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●●この記録は、京都教育センター事務局の責任でまとめたものです。●●



教育基本法・連続(月例)学習会2004

 第1回学習会記録

(注)下記記録は、2004.3.1付で一部訂正を行っています


2004年1月24日(土)午前10時〜12時
場所 京都教育センター室



   「お国のため・・・・ほしかりません勝つまでは・・・・」と、人々を戦場に送り続けたあの「教育勅語」に代わって・・・
 戦後、「人格の完成をめざし・・・・」と、今日の教育基本法が誕生した!
 今日、再び「戦争をする国」「戦争かできる国」へと変質させようと、「心のノート」を強調し、「愛国心」を必要として、競争主義教育のもと、この「教育基本法」か「改訂」されようとしています。
 「拙速な教育基本法見直しではなく、百年の大計にふさわしい、深い教育論議を望みます。」と、2001年4月21日16氏の声明趣旨の具体化として、2002年7月には「教育基本法とは何だろう」(季刊ひろば臨時号)発行などの取り組みをしてきました。
 2004年度は、連続学習会を企画しました。気軽に誘いあってご参加いただき、みんなで語り合えることを願っています。

 前 文
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、正義と平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想は、根本において教育の力にまつべきものである。
  われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
  ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

司会
 教育基本法をめぐる動き、野中先生からお話があるが、教育センターでもいろいろな情報を提供しているが、ひとつじっくりと系統的に学習する機会をと、この場をもうけた。

辻(京都教職員組合)挨拶
 2月8日の京都市長選挙勝利のために、きょう市教組の婦人部の決起集会がありそれに出演しなければならないので中座するが、全国教研の報告をしたい。
 8300人参加、レポートは470本京都から30本80人の参加。平和・憲法の問題が大きなテーマになった。若者の参加が一挙に増えてきた。高校生・大学生参加。高校生は100人以上,京都から6人の高校生参加。朱雀からは4人、学校作りに綾部出身からの参加、信濃毎日新聞にも紹介。保護者の参加も京都からある。放課後の障害児の遊びをレポートして、分科会に参加。感想「先生の本音がわかってよかった。よくしゃべり、飲む。元気な先生があり楽しい。」教育センターから淵田先生他参加。教育基本法、通常国会の見送りの報道、しかしあきらめたわけではなく、協議機関は続けていくという。「改正のための」協議会となっている。今年、どこかで改正法案が出されてくるのではないか。通常国会にだされないのは、報道は「内部の矛盾」とされているが、国民のたたかいの反映でもある。園部の教育基本法の学習会に講演に行った。14名の参加。若い母親が多い。若い母親にどのように語っていくのかを考えた。さまざまな地域の取り組みも広がっている。11月30日、東京では4000人の反対集会、パレードには5000人の参加があった。地域でのさまざまな学習会・集会がきわめて重要になっている。

経過報告(淵田事務局長より)
 チラシの裏に「再び訴えます」。その人たちから、もっと勉強しなければいけないという声。ひろばで教育基本法の情報をだしてきたが、もう一度原点に戻って学習会をということで、12回のシリーズで学習会を進めていきたい。「人材の育成か、人格の完成か(第1条)」というふうに情勢と参加者の声から学習会をつくっていきたい。

司会
 じっくりと、ささやかであっても取り組みを進めていきたい。条文の学習だけではなく、時々の情勢や声、地域の取り組みを反映させていきたい。府立大学、築山です。

講演 教育基本法の「前文」を学ぶ
                                    野中一也(大阪電気通信大学)
○話題提供と言うことでレジメを作った。

(1)教育基本法を学ぶ今日の意義
  @政治の右旋回の岐路 対米従属、アメリカの植民地化
  Aイラク占領戦争への加担
  B教育の「原点」より,未来への展望
○憲法9条の輝ける理念、を実現する長期的な展望としてある。 その大きな展望のために一人一人が主体的に学ぶことを強調し たい。
(2)主体的に学ぶために
  @私の体験から
   私の父 暗号盗聴者/旭川の叔父 北支での「首斬り」/戦争体験 国民学校1年生、市電で護国神社前で敬礼の強要
  A学習の中で、批判力
   天皇の戦争責任/「遠い戦争責任」 後生に平和を!
○主体的に学ぶと言うことをしておかないと「ゆれる」。父は「無線の神様」といわれて暗号解読をしてい た。戦後就職したが精神的に立ち直れていない。叔父が徴兵で「甲種合格」で、中国で「首切り」をして、戦後「一ちゃん、戦争したらいかんよ。勉強しないとだめだぞ。」彼なりの反省があり、戦争体験が強くある。同時に「軍国青年」として成長してきた歴史がある。護国神社での最敬礼、天皇崇拝、軍人にあこがれる。そういった教育を受けてきた。
○変革をしてきたのは大学に入ってからである。戦後、大学で学問の大事さを感じた。高坂せいけんさんが書いた本が、古本屋さんで見つけた。それを見つけて戦争に行った青年がいた。 内面に関わりながら、戦争責任をどう考えるのかが大切。
(3)前文から学ぶ
○「国体護持」思想の否定から、生まれた。しかし、それなのに今は、個人から上に開かれたイデオロギー。「日本の精神は天皇を崇拝すること。それは、国を守ること」とされている。
第1項
  @「われら」
  天皇ではなく、国民/「国民」の意思で。憲法・教育基本法を!
○ゼミで若者は「古い」として捨ててしまう。しかし「われら」 という中に国民の主体的な意思が表れている。
  A「日本国憲法の確定」/戦前,「教育勅語」との断絶,新生日 本のスタート/憲法の意義
○新しい日本のスタート。明治22年に教育勅語が生まれて、校長が白手袋に掲げて、お経のように読み「何か大事なモノ」と思われていった。
  B「民主的で文化的な国家」
   民主的という概念は、政治、経済、社会などを含めて、あらゆ る面で「民主的」
   文化的 真・善・美の文化的価値を実現する国家/戦争放棄し た文化
   思想、良心、信教、表現、学問などの自由を保障する国家
   個人の自覚を経て国家へ/権力的国家的な「文化」でない/「資 本主義の退廃文化」
  C「世界の平和と人類の福祉」
  D「この理想の実現は教育に力に待つ」/ 教師が喜んで、教育に日本の未来の希望を抱いた。
第2項
  @「個人の尊厳」
    個人の「品性」・・・人格と結びつけて品性を考えたのではないか
    人格の尊厳/生徒を人 間らしく扱う
  A「真理と平和を希求する人間」
    真理 科学的認識/「希求」する「人間」/文化的存在としての「人間」
  B 「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」
     すごい表現だと思う。文化の伝達は教育による/よい文化を形 成する主体者/個性は 民族,国民を含む個性
○普遍と個性  (務台理作)論理思考を超えた実態概念として、人格、人類、 文化・・・串刺し
 マイナス部分を含めて戦後の教育をもう一度見直しながら、国 民にどう返していくのかを考えていく必要がある。
   C「教育を普及」
第3項
  @「日本国憲法の精神に則り」
  A「教育の目的を明示」/「ssollen」の世界/理想を持 つ意義
  B「新しい日本の教育の基本」/「新しい」の意義/1945年の「敗戦」
     「新しい日本」/排他性を持たない/在日外国人との共生,共同/「共生の思想」の創造 C「教育の基本」/ベースに据える/「基本」=大黒柱
(4)未来の展望

討論

司会
 「前文」の中身を鏡に、今の教育の現実を映したらどうなるのだろうか。自由な意見交換をお願いしたい。

○旧制中学の時に、軍隊訓練も受けていた。そのとき、軍隊の若い将校が「政治屋」という言葉があり、軍人の思い上がった態度が見られた。
○最初からいい勉強をさせてもらっている。「民主的」という言葉一つにも、深い意味があることをつかんでいかなければならない。教育基本法は実際は改悪されている。あとは法的な根拠としての改悪がねらわれている。現場の先生にも呼びかけていってほしい。
○1947年(教育基本法制定)という歴史の境目を前後して興味深く話を聞いた。「言葉の意味」を歴史的な文脈の中で捉えるという事が大切である。
○野中先生と同期。小学校3年生頃から、教育勅語の丸暗記を強制させられた。今の「こころのノート」を教育勅語と重ねてみると、心のノートの組み立て方と重なっている。有事法制がでたときに、国家総動員法を打ち直して冊子にしたが、たいへん重なっている。昔の亡霊がよみがえってくる。戦争の条件、武力、組織体制、人間づくりの3つ。亀岡でも「戦争をする国」の教育基本法の改悪の動きととらえたい。
○教育基本法の改悪の実態があるが、現実の流れと併せて野中先生の話を聞かせてほしい。今の教育改悪「個性」を全面にだして、国民の形成、ないがしろにされている。
野中
 ヘーゲルは「普遍」(真・善・美)という概念を特殊化して、それが「個性」になる。として繋がって個をとらえる。政府は「能力主義を貫くために」「測定可能な能力」によって「自分の位置を特定させていく」個性である。資本主義,経済主義の見方を教育に持ち込んだもの。個人の持つ文化的価値を捨てたモノになっている。しかし、国民の側で、今まで国民を「マス」で捉えていたから「個性」と言われると、弱い面がある。
○普遍的なものと個性的なものを、つないでいる。政府のように対立させたり、分離させたりするものではない。個性的というのは、商品価値、個々の持つ魅力、というようなものに矮小化 されている。自分たちの軸足をしっかり持つことが大切である。
野中
 個というのは大切。しかし、それは普遍と切れているものや対立するものではない。だから美術館に行って絵を見て感動する。戦前は、それを逆転させて「日本は神の国」と特殊化させて、「戦争で試される」、「弱い人間は戦争に行って変わる必要がある」として、国民を戦争に動員した。高坂教授、「私見期待される人間像」という本「教育基本法には否定される何物もないけれども・・・」と「ないけれども・・・」という論理で、国民を引っ張っていく。これは小泉首相がイラク派遣に憲法前文をつまみ食いをしたモノと同じ論理である。
○普遍と個性とのつながりが、「造化と万物」という中国の言葉で、現れている。「造化」自身は個別のモノの中で現れてくる。「梵我一如(ウバンシャウド」」
○普遍を特殊化するときに、問題が起こり、ごまかし、すりかえが行われているのが現実の問題だ。
○元野中先生と同じ職場。昭和2年生まれ、英語の教員をしてい た。連載を頼まれて、「戦争と自分」のことを書いた。徴兵検 査前に戦争が終わった。日本は「神の国」と教えられた。教育 勅語、軍人勅語も教えられた。当時は複雑で、状況把握も断片的で、心の思いも複雑であった。小林多喜二の「蟹工船」は当 時はベストセラーで、社会主義関係の本も不十分ながら学ぶことができた。その後、軍部の大きな流れがでてきた。戦後、大きな混乱もなく、社会が順調に来たのは、当時の遺産があったからだと思う。小学校3年4年の頃、中日戦争が始まって戦争の拡大に、地図に色塗りをしていた。
○現場では、教育基本法は、形骸化してしまっている。中味が壊されてしまっている。野中先生は、シャキッとした話。揺れているのは「教育の目的」について、ほかの目的に教育があるのではないか。「教育の目的」で教育を考えていないのではないか。一種の教育投資論が一般的にはある。「基礎基本」「豊か な学力」といっても、進学や就職に繋がらないとダメだ。教育基本法は,理想論であって,現実に必要なことは書いていない。現場では,そうした揺れがある。
○「どの子も伸びる」研究会で、三重県の会員とコンタクト。教育投資論は、国民を惑わす論だが、現実には進学・就職に門戸 が閉ざされている時代になっている。「大学は出たけれど」「使い捨て」の時代になっている。一方で「能力主義」と言いながら、一面的な専門力を利用しようと言う動きもある。そのことをもっと多くの人に語っていかないと、教育投資論を打ち破れない。子どもや教育にがんばっている教師ほど打ちひしがれていて、意欲をそぐということがやられていて、上に従順な教師 ほど平気でいる。理想がなければやっていけない。
○養護学校にいる。2年前に学校要覧が「憲法・教育基本法にもとづき」から「諸法令に基づき」と言う形に、強権的に変えられてきている。自分は55歳、あと5年。しかし若い先生に、何かを伝えていくという年代になっている。若い先生は、教育基本法をほとんどわかっていない。そういうことをしないと若い先生は、もうひとつ勉強しようと言う気にはならない。子どもへの実践と、若い人に伝えていく仕事がある。元校長は「教 育基本法の内実をきみたちがつくること」と言われていた。そ の「誇り」が奪われてきている。そうすると「ロボット化」してきている。内容的には、崩されなかった。自主編成にしかあ りえなかった。しかし、今内容への介入になってきている。「個別指導計画をつくれ」である。しかし、「個々の内容をかけ」、クラスづくりをどうするかを全く崩されようとしている。個々の内容(実践)の報告と、その点検になってきている。我々の言うような「発達の視点」からものができるようなるのではなくて、「療法」的な観点が強制されてきている。
○新聞報道で「学力低下」が報道されている。地学を教えてきたが、NHKで「役に立たないからだ」と報道された。ショックだった。子どもたちがそういう判断基準で地学を見ているのか。自分は、「医者はきらいだ、石屋がいいんだ」と選んだ。目先の利益で「役に立つ、立たない」で判断させるような教育にしてしまってはいけない。若者で「お休み所」で学んでいる人がいる。社会を見つめる目が養われたのではないか。個をぎりぎりに追いつめる中で、「自分は何ものか」を見つめている。先生自身が、自分をぎりぎり追いつめて、「自信を持つ」ことが 大切になっている。
○不安を感じるが、若い人があまりいない。中国では若い人が、目をさらにようにして本を読む。しかも多くの人が。日本はこれからどうなるのだろうか。若者をもっと勉強させなくてはいけない。
○教職の課程もとっている。大学3回生、友人多く就職活動、国文学、専門を学んでも就職に役立たない。そのことが大きな問題になっている。学校の勉強は、いったいどういう役に立ったのだろうか。
○ほっとハウス、フリースペースに加わって、「自分たちも何かをしたい」という元気な若者が、見られてうれしい。学ぶこと と自分の人生とが繋がるような見通しを持てないことが問題。
野中(まとめ)
1 未来が見えにくくなっている。未来の展望が見えるようにそれをどう切り開いていくのか。戦後の思想は、プラグマティズム。その批判を思想領域からきちんとしなければならない。I先生が、「理念と現実とのギャップ」が提起されたが、それではどうしていったら良いのか。先人の話や現実で苦労した話などをしている。苦労の中で、未来の展望が開かれる。「自分で学んでいくようなヒント」をどのように伝えるか。
2 日本の文化の伝統 憲法9条をめぐって、日本の新しい伝統にしていく。こういうことはできないのか。それだけの価値を持っていく。 3 養護学校の先生からだされた問題は、東京の養護学校の性教育をめぐってかけられてものすごい攻撃、都立大学の解体など、最終的な課題は、個人のエネルギーに寄っていくことになる。
司会
 こういう場を、今後,いろいろな地域で、広げていってほしい。

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