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第2分散会

「学校の個性より学ぶ喜びをかなえる改革を」
真に求められているのは、安易な多様化ではなく、確かな学力と進路を保障するあたりまえの教育ではないでしょうか。生徒・父母が求める高校像を語り合いましょう。
  
<はじめに>
 
 2002年1月に答申された「京都府立学校在り方懇話会」答申を受け、南山城通学圏での通学圏の統合と選抜制度の変更、洛北・西京両校での中高一貫制の導入、特色学科の新設といった高校教育「改革」が本格化するなか、この分散会では高校の本来のあり方、高校で身につけたい力などを考え、高校制度改革の問題点や父母・府民が求める高校教育をどのように実現していくか、運動のあり方などについて話し合いを進めた。参加者は、父母、中・高教職員とOB、研究者、大学生など19名であった。
 
<討議の内容>
 
 分散会では、前半に、5名の父母のさまざまな角度から自由に発言してもらい、つづいて中学校、高校の現場からの発言をうけた。
 後半では、府立高教組の佐古田さんから前半ででた点にもふれつつ、制度改革の実際について発言を受けた。その後、高校生に必要な学力の問題やめざすべき高校教育のあり方などについて議論が行われた。
 
 まず最初に学校改革でその姿が大きく変化させられるのではないかとの危惧をもたれている朱
雀高校に子どもを通わせておられるAさんが発言された。
 子どもが朱雀高校に通っている。現在の朱雀は学校規模も適当で、子どもの自主性を大切にし「たとえ不本意入学であっても、喜んで卒業することができる」学校だとよろこんでいる。ところが、制度改革に伴い朱雀高校がなくなるのではないかという危惧がでてきた。PTAで話し合おうとしても、校長は「何も聞いていないので答えようがない」とくりかえすだけである。管理職は中学校で「朱雀はなくならない」「フツウの高校という性格を大切にしている」といっていたが、他校では違うことをいっているという噂もある。
 学校の制度改革は「発表されたときには決まっている」ので、早めに対応することが必要だ。いい学校なのでなくして欲しくない。小・中では、親同士のつながりがもてるが、高校ではもちにくく、悩みを交流したりする面が希薄である。PTAなどで親同士のつながりをつよめる必要がある。
 
  これをうけて、同じく朱雀高校に子どもを通わせておられるBさんが朱雀高校のPTAのようすを発言された。
 朱雀普通科の存続の署名の取り組みをうけ、PTAの会議でとりあげようとしたが、管理職などから難色がしめされた。しかし学年懇談会では、どのクラスでもこの問題が取り上げられ、子どもや親がいかに心配しているかが明らかになった。こうしたなか学年委員を中心に学習会を開き話を聞いた。すると「もっと多くの親に聞かせたい」「問題がわかった以上はもっとがんばりたい」「学校だけの問題ではなく、中学生などの子どもたち、小中学生の親たちの問題でもある」という意見が出、分会でも「署名用紙を送るだけでなくもっと話を聞かす場を設けて欲しい」という要望も出さ、「PTAで取り組めないなら別の場を設けよう」「PTAの有志だけでもとりくみたい」という声が出た。
 教育基本法の問題も同じだが、知らなければ問題がいかに深刻かわからない。今どのようなことが起こっているのか、みんなに知らせていくことが大切だとはっきりわかった。
 最後に、京都全体のPTAについてふれたい。PTAの総会では最初に起立したまま「君が代」が流さ着席しにくくしている。「在り方懇」の話や教育基本法の話は一つも出てこずに、子どもの教育にかかわる話もない。現在のあり方はPTAの本来の姿とはかけはなれている。
 
 CさんもPTAの問題について発言され、あわせて、現在進められている高校改革と父母の思いとの間には隔たりがあるのではないかと発言された。
下の子は進学した高校でPTA総会があったので出席した。PTAの方針に「地域との連携」と「中高一貫教育推進への支援」という文言に矛盾があると思い質問した。しかし役員からの回答はなく、校長や事務長が答えていた。PTAとしての実態について疑問がある。
 親の多くは地域の公立にいければよいと思っているのではないか。教育委員会はニーズがあるから制度を変えるといっているが本当にニーズがあるのか大いに疑問である。今回の南山城地域の単独選抜制でも、0限・7限といったことが行われている中、通学が可能なのか不思議である。やはり、希望する子を地域の学校にというのが本来のあり方であると思う。
 
 3番目に発言されたDさんは、進学至上主義に傾いている現在の高校のあり方に疑問を持つとともに、高校で何が教えられるべきかということについて問題提起をされた。
 子ども進学した高校では、入学してすぐの6月に進路説明会が開かれた。親にとって入学まもない時期の説明会というのは早すぎるように感じる。そのなかでカリキュラムの説明があったが、文系の子は、理科では化学と生物か地学の2科目しか選べず物理はとれないし、理系の子は日本史がとれない。このカリキュラムでは理科や歴史の知識が中学校段階までしか保障されない。物理は難しいことを知っているだけでも大切で、全く学ばないのはどうか、物理や日本史を学ばないまま大人になることは人間の成長という面でおかしいと思う。
 このようなカリキュラムのあり方が当然とされ、こうしなければ国公立の進学率をあげられないと思っている事は疑問だ。保護者にもいろいろな意見もあるが。
 
 Eさんは教育情報誌の編集者という立場から、現在の教育を取りまく問題点について発言された。
 教育情報誌の仕事にかかわって、教育現場が大変なことになっているという危機感がある。母親大会の教育分科会が超満員であったことは教育への不安の大きさを示している。親は目まぐるしい変化についていくのが精一杯で今後の展望が見えない。「今の子どもたちは実験台にされている」という話を聞いたことがあるが、その通りだと思う。
 文部科学省などは、「特色化を進めメニューを増やす」といっているが、逆につくられた枠組みに子どもを当てはめ、子どもの主体的な学びを困難にしている。多様化といっても結局はエリートづくりの競争であり、多様な学びを保障するものではないと思う。莫大な金をかけて洛北に豪華校舎を建築、中高一貫のエリート教育を行う一方で、養護学校で自校給食を廃止しクックチル方式を採用し経費節減を進めることにエリートづくりと弱者切り捨ての格差拡大の方向が示されている。
 朱雀の定通の話を聞く機会があったが、子どもたちが、先生や仲間との関わりの中で豊かな学びをしていると感じた。なぜこうした実践が評価されないのだろうか。特色といって制度を細かくするよりも現状の方がはるかに豊かな教育がなされていると感じる。
 世の中はよくなっていくというイメージをもっていたが、最近はマスコミや教育など国民を一つのねらいで動員しようとしているのを感じ、戦争前夜ともいえる怖い事態がすすんでいるように感じる。
 
 このようにさまざまな視点からの父母の発言を受けた後、2人の先生から現場の様子を聞いた。まず高校改革によって振り回されている小学校や中学校の様子を京都市教組の宮下先生が話された。
 中学で進路や生徒指導の担当をしてくるなか、いつも高校の制度に悩まされてきた思いがある。
 中高一貫校に対して、中学校現場では「それ以外の生徒はどうするのだ」との批判がある。西京や洛北は学力による選抜はしないといっていたが、実際には半分は内申などの成績で決め、他を抽選にするとしたため、小学校での競争が過熱してきた。内申をあげるための作戦が考えられたり、洛北付属中にはいるための塾もできた。西京の説明から「ゆとり・人間性を育てる」といった文言が消え、新学科は「大学進学のみをめざす学科」とされ、受験エリートをめざす学校という性格がいっそう強まった。旧指導要領から高校に移された学習内容を中学校に戻し、英・数の授業時数を選択で増やすなど「ゆとり」は求めるべくもない。受験をめざす特別な中学校を公立でつくったというのが実際だ。
 内申書の内容が今年から大きく変わる。これまでの内申書は3年の成績しか出さなかったが、来年は2年、再来年は1年からの成績が高校にいく。中学生は反抗期にあるので1・2年荒れていても3年生で安定し、立ち直るということがよくある。ところが1年からの成績が求められるとなると、「この成績が高校に送られる」と考えてあきらめたり、ドロップアウトし、立ち直るきっかけをつかみにくくなる可能性を指摘しておきたい。
 制度がこれだけ複雑になり、南山城地区12校に進学できるようになってもそれぞれの学校の説明など不可能だ。しかも私学があり、フリースクールなどもある。説明せよといわれても、中学の教師の力量を超えている。
 
 なお、中高一貫校の導入が小学校にも影響を与えている。現在の小学校のようすをAさんは次のように指摘しておられた。
 西京高付属中ができたことで子どものいる小学校でも受験熱が高まり、塾でも中高一貫校向けの講座が開かれるようになった。しかし受ければ受かるものでないし、地元の中学への影響も心配だ。
 学校週5日制の導入以来、子どもたちの生活が変わってきた。スポーツクラブなどで忙しくしている子どもがいる一方、することもなくだらだらとすごす子どもも多い。3年までは学童保育で面倒を見てもらえるが、4年からの過ごし方が問題となっている。金曜日に夜更かしをするという子どもも増え、金曜の深夜番組の話題が小学校で子どもたちの話題となることもある。土日の生活の乱れが月曜に生活に影響を及ぼしている面もある。
 
 次に高校改革で大きな変革を余儀なくされている高校からは田辺高校の八田先生が、府南部の南山城地区ですすんでいる動きとのかかわりで考えられたことを発言された。
 「勤めている高校に自分の子どもを通わすことができるだろうか」ということをいつも考えている。現在の田辺高校はどうか、落ち着いては来たが、勉強をする雰囲気が弱いという点でまだ弱さを感じている。子どもを通わせることのできるような学校にしたいと思う。
 今回の制度改革について、当初は箝口令がしかれていたが、これをきっかけにどのような高校をめざすのかという議論が教職員の中でされるようになってきた。「底辺校になると生活指導も大変となる、何か考えるべきではないか」という意見も出たが、「これまでからの、地域の学校をめざす取り組みを急に変えてどうするのか」という反論が出て、成績上位層には人気がなくともこれまでの実践を生かす「フツウの高校」をめざす方向でまとまっていった。こうした方向は奇しくも校長の考えと一致していた。
 南山城地区では国公立大の進学数のみを重視する人気校と、国公立大への進学者が少なく、生徒指導などで課題を抱える高校がわかれてきつつある。進学至上主義をとるためカリキュラム上のごまかしをはかる高校もある。しかし、地域の根ざした「フツウ」の高校という面を大切にしていきたい。
 
 こうして7名の方の発言をして頂いた後、司会から補足発言を求めたところ、堀川高校に子どもを通わせておられるFさんが自分の子どもの様子について報告された。
 高一の子が堀川高校に通っている。土曜は模擬試験などが毎週つまっており、夏休みになっても7月中は全員対象の補習でヘトヘトになって帰ってくる。常にクラス内の順位を気にしており、今年も夏期講座に行きたいといってきた。「一度しかない高校生活なのでもっと楽しいこともした方がよいのでは」というと、子どもにあきれられてしまった。
 現在中一の子どもはキャンプなどにも行って楽しみ方を知っているのだが、そうしたことを教えられなかったのかと少し反省している。
 また制度が変わるかもしれないという話を聞き、親にも子どもにも一度しかない時だから実験台にしないでほしいと思う。とにかく、子どもには高校生らしい高校生活を味合わせてやりたい。
 
 いったん休憩を取ったあと京都府立高教組の佐古田先生が現在京都府教委などがすすめている高校改革の内容とその問題点をまとめて報告された。
 現在進められている高校改革の特徴の一つは多様な学科をおくだけでなく、普通科自体を特色化しようとしていることだ。各高校に違いをつけることで、高校毎に違うタイプの生徒を分担して受け持たせる方向性が見られる。
 来年度の最大の問題が南山城通学圏の選抜方法の変更であり、数年後には京都市内の通学圏にも導入しようとするだろう。この改革が子どもにとってプラスになるのか?これまでの2通学圏が合体し学区が大きく広がるが実際に通学が可能なのだろうか?単独選抜と入試機会の複数化によって入試が極端にややこしくなる。前期の特色選抜といっても、大半の学校は「勉強と部活動」ばかりをもとめている。進学至上主義の典型とされる南陽高校はT・U類の間で求める高校生像を分けており、U類からは部活動や自主活動を求める文が削除されている。このように受験偏重の高校では部活動を邪魔者と考える傾向が生じつつある。南部のある高校ではU類の担任が「困ったことにこのクラスではまだクラブをやっている生徒がいる」といった発言をし、特色学科をもつ高校の校長が「運動クラブの顧問をやりたい人は本校にいらない」と発言した。このように公然とクラブ活動を否定するのは末期的現象とさえおもえる。
 中期選抜は、単独選抜となるため成績のよい子も不合格となる制度だ。だから第三志望まで選べ、おまけにどこでもいいという選択肢を加えるなど何重ものセーフティーネットをかけている。その結果、大量の不本意入学や長距離通学を余儀なくされる生徒が生み出されることになる。
 来年度の募集定員が発表されたが、本年は中卒生が減らないにもかかわらず、大量の不合格者を出した昨年と変わらない募集定員である。昨年は、市内北通学圏で5.4人に一人が落ちる、東通学圏でも厳しい事態が生じていたため若干の変更も見られる。
 南山城ではTU類をあわせて募集する方式をとることになったが、さっきの南陽高校では定員の半数をU類にあてることをめざすなど高校自体のT類校・U類校といった色分けがいっそう進むと思われる。
 
 これにつづき城南高校の磯崎先生が現在の高校現場のようすについて発言された。
まずカリキュラムについて話したい。本来ならもっと選択を保障すべきなのだが教師の数を減らし安上がりにしようとして選択を認めにくくしている。そのため、コースによって科目が固定してしまう。
 進路説明会はほぼ全ての学校で実施しているが、内容は学校毎に違う。ある高校でやると他校でもせねばならないという横並びのプレッシャーがかかるのが現場の実態だ。
 学校間格差が広がり、生徒指導面に課題をもつ高校ではかなり厳しい生徒指導をしないと「何をやってもいい」と誤解する生徒がでてくることも多い。こうした中で、城南高校では学習する雰囲気作りをつくるため毎朝読書の時間を設けるなどとりくみをすすめ、懇談会などももつようにしている。
 しかし多くの高校ではしんどい状況を抜け出すため「良い生徒」の獲得競争に走り、そのため目立つことをするという傾向が強く、いっそう学校間競争を過熱させている。学校間・生徒間の格差や不本意入学などの問題を解決するためどうすれば全体の学校が良くなるかという視点が必要だと思う。
 現在の制度が導入されたとき、各地で教育懇談会が開かれた。こうした動きが最近は弱まっている。いまこそこうした運動を進めていかなければと思う。
 
 また元高校校長でもある教育センターの上村さんは現在の高校の姿について話された。次のように問題提起された。
 現在の高校が受験競争の中にからめ取られている一方で、受験ということに神通力が失われている状況がある。高校の統廃合も問題になっている。こうしたなかで、本来、高校が行うべき役割は何か、守るべき教育は何かを考えていくべきではないか。現在すすめられている教育政策に対抗して、教育をよりよく変えていく力は何かを考えていくべきである。
 
 以後、通学圏の拡大や単独選抜への移行が、父母や子どもたちにどのような影響を与えるのかについて議論がなされた。
・ 山城地区の高校の位置を見ると、存在する地域が偏っていることがわかる。通学に困難な生徒は通うだけで負担がかかる。
・ 現在でも、列車の運行などから実際には自家用車にたよらねばならない人も多い。新しい制度で不便な所に住んでいる人にとってメリットはない。住んでいる場所や立地条件で違いが出ている。
・ 通学困難な地域では通学費が膨大な量になる。しかもそうしたところで統廃合などの問題が生じると教育の機会均等を損ねることになる。
・ ある京都市内の中学校では70%の生徒が地元の公立高校への進学を希望していたが、そこが人気校であり、他の地域からの生徒が流入し結局はじき出されるという事態になっている。こうしたことがより広範に発生し不本意入学が増えていく。
 
 こうした議論を受けて教育センターの臼井さんは八田さんの提起にこたえ、「多くの人は地元の生徒が通うフツウの普通科をめざしている。このような高校にするためどうすればいいのか。」と問題提起をされた。
 これに対し、現在の普通科の課題についても指摘があった。
  普通科はカリキュラムが固定的であって選びたい科目が選べない。先生の数など問題があると思う。どのコースを選ぶかは子どもにとって大きな問題だ。16歳でもなかなか選べないのに15歳で選ぶのは大変だ。よりよい方向に変えることができないか。
 
 京都府立大の宮嶋さんはフツウの普通科という考えに賛意を示し次のように発言された。
フツウの普通科という考え方に同感する。高校では高校生活を堪能して欲しいという人が10人中7〜8人を占めるのではないかと思う。ところが、進学へのあせりに周りがひきずられてあせっているのが実態ではないか。周りが進学一辺倒という状況の中で自分だけが自由であるというのは辛いと思う。
 行政の力に対抗するのは大変だが、親が求めているのは何かをしっかりつかむことが大切だ。多くの親は学力をつけてももらいたいが、3年間の充実した高校生活を満喫してもらいたいと思っている。そういったことが実現するためにはフツウの普通科がよい。特色がないのが特色である。
 
 Aさんからは「実際に努力している朱雀のような取り組みが十分伝えられず、逆に根拠もないような悪宣伝と噂が塾などを中心に広げられているのが実態である。」と現在の高校を取りまくゆがんだ状況についても指摘された。
 宮下さんは「フツウの普通科」という言い方はわかりにくいとして以下のように指摘された。
 「個性の強調」がいわれているなかでフツウといわれてもわからない。大切なのは生徒の個性を伸ばすのはどうすることが大切なのかである。文部科学省や教育委員会がすすめる学校の多様化は学校の個性に生徒を当てはめるもので逆に生徒の個性を奪うものである。学校に個性を与えるのではなく、一人ひとりの個性を生かしのばしていくようなものが必要だと思う。
 
 また教育センターの石谷さんは地域の子どもたちの変化をもとに次のように問題提起をされ
た。
最近気になることは地蔵盆や町内会などへの子どもたちの参加が減っていることだ。小学4年くらいになると参加しない。勉強が忙しいのか、理由はわからないが地域でのつながりが薄らいでいる。教育の内容や何を教えるべきかが問われている。
 
 最後に司会がまとめに変えて以下のような発言をし、この分散会を終了した。
 高校現場の教師の多く、とくに管理職は「親は受験学力をつけ進学とくに国公立進学をできるようにして欲しいとだけ思っている」と半ば本気で信じ込んでいる。だから行事などを減らし授業時間を確保し、学習合宿や7限・土曜補習などをすれば親が喜こび「信頼」が得られ、「いい生徒」も集まると考えている。こうした「狂信」にもとづく圧力の中で、自主活動を大切にしようとする教師は「親の願いにあっていない」「そんなことをしてもいい生徒は集まらない」といわれ、追いつめられていく。
しかし、本日の話し合いの中で、このような前提が正しいとはいえないことが明らかになった。親の願いは「一回しかない高校生活を充実して欲しい、この時期しかできないことをし、豊かな人間性を身につけて欲しい」というところにもあることが明らかになったと思う。
 同じ一人の親の願いは一方向だけではないと思う。豊かな高校生活も送って欲しいし、しっかり勉強もして希望する進路を実現して欲しいというのが実態だと思う。こうした親の願いに応えられるような多様な教育実践ができるような高校のあり方が求められている。こうした高校のあり方は現在の多様化や自由化の方向とは異なり、また現在の普通科ともいいきれない、地域における普通の高校を充実する方向でこそ実現すると思う。
 先にみたように、学校や教育行政は親の願いの一部だけを誇張し取り組みを進めている。今日の話の中で出てきたような話をもっといろいろな形で伝えていく必要がある。親の希望はもっと多様で豊かであることを学校や行政に認識させる取り組みが必要ではないか。
 
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