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第1分散会
教育基本法の改定問題を軸に、「道徳教育」「心のノート」等をめぐって、教育の国家主義的な再編をめぐる状況について、学習・交流を深めよう。
 
司会・記録 浅井定雄 提案 野中一也
 
 本分散会は、京都教育センター第34回夏季研究集会「みんなで語り合う分散会」の第一分散会として「教育基本法の改定問題を軸に、「道徳教育」「心のノート」等をめぐって、教育の国 家主義的な再編をめぐる状況について、学習・交流を深めよう。」をテーマに開催された。参加者は20名であった。
 はじめに、野中一也氏が、「教育の国家主義的な動向について」と題して基調提案を行った。
 
T 野中一也氏の提案
 
 野中氏は、初めに自らの経験として、自分は「教育勅語」を元に児童を指導してきた教師の、戦後、180度転換したような変わりように不信感を抱いたが、その時「教育基本法」に出会ったこと、その新鮮な感慨を話された。
 そして、第1番目に「教育基本法改悪で憲法改悪へ」として、日本の支配層は、そうした1945年の「敗戦」を無視する形で、戦前との連続性を狙い、日本国民に対して感性をくっつけて心身に刷り込んできた「教育勅語」の理念を復活させるべく、執拗な動きを見せている点を強調し、また、現在の支配層の狙いが、「対米従属のもとでの戦争ができる国づくり」を目指していること、教育基本法や憲法を改悪して、総合的、全面的に日本の「右傾化」を狙っていることを強調した。
 しかし、教育基本法の「前文」にある理念は、今日においてものごとを考える基本的なテーゼであり、個(個人)と特殊(日本)と普遍(世界)をつなげている、そういう思想を高らかに謳っているものである。だからこそ、「憲法擁護の運動」「平和・民主主義擁護の運動」とつないで教育基本法を守り生かす運動を進めていく必要があることを強調した。
 第2番目に、「教育基本法改悪の動き」として、ここ数年の動きを要約して報告した。 1999年「国旗・国歌」法の制定により、学校現場に「日の丸」「君が代」の日常的な押し付けを進めていること。1999年 小渕首相の教育基本法「改正」発言。さらに森首相の更なる教育基本法「改正」発言。2001年には、遠山文科相が中教審に「教育基本法改正」の諮問を行い、2003年3月20日に中教審答申が出され、それに基づき、2004年の通常国会にも教育基本法の改悪が政治日程に上っていることなどが報告された。また、そうした動きの中で注目しなければならない点として、「教育振興基本計画」をあげ、これには、@学力テストの実施、Aいじめ・校内暴力への対応、B体力・運動能力向上、C英語力の育成、D大学の学生成績評価の導入、などが盛り込まれる危険があることが話された。
 こうした動きの中で、幾つかの問題点として、@日本人としてのアイデンティティー(伝統、文化、郷土、国を愛する心)の強調。A個人の能力の伸長、創造性の涵養。B社会の形成に主体的にかかわる「公」の意識、自律心、規範意識の育成。などについて、十分な検討が必要であることが強調された。
 第3番目に、「「心のノート」で「国民精神」の形成への動き」として、現在学校に導入されている「心のノート」が大きな問題をはらんでいることを話された。一つは、「わたくしの心」が、「国」のレールにのる「わたくしの心」とされていること。二つ目に「心がけ主義」であること。三つ目に、社会との切断を図り、社会矛盾に盲目になるように組まれていること。四つ目に、「非合理主義の愛国心形成」であること、などの問題点を指摘した。
 
U 全体討論の概要
 
 次に、この野中一也氏の基調提案をもとに、全体討論を行った。全体討論の流れ及び発言の概要は、以下の通りである。
 
(1)「心のノート」を中心としての議論
 
○「心のノート」は、書き込み式で、子どもの考え(思想)を、教師がチェックすることが可能である。さらに「「心のノート」は家に持ち帰らず、学校に置いてある」という学校も多く、管理職も(授業の内容や進度を)チェックできる。そして、どんな教育がされているのか父母はほとんど知らない。知らない中で、父母の中には、編集に「河合隼雄」がかんでいるので、「いいことが書いてある」との声もある。
○中学校の「心のノート」の流れを見ると、「家族を愛する」→「家族のために何が出来るか」→「学級を愛する、学級のために何が出来るか」→「故郷を愛する、故郷のために何が出来るか」→「国を愛する、・・・・」→その次は、書かれていないが、論理の流れで言えば、当然「お国のために尽くす」ということになる。こんな風に展開が仕組まれている。
○教員だが、現場では管理職は「心のノート」を担任に配って、「使え」とは言わないが、点検は入る。点検を通じて使わせようとしている。長崎の事件などを見ていても、「心」だけを取り出して教育するというのは、良いことなのか?
○教員です。うちの地域は2年間使っていない。点検もない。民主−反動の力が拮抗しているところほど、敏感なのではないか。しかし、「(心のノートを)使っていますか」と言うことが、教職員評価に跳ね返り、イヤと言えない体制が作られると思う。(心のノート)の象徴としてそんな教師の姿があるという、教育における「影のカリキュラム」の怖さを感じる。
○英語教師だが、夏休みに2週間の研修があった。英語だけしか使えない研修だった。数年計画で、府内の全英語教師が対象になる。「心のノート」は、子ども(父母)の置かれている現状に目を向けさせないで、「自分の心」のみに目を向けさせようとしている。(教師の目も子どもの目も)社会から断絶させようとしている。
○養護学校の生徒にも、同じノートを配って、指導させようとしている。
○京都府教育委員会は、文科省の言うことは全てやる。しかも、最悪のことをやっている。「心のノート」で指導される子どもたちはどうなっているのか?南部のある地域では「学び教育推進プラン」と言うが、週26時間の講師など、本来正規の教員である部分に、非常勤教師を多く入れ、定数崩しを行っている。また、講師の不安定な身分を利用して、担任攻撃をして、いいなりの教育をさせようとしている。
○うちの市では、小学校2年生から習熟度別授業を導入している。「こだま」「ひかり」「のぞみ」などの名前をつけていて、そのために小学校2年生から学校へ行くのがイヤな子どもも生まれている。4クラスなら、5グループに分けさせている。「子どもに選ばせている」と言うが、事実上は教師の誘導である。
○小中連携のかけ声の下に、「小学校高学年は教科担任制」と言い、中学校の先生が体育を教えている。そして、その授業の時、高学年の担任は2年生の算数の習熟度別授業に入る。週の時間割の関係で、グループによっては、指導者が毎回変わるというのもあった。さすがに、こうした「日替わりクラス」は、告発で中止になったが。
○学級という生活集団、学習集団から切り離されて、習熟度別で優劣をつけられた子が「心のノート」を学習して、「自分の心を見つめよう」と、心がけ主義が強調される。「心のノート」がどういう役割を果たしているかを示している。
○北部のある学校では、学力テストの点数を上げるために「事前テスト」を行う。そして、点数が「上がった!」と朝礼で校長が叫ぶ。そんな学校が生まれている。
 
(2)戦前の「教育勅語」体制と「心のノート」教育についての議論
 
○昭和37年に道徳教育が始まり、今の「心のノート」の問題を考えると、1938年に国家総動員法が作られた、戦前当時の動きがダブってくる。私が、久美浜に疎開していた頃、職員室は軍隊であり、小学校2年生も敬礼して入った。教育勅語(への態度)は「たたかれるものさし」だった。小さい頃からたたき込まれたことが、どれだけ生涯の心の中に残っていることか。今、あれよあれよという間に学校が変わってきている。こうした動きの先に何があるかは明らかだ。今年有事法制が強行されたが、みんなはどうして大きな問題にしないのだろうか。
○昭和3年に小学校1年生に入学した。語り部になりたいと思い、いろいろな機会に話させてもらっている。心のノートも書き込み式になっているが、(戦前の)当時も作文に苦労した。いかに(先生に)気に入ってもらえるか、ということだった。教育勅語の練習の時は、少しハナを拭いてもきつく怒られる。教育勅語と言えば、練習が厳しかったことが思い出される。私は、軍国少女で、小学生の時、無学な母に対して「天皇は神様」と、天皇への忠誠を主張していた。
○(戦前に)私の行った学校は小学校の時からすでに習熟度別授業があって、教室は成績順に座席が決まっていた。末席だった人は、戦後になって同窓会をしても絶対に参加しない。それだけ心の傷は深かったのだろう。放課後の補習も、ABCに分けられ習熟度別だった。師範学校では、校長に引き連れられて乃木神社に参拝をした。それが「当たり前」だった。「心のノート」ならぬ「心のしおり」というのがあって、これも書き込み式で、「学校のために尽くすのは当たり前」とされ、「捨我報人」として、昭和12年から軍事教練や近くの農家への勤労動員にかり出されていった。学校教育の恐ろしさを感じる。特に、教育の対象が、小学生、まじめな子どもほど怖さを感じる。
○「心のノート」には、「けんかしたり、意見が違うときはどうするか?」ということが書かれていない。そこの所が、見事に抜けている。仲間と時にはぶつかり合い、理解し合い、共に成長していくという姿が描かれていない。
 
(3)憲法と教育基本法をめぐる議論
 
○教育基本法と教育勅語は相容れないが、文科省は、教育勅語を持ち込む時に、「教育基本法と教育勅語は両立する」という詭弁を弄する。教育基本法が発足したのが1947年で、教育勅語が失効したのは1948年で、その間は「両立していた」というものだ。
○憲法や教育基本法には「平和的な国家」「真理と正義を重んじ」「勤労の大切さ」などが書いてある。こうした精神を、「国旗・国歌の押し付け」から切り崩してきている。「心のノート」は、実質的には国定教科書ではないか。これは、「新しい教科書をつくる会」の教科書が十分採択されなかった教訓から、こんな形で持ち込まれたのではないか。
○現場では、教育基本法違反というか、教育基本法改悪の先取りが行われている。小学校2年生から習熟度別授業が持ち込まれ、府南部のある市では、「国語も含めて9割の授業を習熟度別でやれ」と点検が入っている。能力別で、優越感や劣等感など、差別感は子どもの中に浸透している。それを押さえ込むための「心のノート」だ。しかも、学校は父母に「良いことしか言わない」から、実態が父母に伝わらない。学級通信ですら事前検閲を受けないと出せない状態になっている。教師が、民間の研修に参加すること自体にも、攻撃が加わる。行政は、子どもや親には「自己選択・自己責任」と言うが、実際は、実態が隠される中で、満足な選択すらできずに、責任のみ負わされることになる。今、親が「わが子をどんな子どもにしたいのか」という親の主張が大事になっているのではないか。ピンチをチャンスに変えたい。
○「組合つぶし」の行政が進めれれる中、全教の「教育基本法アンケート」で、若い教師の中には、「わからない」に○をする者が多かった。行政側は「あと10年たつと組合は潰れる」と言い、10年を見越して軍国主義教育を推進しようとしている。現場の教師は「通知票4観点項目の評価」「授業毎の評価」「週案」などで追われ、学期末には夜中10時半に半分以上の教師が学校に残って通知票を書いているという状態だ。教師が父母と話し合う機会も奪われている。教師も精神的・肉体的に追いつめられている。昨年度は41名退職のうち、定年退職はわずか2名だった。
○退職教員の出番を積極的に作っていくべきではないのか。私の地域の「教育を語る会」には、3名〜10名で毎月勉強会をしている。現場の教師の中には「心のノート、そんなに悪いとは思わない」と言う教師もいて、忙しさの中で、学習が出来ず、攻撃を見抜ける力が育っていないのではないか。
○外国へ行って来た。外国の子どもが原爆の子の作文など、教科書や資料で学習しており、感銘を受けた。アウシェビッツにも行ったが、見学に来る人はイスラエル人、ドイツ人が多い。家庭でしっかりと勉強してきていると感じた。自分が「語り部」になって話していく大切さを感じた。
○「心のノート」は、心理学を導入している。心理学は、社会的な問題が入ると、問題は処理できない。だから、社会的側面を切って、心を前向きにしていく。そこを権力はうまく利用している。我々は、社会的側面を入れた心理学を提起していかなければならない。
 
V まとめにかえて
 
 貴重な発言が相次ぎ、時間を超えてまで活発な意見交換がされた分散会だった。論点が多岐に渡ったため、まとめにはならないが、主だった点をあげてみたい。
 
(1)現場での攻撃と「教育基本法改悪」は一体
 
 現場からは、多数の教員から、「教育基本法改悪は『教育改革』という名前で、現在既に、先行試行・先取り的に進んでいる」ことが報告された。特に、「心のノート」をめぐる動きや、その狙いなどについては、議論の中でかなり深められたと言える。
 
(2)歴史から学ぶことの意義が強調された。
 
  また、歴史から学ぶことの意義が強調された。特に、「戦前の非民主的なものをどう受け継ぎ、克服していくのか。」という視点が大切である。その点で言えば、日本と同じ敗戦国のドイツは、ファシズムときちんと向き合い、戦争を総括し乗り越えてきた。しかし、未だ日本は、ドイツのような継承性はないと言える。
 
(3)運動の担い手を広く、深く、そして継承も
 
 「教育基本法改悪」の動きや「心のノート」の本質などは、未だ多くの父母・国民には伝わらないでいる。また、教師の中でも、いままで培ってきた運動を若い教職員に継承していくことに成功していない。こうした点を克服していくことが今切実に求められている。そして、根本的には、国民の教育、民主主義の理念を実現していくのは教育の力であるとするならば、今後それを担う「教育のあり方」について、教師・父母・国民が共に議論し深め合い、その力を培っていく必要があると言えるのではないか。 
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