていくか
 
 4番めには、そいういうことを踏まえて、今、世界はたいへんな状況にあると言ったけれども、どうしたらいいかというわけで、やっぱり一番大切なのは、世界は変わり得る、変える主体の1つは自分自身だという認識と行動力を、どう子どもたちにも形成していくかということだろうと思うのです。
 その中の1つめに書いてあることは、年中に言ってることなので、どうでもいいことですが、日本のテレビ時代劇では何かというと、必ずお上が全部解決しちゃうんですね。お上のレベルは「あばれんぼう将軍」みたいに内閣総理大臣だったり、必殺仕事人みたいに末端の警察官だったりするけれども、とにかくあれは、お上に任せておけば全部事態が解決される仕掛けになっていて、庶民が自ら問題を発掘して、庶民の主体的努力で問題を解決するなんて筋書きのもの、気の効いたものはなかなかないんですね。
 (1)テレビアニメもだいたい英雄指向なんですね。鉄人28号でも鉄腕アトムでも、アンパンマンでもドラえもんでも、やっぱり超人的な英雄が出てきて、問題を解決するんですね。ドラえもんや鉄腕アトムはなかなか科学に対する目を養う良心的な番組だというけれども、やっぱりドラえもんの「のびのび太」なんてまったく主体的努力をしない子なんですね。困ると「ドラえもん」とドラえもんに頼って「どこでもドア」とか「竹コプター」などを出して片付けちゃうというわけで、やっぱりああいうのを見ているだけでは主体性は育たないので、主体性を豊かにはぐくむということが必要です。
 (2)そのために2つめにあるように、世界を変える主体は自分自身だという認識ですね。科学的な世界観を豊かに持ち、豊かな人権意識を踏まえて、主体的に生きる力をどう子どもたちに伝えていくかということが、非常に重要な時期になっているのではないかということです。
 
3.直接的暴力という戦争を防ぐために
 
 では、直接的暴力という戦争を防ぐためにはどうしたらいいか。そこに1つの教訓を用意しました。過去の太平洋戦争をなぜ防げなかったのかについて、加藤周一評論家が5つの理由を挙げました。これは1993年、今からちょうど10年前の12月9日です。加藤周一氏は、立命館大学の国際平和ミュージアムの館長をしていました。私は2代目館長で、その頃私は館長代理だったので、「お代理さま」と呼ばれていたのですけれど(笑)。その館長が年に2回ぐらいしか来なかったから、「たまには働いてもらうよ」ということで12月9日に、ある目論みをした。1993年というのは、学徒出陣からちょうど50年目の年で昭和18年10月21日の東京神宮外苑の雨の出陣式から50年目のその年を記念して、加藤周一氏に話してもらったのですね。そのとき、加藤周一氏が「あの戦争を防げなかったのには5つの理由がある」としたのが、以下のことです。
 戦争を防げなかったのには5つの理由
 1つめにあげたのが、議会に反対政党がなくなったということ。なくなったというよりも、戦争政策に反対する政党は非合法化されたから、残ったのは全部戦争に賛成する政党しかないので、もう何を決めようが立法府は戦争へ戦争へとなびいていったわけですね。
 2つめには司法が独立のチェック機能を失った。立法府が戦争をするための法律を決めても、最高裁判所が「それは憲法違反である」と言えば、法律としての効力を持たないのだけれども、あの時期、最高裁判所も含めて司法というのは独立のチェック機能を失ってしまった。それどころか、治安維持法なんていう法律ができたものを、司法は厳密にそれを執行していって、次から次へと進歩的な人々を牢へつないでいく役割を果たしていったわけです。
 3つめには、労働組合が解散させられた。政府が戦争をやると言っても労働者が武器・弾薬を生産しなければ、戦争政策を維持できないのだけれども、労働組合が解散させられて労働者も大政翼賛の一翼を担っていたわけです。
 4つめには、マスコミが批判機能を失った。大本営発表というのを伝え、同時に戦争の感動的な物語など新聞・小説、その他で展開して、人々を戦争へ戦争へと駆り立てていく役割を果たした。しかも、あの時期には新聞の紙が政府から供給されていたので、反政府的なことを書こうものなら新聞紙の供給が得られず新聞の発行ができなくなる。発行しようと思えば、どうしても政府の提灯持ちみたいなことをやらざるを得なくなる。ということもあって、徹底的にそういう方向に流されていった。
 そして、5つめには、市民運動が徹底的に弾圧されたということですね。
 加藤周一さんはそのときに、1993年の時点で上から4つまでが最近似てきたというふうにつぶやきました。これは不気味なつぶやきでしたね。上から4つまで似てきたから、頼りになるのは5つめだということを彼は言いたかったのでしょうが、市民運動こそが重要だと言って、戦前のように政府のお声がかりで佐渡へ佐渡へと草木もなびくような、体制順応主義に染まっていくのが非常に危険だと言ったんですね。そのとき、彼は、「佐渡へ佐渡へ」と草木もなびくように体制に順応していく在り方を「佐渡イスティックコフォーミズム」と名付けたんですが、それを私が記録するときにその通り書いておいたら、加藤さんに消されちゃったのですが、なかなかいい言葉だと思っています。他人が「ゴルフをやろう」と言ったら、「俺はやらない」というへそ曲がりが重要なんです。まさに政府が「こうしろ」と言ったら、「俺はこうしない」というのが重要だと彼は言ってたんですね。これを1つの教訓としていかなければいけないと思いますが、残念ながらこの国は、戦後もこういうことを教訓化できないところがあって、天皇制がそのまま存続し、永久戦犯が日本の内閣総理大臣になったりするような状況が続いてきました。
 
 東京・埼玉平和ツアーから
 
 つい数日前、今日受付けにおられた川畑夫妻と一緒に「安斎育郎先生と行く東京・埼玉平和ツアー」というのに行ってきました。そのときに、いくつかの所を回ってきまして、靖国神社の遊就館という博物館も反面教師として見てきました。なかなかあそこはややこしいところですよ。機会があったら800円要りますがのぞいてきて、見てきた我々が宣伝すればいいと思います。あそこは明治15年ぐらいに造られた軍事史博物館ですので、戦争の歴史が連綿と書いてあるんですね。何という大尉がどういう作戦を出したか、どういうふうに成功したか、失敗したかということが。最後の方にいくと、あの太平洋戦争で若い命を失った人々の男女の顔写真が、これでもか、これでもかと並んでいるのですね。ああいうのを見に行った若い人たちが、「こんなに若い命を皇国のために投げ出していったのか」と感動するというのです。非常に危険な状況です。国がてこ入れしている靖国神社に附設して造られている状況が放置されているという事態ですね。これもとんでもないことです。
 それから、東京大空襲戦災資料センターという所にも行きました。早乙女勝元さんなどが中心になって造り運営している所ですが、そこへ行くと東京大空襲についての非常にいい資料があります。東京大空襲を指揮したアメリカの軍人はルメイという将軍です。そこで説明を聞けばわかりますが、実にルメイというのは戦後、日本の航空自衛隊を育てたということで勲一等旭日大綬章をもらっているのですね。驚くべき事態が、この国では戦後もまかり通ってきたというわけですね。
 
 立命館大学平和ミュージアムの高度化・リニューアル
 
 そうなってはいけないだろうと、立命館大学もささやかながら、何か抵抗しようというわけで、今年は京大事件から70年、学徒出陣から60年、わだつみ像が立命館に置かれて50年という節目の年なので、10月24日、国連軍縮週間の初日に、立命館大学は講演会と国際シンポジウムを開くことにしています。そういうことによって、それを過去のできごととして見るのではなくて、21世紀の平和創造のために、学生がどういうふうに考えていくべきか、あるいは大学の自治というのは、現代どうあるべきなのかということを考えることによしよう、過去を誠実に見据え、それだけでなくて未来に向かって平和の創造の知恵にしていこうというのです。その延長線上で立命館大学の国際平和ミュージアムはこれから約2年、1億5000万円ぐらいをかけてミュージアムの高度化リニューアル計画を推進するつもりです。地下1階の常設展示も今、昭和の戦争以降を描いていますが、日清、日露、第1次大戦も描き、1990年代以降の戦争もイラク戦争まで含めて描く予定でおりますし、1階には国際平和メディア資料室というのを展開して、ミュージアムが持っている2000万展以上の資料を全部電子空間上で検索できるようにし、持っている本とか雑誌、あるいはマイクロフィルム、CDROM、DVD、ビデオなどもそこで閲覧できるようにして、国内外の平和資料館とオンラインでさまざまな情報が得られるようにすることも試みています。2階には、新たに展示室を6つ展開して、国連と平和活動とか、日本外交と平和の問題、ボランティア活動と平和、あるいは京都と平和の部屋とか、ミニ企画展示室。あるいは信州にある無言館の京都別館、今もささやかなコーナーはあるけれど、今度はその絵を40点ぐらい借りて無言館別館、京都アネックスを造るというようなことも考えていますので、一定のご期待をいただければありがたいと思っています。
 ということで、今、大学は大学なりに、個人は個人なりに、組織は組織なりに、どうすれば過去の轍を踏まずに平和な世の中がつくれるかということを旺盛にいろんなアイデアを出して実践していく時代だと。そういう担い手としての子どもたちに、いかにして科学的な認識と豊かな人権意識を踏まえた主体性を築いていくかということが、今問われているのではないかと思います。
 
 構造的暴力としての環境問題
 
 次に「構造的暴力」としてここに挙げているのは、仮に環境問題ですが、これもよく引き合いに出すのは、日本ではたとえば自動販売機文明に我々が依存しているだけで、原発4〜5機分の電力を使っています。この自動販売機というのは小型のもので330ワットぐらいで、大型のものだと1.3キロワット。日本国内にだいたい480万台ぐらいあるのではないかと思うのですね。この飲料用の冷やしたり温めて売っているビール、コーヒー、スポーツ飲料というものの販売機が一番多くて270〜280万台。そういうものが使っている電力だけで、原発2機分ぐらいは優にあるのです。ところが自動販売機にはアルミ缶やスチール缶が入っている。これらを1個作るためには、アルミ缶、スチール缶の内訳は違うのですが、トータルしてみるとそんなに違いはなくて、だいたい電力が550ワットアワー必要なんですね。これは50ワットの電灯を11時間つけておける電力を使うとやっと缶が1個でき、それを国内では300億缶毎年使っていることになるので、その缶を作るための電力まで入れると、自動販売機文明に我々が依存した生活を営んでいるだけで、原発5〜6機分は優に電気を使っているということになるのですね。今から30年前までは、こんなに自動販売機文明なんていうのは日本にはなかったのが、今では日本は世界最大の自動販売機文明国になってしまった。生活の利便性を追求しているその一方で、知らぬ間に原発を必要とする世の中に我々が手を貸し、その結果として環境破壊や原発労働者の被曝や、あるいはそこから生み出されてくる大量の放射性廃棄物の処分の問題を、将来の子どもたちに残しているということがあるわけですね。
 
 構造的暴力の典型例としての南北問題
 
 これは、誰が直接悪いというふうに名指しで原因者を特定できないものであって、社会に構造化されてしまっているわけで、まさに構造的暴力の1つというふうに言わなければいけない。構造的暴力の典型的な例としては、普通はもっと南北問題を挙げるのですが、それはもうみなさんも十分ご存じのことでありましょうし、言わなくていいと思います。この南北問題はまさに構造的暴力ですね。
 
 戦争によらない新たな収奪の体制づくり
 
 今、先進諸国を中心とするグローバライゼーションというのが進められようとしていて、これは戦争によらないところの新たな収奪の体制づくりです。資本主義自由経済体制をそうした形で、全世界中に及ぼすことによって、強い資本のほうが勝つに決まっているので、新たに発展途上国などから富や資源を収奪するしくみをつくろうとしているわけで、これは平和の問題と同じ重みで、世界の発展途上国の人々が反対しているわけですね。だからこそ、シアトルで開かれたWTO(世界貿易機関)の集まりに対して、何万もの人が押し寄せて、WTOが政策決定するのを阻んだわけです。これも普段はそれぞれの国で生活していながら、WTOが重大なグローバリゼイションに関する政策決定をしそうだなんていうと、「それ、集まれ!」というお声係が声をかける。まさに情報のやりとりもグローバライズしています。我々がそうした意思疎通のグローバリゼイションの成果を用いて、何時いつどこへ集まれという形で、地球市民の声を集めていくということによって、反対の声を挙げていったのも、そうした構造的暴力に対する1つの反対です。
 自殺が多いというのも、これもまさに構造的暴力でありまして、経済状況が悪いために死にたくもないのに死ならざるを得ない。誰が悪いのかということではなくて、そういうさきほど言ったような、働きたいのに働き口も与えられないような社会をつくっている今の政府の経済政策を原因として、人々が命を落とさなければいけないような状況がある。これもまた、構造的暴力と言わざるを得ないと思います。
 
 文化的暴力
 
 血液型と性格 それから、次に文化的暴力の例、そして血液型による人間の見立てというのをあげました。まさにABO式の血液型で人間を見立てるというのは平和学の分野では文化的暴力に属するものと言われていますが、日本人はとても好きですね。世界の先進国で、ABO式の血液型で性格を見立てるなんて文化が流行っている唯一の国が日本です。台湾は日本の植民地だから流行っているのですが、驚くべき事態です。
 茨城県警のホームページをのぞいてごらんになるといいですが、「血液型と交通事故」というものが出ています。「A型の人は事故を起こしやすい」、A型が4割いるからあたりまえなのだけれども、そういう統計学の素養のない人が書いたのもしれませんが、そういうことが平気で書いてある国です。兵庫県警のホームページを見ると、生まれ星座と交通事故の関係が出ていたりします。誠に非科学的なんです。
 「血液型と性格」と言うけれど、血液型はABO式だけではなくて、E式とか、Q式、S式、RHとか、MN方式とか、白血球の血液型や血小板の血液型など、60種類以上もあって、2人の人間ですべての血液型が完全に一致する確立は6500億分の1以下なんですね。地球上はまだ60億人しかいないので、地球上で2人が出会ったときに、一卵生双生児でもない限り、すべての血液型が一致しているなんて可能性はほとんどないに等しいんです。そこにこそ、人間1人ひとりがあるはずなのに、日本人はABO式で4つに分けて遊ぶのが好きなんですね。なぜかと言うと、その4つに分けるというのが都合が良かっただけで、E式みたいに2つに分けても単純すぎて流行りようがないし、白血球の血液型のようにウジャウジャ分けてしまったら、覚えてられないから流行るわけがないので、4つに分けるのが良かっただけなんです。人間付合っているとなんとなく4種類ぐらいに分類できそうに思うから流行っただけで、科学的根拠はまったくないですよね。ABO式血液型というのは、血液中を回っている赤血球にのっている糖の構造で分類されています。
 一方それと関係があると言われている性格はDNAに規定されている分もあるけれど、家庭の躾や学校でどういう経験をしたか、社会に出てどういう苦難の歴史を歩んだかということによって、総合的に形成されていくのです。赤血球にのっている糖の構造で性格が1対1に決まるなんてことは、理論上も実態上もまったくないんですね。実態としても第2次大戦が終わってしばらくして、10000人以上の日本人を調べて学会で発表した人がいますが、いろいろ調べてみてもABO式の血液型と性格の間には言われているような関係は一切なかったということで、学問的には遠山の金さんよろしく、「これにて一件、落着」だと思っていました。ところが1960年代に、能見正比古なる人物が『血液型性格判断』というのを書いて、これがミリオンセラーになり何百万部と売れた。息子の占師ともども日本中にファンクラブをつくって血液型迷信を流行らせた。そのかいあって、70年代にはある種の企業経営者が「うちの営業部はO型の人しか採用しない」と言い出したんですね。
 血液型でクラス分け?! そして80年代に入ると、京都の上京区の保育園のように血液型でクラス分けを始めたんですね。A型クラス、B型クラスと、それぞれ血液型別に違う色の園児服を着せた。保母さんは誰が何型かわかったほうが、性格に応じた指導ができるという触れ込みらしいのだけれども、B型の園児服を着た男の子がメソメソ泣いていると、「B型のくせになんですか!」と叱られるというんですね。なぜかと言うと(私はB型ですが)、B型人間は大胆不敵でなければいけない(笑)ということになっている。カラオケに行って「演歌・血液ガッタガタ」という歌の歌詞を見ると、A型は優柔不断、B型は大胆不敵・傍若無人、AB型はどっちつかずと書いてあるんです。だから、そのカラオケの歌によってもB型は大胆不敵でないといけないので、その大胆不敵であるべきB型人間がB型の園児服を着てメソメソ泣いているから「B型のくせに何ですか」というわけですね。叱られても「明日からA型にします」というわけにはいかないので、誠に非人間的だと思います。
 今から12年ほど前に東京の大学で調べた結果によると、「血液型と性格の間に関係があると思っている差別意識が強い傾向がある」というものでした。それはそうでしょ、その人間の実態を見ないでA型だから優柔不断とか、B型だから大胆不敵というふうに血液型というレッテルによって、その人間を決めつけるわけだから、「朝鮮人だから…」「黒人だから…」「部落の出身だから…」という決めつけに陥りやすいのだろうというわけでね。ステレオタイプな人間観を助長する文化的暴力に、平和学では数えられているのです。特にヨーロッパに行って、血液型でというのは絶対にやってはいけないですね。ヒットラーの流れを組む、民族差別主義者だと思われます。
 血液型と民族差別 血液型が見つかったのは、1901年。立命館ができた翌年にラント・シュタイナーというヨーロッパの学者が見つけたのですが、そのときのドイツの皇帝はビルヘルム2世という人です。有名な人で、日本人のような黄色人種よりドイツ人のような白色人種が優秀だと思っていた人です。その血液型が見つかる7年前の1894年、明治27年に日本は日清戦争を戦って中国大陸の清を打ち負かした。ビルヘルム2世は仰天したのですね。アジアの一国の小さな島国に住んでいる「日本人」という名前の、背の低い、色の黄色い、鼻のぺっちゃんこのちんちくりんが、この頃、大国清を打ち負かすなどして世にはびこりつつある。日本人のような黄色人が世にはびこるのは災いである、と言って有名な「黄禍論」=イエローテリルというのを主張していたわけですね。なんとかして日本人のような黄色人種より、ドイツ人のような白色人種が優秀だということを証明しようとした矢先に、ラント・シュタイナーは血液型を見つけた。早速比べたら、ドイツ人は日本人よりA型が多い。日本人はドイツ人よりもB型が多いのです。フォン・デュンゲルンという人が動物の血液型を調べたら、進化の上で人間に近いと言われているチンパンジーにはA型が認められるが、豚などを測るとB型であるというので、どうも進化の上で優秀なものほどA型が多いという論が、民族優勢学の分野で学問の名において主張されたのですね。したがって、ドイツ人は日本人よりA型が多いから、民族として進化の上でより優れた民族なのだということが主張されたわけです。
 だから、ABO式血液型というのは、発見の直後から戦争によらないところの新たな収奪の体制づくりとして使われていたので、その20年後に同じ国にアドルフ・ヒットラーという人物が出て、差別的民族観をもっと研ぎすましていったわけです。人間には生きる価値のある人間と、生きる価値のない人間がいるというわけです。生きる価値のない人間の筆頭に上げられたのが、ユダヤ人ですね。それからソ連人捕虜、黒人、ジプシー、重度脳障害者、身体障害者、遺伝病患者。これは生きる価値がないとして約500万人が殺されていったというのだから、ヨーロッパに行って血液型遊びなんてやろうものなら、それはヒットラーの流れをくむ民族差別思想に通じるものだとして敬遠されるので、国外持ち出し禁止にしないといけないですね。それで不満な人は、カラオケに行って「演歌・血液ガッタガタ」でも唸って、我慢しておかないと国際問題になりかねないというわけです。
 子どもたちは案外そういうことには無頓着に血液型で遊んでいるんですよ。それはテレビなんかでもやっているし、雑誌にもそういうことが出てくるからね。だから、せめて先生方は血液型と差別の歴史ぐらいは、そういうことを例にとってお話いただくと、いいのではないかと。「こっくりさん占い」なんていうのも、歴史を調べるととっても面白い科学教育ができるのですが、そうした科学教育の一環としてもやっていただければありがたいと思います。
 
 怒るに怒れないような不美人の形容の仕方?!
 
 次に、NHKラジオセンターに抗議文を書いた話が出ています。これもあちこちで言っているのですが、1991年1月31日だったと思います。私が広島県大竹市の教育委員会から頼まれて、「現代非合理主義と人権問題」という講演に行く途中に、京連タクシーに乗ったところ、運転手さんがラジオをかけてくれた。そのときにやっていたNHKの番組が「不美人について」というものでした。NHKの某美人アナウンサーと言われる人と、詩人の対談が行なわれているのですが、その詩人が「私はブスという言葉は嫌いです」と言ったのです。それはたいへんけっこうなことだと思ったのですが、その詩人がついで「しかし、不美人を形容するときにも言われたほうも怒るに怒れないような不美人の形容の仕方がある」と言い出したんですね。いや、そんな話があるのなら聞きたいものだと思ったら、どうもその詩人のお連れ合いが高知県出身らしく、そちら方面では不美人を言い表すときに、「オコゼが桟橋にぶちあたったような顔」(笑)という表現があるというのですね。オコゼという魚は、辞書を引くと「味はすこぶる美味」と書いてありますが、その隣に「だいたい顔は醜悪」と書いている。別の辞書を読むと「神の失敗作」と書いてあります。その神の失敗作である醜悪なる顔をしたオコゼが、桟橋にあった顔というのですから、はちゃめちゃな顔という意味でしょうね。その詩人は「そういうふうに言われると、言われたほうも怒れないで笑っちゃいますよね」と言ってるんですね。
 私はただちに嘘だと思って、頭にきて、2000字に及ぶ平和学の抗議文を書いて、NHKラジオセンターに送りました。とかく美人がありがたがられる世の中で、不美人が肩身が狭い思いをさせられて、その自己実現の道を閉ざすようなことにNHKまで手を貸すのであれば、NHKも構造的暴力、ひいては文化的暴力に手を貸しているとしか言いようがないと、「私は平和学会の理事だが」と少しすごんで見せたのですね。そうしたら、相原アナウンサーと言ってけっこう名の知れた人から返事が来ました。「重要なご指摘をありがとうございました。普段気をつけているつもりでも、構造的であるがゆえに、思わず知れず出てしまうものだと、深く反省致しました。先生の手紙をコピーして、番組制作者一同で学習会を開きました(非常にまじめですね)。しかし、当日、出演した詩人にも先生の手紙のコピーを送りましたが、返事はありませんでした」と書いてあったので、話した本人だけが反省していないみたいだけれど、とにかくNHKはそういうことをしたというわけです。これなども、一種の文化的暴力なんですね。人の自己実現を妨げる文化のありようなんです。
 
 危ない番組
 
 そういう意味では、その次の昨年4月28日放送の奇跡の詩人という、感動的な番組も危ない番組でした。固有名詞は今日は言わないことにします。生まれたときに、お腹から腸が飛び出したような子ども。脳に対する血流もうまくいかなくて、重大な脳障害を残した重度脳障害児なんですが、この子の両親が生まれた後、この子を育てるために涙ぐましい努力をするのですね。そしてドーマン法と呼ばれるリハビリテーションプログラムとファシリテッドコミュニケーションと呼ばれる文字盤による意思表示法を使って、もう11歳の頃には大人を感動させるような奇跡の詩人に成長したという物語を感動的に描いたNHKスペシャルで報道されました。「感動した」という手紙がいっぱい届いた反面、「なんというデタラメな番組をやるのだ」という抗議もいっぱいいったのです。これはまさにデタラメな番組なんです。
 私は今、ジャパンスケプティクスという学会の会長をやっています。「ジャパンスケプティクス」というのは「疑い深い人」という意味だから、私は「日本疑い深い人連盟」の会長をやっているのですが、何ごとも如何なる権威筋が言ったことも全部、批判的にものを見るということを旨としている学会なんですね。このNHKの番組に対しても、徹底的な検証をしました。3つの点で指摘をしました。
 1つは、ドーマン法と呼ばれるリハビリテーションプログラムは、これはもう1960年代にアメリカで開発された民間療法ですが、アメリカの小児学会を始めとして10を超える国際学会などが幼児虐待にさえ結びつくような治療法として、認知はとてもできないどころか、不適切な治療法だということをさんざん指摘してきた治療法なんですね。NHKは放送法第3条4号の2というのを知っていたはずなのですが、意見が分かれている問題については、できるだけ多角的に取り上げなければならないという規定があるにも拘わらず、ドーマン法を天まで持ち上げた一方で、その批判には一言も言及しなかったんですね。これ自身、まず問題です。
 それから、ファシリテッドコミュニケーションというのは、この子をお母さんが膝にだっこして右手に文字盤を持って、左手に障害児の手首を持ち、文字盤を指すことによって意思表示をするのですが、この子は普段、自分の思うように手さえ動かないのに、そういう体制に入った途端に1秒間に3文字の割合で文字を指すのです。まさに奇跡の技です。でも、よく見ると文字盤が動いているのです。おかしいでしょ。「あ」というところを指そうと思っても、文字盤が動いてしまったら指せなくなってしまう。それにも拘わらず、1秒間に3文字を正確に指せるということは、両方を持っているお母さんが平行移動して指しているのであって、これは障害児の意思表示ではなくてお母さんの意思表示に他ならないんです。
 そのことは私の推定ではなくて、1992年〜93年にかけてアメリカで実証済みなんです。当時、同じ方法によってアメリカの障害児が幼児虐待の実態を訴えました。幼い頃に幼児虐待を受けたということを訴えた。もし、それが本当なら、幼児虐待を加えた人に対して法的制裁が必要になるのかもしれないということで、裁判になったのですが、裁判所がまっ先にやったことは、本当にこれが障害児の意思表示なのか、あるいは補助者の意思表示に過ぎないのかを確定する必要があると言って、見事なダブルブラインドなテストをやりました。何をやったかと言えば、障害児に例えばパンの絵を見せて、補助者にスニーカーの絵を見せて「今、何を見た?」と聞くと、スニーカーの絵を書く。何十回やっても補助者が見た絵しか表われないんですね。3ヶ国10チーム以上の科学者チームが100人以上の障害者を対象にやったけれども、何時何どき、どんな形でやっても、必ず表われるのは補助者の意思表示であって、障害者の意思表示ではないということで、1992年〜93年にかけてアメリカのテレビで詳細に放映された番組なんです。NHKが知らないはずはない、私が知っているぐらいですから。ところが、NHKはそのことに一言も言及することなく、自分でダブルブラインドテストをやることもなく、ここで描かれた詩は全部、この11歳の子どもが描いた詩なんだということで売り出していったのです。その番組が行なわれて1週間後ぐらいに、この奇跡の詩人が書いた詩集が売り出されて本の帯には「NHKの『奇跡の詩人』で放映された」という宣伝文句つきで売られて30万部が売れたというわけです。講談社から出したそうですが、私も去年の9月、講談社から本を出したので何か釈然としないのだけれど(笑)。私は途中で講談社にずいぶん忠告したのですよ。11月14日には、国会でも自民党が取り上げたのだけれど、その結果、厚生労働省の担当者が「ドーマン法は正式な治療としては認知できない」ということを国会で言わざるを得なくなった。そうしたことがあるから、講談社は増し刷りしないほうがいいという忠告が効いたのか、増し刷りはやめになりました。
 もっとひどかったのは、NHKはその番組の中で、その子は5歳で意思表示の手段を獲得して、11歳で奇跡の詩人になるまでの間に専門書を含めて2000冊の本を読破したというナレーションを流したのです。その読んだ本は、ファイマンの物理学とか有機化学、オリンポスとか、とてもつもなく簡単には読めないような本です。たぶん大学院生でないと簡単には理解できないような本も含まれているのに、2000冊を読んだというんです。5歳から11歳までの間には2200日しかないんですよね。読むには1日1冊読まないといけない。しかも、ドーマン法というのは、朝6時に起きて9時に寝るまで、ほとんど分刻みでリハビリテーションプログラムが組まれていて、当日、映し出された資料の日程表でも、ほとんど本が読めるのは午後の30分、寝る前の30分ぐらいしかないんですね。たった1時間でファイマンの物理学を1冊読むというのは到底できないですね。なぜ、そういう脳天気なことをNHKが放映したのか。だから、徹底的にャパンスケプティクスという学会としては、緊急シンポジウムを開き、NHKにも抗議文を出しましたが、ろくな返事が来ませんでした。
 ああいう番組が行なわれてから、どうなったかというと、あの『五体不満足』という本を有名な障害者の人とこの子は「障害者にも拘わらず、こんなすごいことができる」ということが宣伝されたわけですね。すると普通の障害者が今度は逆に差別を受けるのですね。「あんたができないのは、ああいうふうに努力しないからでしょ」ということになる。だから、NHKはそうではなくて、1人の奇跡の詩人をつくりあげるために、公共の電波を使うのではなくて、たくさんいる障害者たちが自己実現ができるような、そういう社会的条件をつくるためにこそ、電波を使うべきだというふうに思います。これも一種の文化的暴力と言っていいものだろうと思っています。
 
 主体的努力がむくいられるような評価の在り方を
 
 最後に、教育の役割についてですが、まさに科学性と人権意識を豊かに身につけて自己実現にとりくむ、主体的な力を持った子どもを育むということが、今日、我々に課せられている課題ではないかと思うのです。大学で教えていても、学生たちの主体性が非常に発揮されにくい状況にあるということを痛感るすのですね。私は1960年に東京大学に入ったのですが、60年安保の最中に入ったものですから、大学に行かずに国会議事堂の前にいた時間が相当ありました。その間、授業料を納めたのに勉強しなかったわけだから、損したかもしれないけれど、我々が国会議事堂に行って社会に働きかけた結果として内閣総理大臣を首にできたわけです。だから、社会に働きかければ一国の総理大臣まで首にできるという体験したというのは、授業料どころではない重要な経験でした。今の若者たちは自分たちが社会に働きかけた結果、社会が変わったという体験をほとんど、まったく持っていないんですね。だからこそ、今、学校教育の中でも何か1人ひとりに役割を与えて、その目標に向かって自分なりの役割を果たして、その目標が実現できたら、それはやはりきちんと評価してほめてあげるような、主体的努力がむくいられるような評価の在り方を含めて、検討していかないと主体性が育まれないのではないかと感じているところです。
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